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第二章 2社目:“憧れ”のリセット

2社目:花屋(自営業) 
年齢:25歳 
在籍期間:1年9カ月

「母さん、もういいよな?」
TVでは福島原発の放射能汚染についてのニュースが流れている。発泡酒のアテの厚揚げ焼きをつつきながら、母親の目は反対の意思はないことを示していた。

一社目を退職して私は母がやっている花屋を引き継ぎ、個人事業主としての生活をスタートさせた(失業保険の給付を受けながらなので、表向きは支給が終わる6か月後からだが)。前職で社畜への疑問を感じたこと、脱サラして成功しているキラキラした話(ラーメン屋など)に憧れがあったこと、ばあちゃんのボケが進んできて手がかかることなどがあり、自営業という選択肢はすべてを満たした完璧な選択のように当時は思えた。

しかし現実は厳しかった。脱サラして成功した話は世に溢れているが、失敗した話は目にする機会はほぼない。リスクをとってチャレンジして失敗した人の末路もぜひメディアに取り上げてほしいものである。また、「社畜にはなりたくない!」なんて口ではほざきながら会社の一員でいることにどれだけ恩恵を受けていたことか。畜舎の外で暖もとれず空腹で震えている羊。そうそれが当時の私である。

自営業継続を断念する直接のきっかけは東日本大震災後の所謂自粛ムードによる需要減(3月4月は卒業式などのイベントで花屋は忙しいのだがすべて中止となった)だが、それ以前に貯金は底をつきリース代金支払いも滞りがちになっていた。すでに限界を迎えていたのである。ウオーターサーバーや新聞などの削れる経費は削減し、散髪代すら節約するため髪型すらセルフ坊主に切り替えたが、まさに焼け石に水。CMか何かで見たリクナビNEXTの会員登録をし早く働けそうな求人に片っ端から応募を開始した。

農学部出身ということもあり書類が通るのが農業関連業界でまったく土地勘のない業界だったが、愛知の資材業者や広島の種屋などどこにでも面接に行った(交通費を出してくれれば)。

そんな中、面接が一回で終わり、最も早い入社日を提示してきた外資系メーカーにとりあえず転職することを決めた。当時は仕事内容やオファー内容より、いかに早く現金をもらえるか。それが私の転職軸だった。

そうして私は会社に縛られない悠々自適な個人事業主という“憧れ”のリセットボタンを押したのであった。

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