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【私の履歴書】株式会社テンタス小泉智洋

この記事の作成担当:株式会社テンタス 代表取締役 小泉智洋

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長いですよ、これ。

小学校時代

スポーツは野球と水泳をしていたのですが、野球は万年ベンチでしたし、水泳はさぼったことを隠すために水着を公園で濡らしてみたけども臭いで即バレしてぶっ叩かれたりしてました。

勉強をしていた記憶はありません。

中学時代

2個上の優秀な姉が通っていた塾に入って「あの(優秀な)あかりさんの弟さん?!」と華々しくデビューしましたが、アホがバレるまでは本当にスグでした。

妹も同じ塾に入ったそうですが、「あぁ、、あの(ダメな)ともひろくんの妹さん?」ととても低いハードルだったそうです。

なお、妹は俺と同じくダメ属性。

卒業式の日に雀荘デビューしました。リャンピン。

受験勉強はちょっとしました。

高校時代

かなり色々バイトをしていたような気がします。

高校2年生から3年までの1年間、下北沢の雀荘で働いたのが一番長かったような気がします。

勉強をしていた記憶は本当にまったくありません。

幼稚園から大学まで一貫のエスカレーター式の学校にわざわざ高校受験で入ったのですが、もちろんドロップアウトというか盛大にアウトしました。

学費を出してくれていたお父さんごめんなさい。

高校3年生の夏の終わりに先生に「先生、今日から学校来なくても卒業できます?」って聞いたらYESだったので住み込みで大宮のキャバクラで働いて100万貯めて卒業後にフィリピンに渡りました。

卒業式の日に何を思ったかめちゃめちゃ時間のかかる成分献血をしてしまい、式のスタートに間に合わずに父母席から自分の卒業をお祝いしました。

フィリピン時代1回目

英語を勉強したかったのですが、私の頭ではある程度話せるまでに1年間はかかるだろうな、、アメリカ、、うーむ、、オーストラリア、、うーむ、、、もっと安いところないかな、、ということでフィリピンを選んだのですが、フィリピンの通貨も文化も何も知らないで突撃しました。

最初は知り合いが持っているコンドミニアムに住ませてもらっていたのですが、最終的にはスペイン人のおばあゃんがやっている1か月3食まかない付3万円のボロボロの下宿に住んでいました。

どれくらいボロボロかと言うと、部屋の網戸は網の部分よりも空いた穴の部分の方が断然面積が大きいくらいボロボロでした。

ボラカイのダイビングショップで寝泊まりしながらレスキューのライセンスを取ったのもこのあたりでした。

当時はびっくりするくらいモテませんでしたが、髪型がこれだったからですかね↓

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日本に帰国して酪農してみたり

帰国後、新宿にパスポートの更新に行ったらたまたま見かけた「北海道農業担い手センター」という素敵な看板のオフィスへ突撃してみた3週間後には北海道の中標津にある牧場にいました。

中標津町はここ↓

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本当は1年間働くはずだったのですが、就労後1か月目に発情した牛に襲われてろっ骨が折れ、2か月目のクリスマスイブに藁の上で気持ちよさそうに寝ている犬にダイビング抱き着きをしたら顔を噛まれて14針縫って「こりゃ向いてないわ」ということで東京に戻りました。

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あとフィリピン帰りには北海道の冬は本当に寒かったです。Tシャツしか持ってなかったですし。

東京に戻ってからは丸井さんの店装や広告などを行うハウスエージェンシーさんで働かせてもらってました。マルイの通販カタログ誌「voi」などを作ったりしていました。

特に面白い話はありませんが、当時の皆さん元気かなぁとたまに思い出します。池田さん超いい人。

フィリピンのテレビ局で仕事してみたり

フィリピン時代1回目の時に知り合った人がやっているフィリピンにある日本語放送局というスーパーローカルなテレビ局に来ないか?と誘われてまたもやフィリピンへ。

フィリピン人のメンバーと一緒に夜のニュース番組「Midnight Fil Japan」などを作ってました。

たまにニュースを読んだりレポなどもしてました。

洞窟にレポに行った際のめちゃ懐かしい写真がPCに残ってました↓

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とっても貧乏局だったのでフィリピンのローカル局よりもボロい装備で撮影などに行ってました。

せめてずり下がってこない三脚くらい買ってくださいよ、社長。

1年働いた後に会社がビザを申請してないことが発覚し、帰国。

こらー!

そんなこんなでやっと社会人&独立

本当の意味で社会人になったのはここからな気がします。

現在東証一部に上場しているモバイルコンテンツプロバイダーである日本エンタープライズ株式会社に入った時は携帯すら持っていませんでした。あれは何故面接に通ったんですかね?

テンタスは面接時に履歴書をみません。

NO履歴書面接にすればその人そのものに集中できると思っています。

5年ほど働いて子会社の役員になり、頑張りすぎて体と精神と胃を壊してしまい会社を辞めて部屋を引き払い中南米のバハマで静養してみたりしましたが、前職の上司に誘ってもらいモバイルサイトの企画開発を行うIMJモバイルへ入社。

前職の上司が一度会社に遊びに来いっていわれたので「こんちわー」って遊びに行ったら、その場にIMJモバイルの社長もいて面接が始まったんですが、遊びに来たつもりのバハマ帰りで真っ黒なTシャツ姿の男が履歴書も持たずになんで面接通ったんですかね?

テンタスは(以下略)

ここでも5年ほど仕事をしてから独立して今のテンタスを立ち上げました。

テンタスの役員5名中、4名は元アイ・エム・ジェイのメンバーです。ちなみにもう1名はフィリピン時代1回目に知り合った旧友でもう25年くらいの付き合いになります。

テンタスは今期で10期目になりますので、もう10年も前の話なんですね。

早い!

最後にお伝えしたいこと

細かい仕事の内容とかを書き始めると色々ありすぎるので割愛しますが、このエントリーを見てくれた人に一つだけお伝えしたいことは

意外とけっこう死なないよ

です。

大丈夫!大丈夫!

いける!いける!

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