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少年

 懺悔。


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 初めて身体を売ったのは大学生の時だった。大して栄えてもいない古い町に住んでいた私は、出会い系サイトに張り付いて初めてその相手をようやく見つけた。
 
 金銭的にも、精神的にも、余裕なんてなかった。薄暗いパチンコ屋の駐車場に停めた車で、生きるための費用と引き換えに、女を売った。緊張したような気もするし、そうでもなかった気もする。よく覚えていないまま、またねと笑って知らない男の車から降りた。
 そこからはよく覚えている。行為の最中は何も思わなかったはずなのに、男の車が消えた直後、私は走り出していた。駐車場の多目的トイレに駆け込み、汚い洗面台に向かって嘔吐する。買ったばかりのワンピースが濡れて、段々と頭が冷えていく。下を向くと、感覚がないまま震える足の横にウィッグが落ちた。
 慌てて目を逸らした先の鏡の中では、似合わない化粧がぐちゃぐちゃになった少年が、死んだ目をしてこちらを見つめていた。

 自分が周りと違うと気付いたのは、多分小学生の頃だった。青い上靴を、女のくせにと馬鹿にされて友達を殴った。声変わりすると信じて選んだ合唱曲が歌えなかった。初潮に驚いて母に泣き付くと、その日、赤飯を炊かれて訳もわからずに泣き続けた。自分が普通じゃないと気付いた時には、笑って中学校の制服のスカートに足を通すしかなかった。
 
 私は性行為が嫌いだ。自分の身体が、自分という人間に反して女であることを自覚させられる。仲の良かった男友達に同意なく組み敷かれた時、スカートを履いている凹凸のある自分の身体を心底呪った。これが、私の初体験だった。
 人間は消費できない傷を抱えた時、なんとかしてその傷を埋めようとするのだと思う。トラウマをトラウマと認めないために、自分は間違っていないと納得するために、そこからの私は何度も性行為を繰り返した。仲の良かった男友達は皆、女である私を簡単に抱いてくれた。男は性をちらつかせれば簡単に女に絆される馬鹿な生き物であると、男になりたかったはずの自分が、無駄な感情を切り捨てることができるように、何度も何度も。

 インターネットの掲示板で度々目にすることがある。お金がないと相談する女性に対して、身体を売ればいいという旨の発言は少なくない。大学のサークル仲間でさえ、金欠だと愚痴をこぼせば、女は身体で稼げるからいいじゃんと笑われた。その度に、確かにと笑う。だって、自分は女じゃないから。女であることを痛感しているはずの自分が、一番、この生まれ持った性を馬鹿にしていた。
 


 親元を離れて、親が望んだ大学に進学した直後、親が死んだ。学費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れ、成績優秀の学費免除を貰うために寝ずに興味のない学問を必死に勉強した。
 いつも笑って、馬鹿な何もできない女をきちんと演じてきた。だからこそ、適当な友達も多くできたし、大した成果をあげなくても女なのによくやってると褒められた。親が生きている間だって、心配をかけることはなかった。何が不満だったのか、自分でも分からない。自分の気持ちなんてどうでも良かったし、生きられればそれでいい。全てうまくいっていた。
 なのに、唐突に身体が壊れてしまった。
 大学へ行こうと玄関でドアを握った瞬間、体中から冷や汗が流れ出た。心臓がうるさい。何も悲しいことなんてないのに、涙が溢れて止まらなかった。きっと体調が悪いんだと、友達に電話した私は、何も喋ることができなかった。

 そこから何時間経っていたかわからない。掛かってくる電話は全部、応答することができなかった。訳もわからないまま必死にタバコに火をつけ、自分の汗と涙で濡れた靴を灰皿がわりにして無理やり息を吸った。授業に欠席したのも、アルバイトを無断欠勤したのも、その日が初めてだった。
 1週間ほど同じ状況を繰り返していると、その間に何度か友達が家に来た。なんか体調悪いみたい、と笑って返すと、皆安心して帰って行った。せっかく持ってきてもらったお菓子やジュースは全く喉を通らなかった。原因がわからないまま病院に行く気にも、インターネットで調べる気にもなれなかった。
 何日経ったかわからないある日、友達の仲でも地味な印象が強いNが家を訪ねてきた。大して仲がいい訳じゃない、たまたま大学の授業で班が同じだっただけのNは、黙って私の手を掴む。パジャマのままの私はNに連れられて、何日も出られなかった玄関を簡単に越えてタクシーに乗せられた。着いた先は、私の名前で勝手に予約された心療内科だった。

 ご丁寧に喫煙スペースが用意されたその病院は、Nが通っている場所だったらしい。タバコを咥えて適当にNの話を聞き流していると、名前を呼ばれて医師のところに案内された。
 何を話したかはよく覚えていない。適当に質問に答えているだけだったのに、薬を出すからと言われた。何の病気なんですかと尋ねると、その先生はうつ病だとはっきりと答えた。そんな訳ない、と笑おうとしたところで、声にならないまま涙だけが溢れた。付き添ってくれたNはなぜか私の横で泣いている。Nに疲れていることに気付いてないんだと窘められ、初めて自分の心が壊れていることに気付かされた。あれだけ嫌だった生理が半年以上止まっていることに気付いたのもこの時だった。
 Nが席を外した後、先生は少し黙って私を見ていた。パジャマ代わりのジャージにボサボサの金髪、人前でこんな姿を晒すのは初めてで急に恥ずかしくなったのを覚えている。何か言われるかと身構えていると、呆れたように優しい声で間違っていたらごめんねと前置きされた。

「きみ、男の子でしょう?」

 心臓が痛いくらいに飛び跳ねるのを感じた。どういう感情だったかは全く覚えていない。焦りと混乱とで占められていただろう私は、どうすればいいですか、と先生に泣きついていた。
 無意識下で一人称が曖昧だったこと、性依存の症状があること、Nから話を聞いていたことを伝えられ、混乱の中、私は先生の言葉に納得した。もし、自分にその意思があるなら、性同一性障害の診断をきちんと出すことや、今のうつ症状が改善されるまでは通院することを勧められ、その日は薬を渡されて帰宅した。
 そこから3ヶ月ほどは何をしていたか記憶にあまりない。Nからは定期的に連絡が来ていたが、アルバイトを全部辞め、休学申請を出して家に引き籠った。ようやく自分のことと向き合う時間ができたにもかかわらず、女らしくと伸ばしていた髪を切った以外は何も変わっていなかった。

 そして、身体を売り始めたのがまさにこの頃だった。私にとって、売春は自傷行為に他ならなかった。女としての自分を傷付け、その女にすがる男を見下す行為は、自分を傷付ける以外何もないと分かっていたのにやめられなかった。知らない男に組み敷かれ、可愛いと言われる度に、また僕が死んでいく。不快な性行為の後の自分の姿は、確実に女ではなく、望んだ少年の姿そのものだった。

 自分が死んでいく感覚でしか、私は僕として生きられない。ただの少年として、生きたかっただけなのに。

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