短編小説「記念日銀行」
ここは「記念日銀行」。
ただの銀行ではない。預けるのは「記念日」だ。記念日を預けることを「預日」と呼ぶ。預日すると、預けた記念日は普通の日になり、あとで記念日として引き出すことができる。
誰でも預けられるわけではない。ごくごく一部の幸運な人間だけ。
ある街の、ある路地の占い師の元で、ある占い結果が出た者だけが、この銀行にたどり着く。
預日をすると、記念日を共有する全員の記憶から、記念日が消されてしまう。預けた本人だけがそれを知っている。通帳を持ってきて記念日を引き出すと、その翌日から引き出した日数だけ記念日となる。そうすると、共有する全員にとって、その日が記念日として記憶に残るのだ。
いったい、その銀行の目的は何かって?知らないよ、頭取は冗談好きな神様だって話だ。
ある男が記念日銀行に口座を開いた。暗く浮かない顔をして、陰気な男だった。
最初に預けたのは妻との結婚記念日だった。なぜ預けるのかは分からないが、仕事が忙しいだの、そんな理由だろう。週末には引き出しに来るだろうか。
その男が、数ヶ月後にまた現れた。今度は息子の誕生日を預けた。まだ結婚記念日も引き出していないのに、ものぐさな男だ。
また数ヶ月後、クリスマスを預けた。引き出す頃にはクリスマスの時期は過ぎているのにどうなるのかって?世の中のクリスマスの日の記憶と、引き出した記念日の記憶がまざりあうので大丈夫。
男はそうやって、引き出すことなく記念日を預け続けた。丸一年預けると、その翌年、その翌年も同じ記念日を預け続けていつの間にか三年が経っていた。
四年目になると、男はぱったり姿を現さなくなった。記念日を預けるだけ預けて、どうやら引き出す気さえなくなったらしい。
それから三十年の月日が流れた。ある日、一人の男が現れた。なんだか見覚えのある顔だ。そいつは、例の男のハンコと通帳を持っていた。
「僕の父が預けた、記念日を引き出したいのです」
「あぁ、お前あの時の男の息子か」
「そうです、ハンコと通帳があれば引き出せると聞いたのですが」
「もちろん。しかし、あの男、家族の大切な記念日を丸三年分も預けて、引き出さなかったんだぜ。お前、父親のことをどう思っているんだい」
「それは、父がとても家族を大切にしていたからです」
「そうは見えないが…」
息子は三年分の記念日を引き出し、足早に去っていった。向かったのは病院の一室だった。
「お父さん、記念日を引き出してきたよ」
「おぉ、ありがとう。変な頼みごとをしてすまないね」
「ううん、本当に明日から、三年分の記念日がやってくるの?」
「そうらしい。初めて引き出したからどうなるかわからないのだが…」
余命いくばくも無いと医師から告げられた男は、今がその時と、溜め込んだ記念日を使うことにしたのだった。
妻が時計を見ながらそっと言った。
「あと10分で結婚記念日ね。まさか、結婚記念日前日に、私たちが事故に遭うなんてね」
息子が言った。
「お父さん、僕らが眠っている3年間、記念日を預日してくれて、ありがとう」
家族は、男が息をひきとるまで、毎日を記念日として過ごした。