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「茶の本」を読んで


久々に感銘を受けたので記す。

「茶の本」1906年出版、岡倉覚三が西洋へ向けて英語で書いたものである。
よって本題は「 The Book of Tea」。
それを翻訳したもの。

内容は日本の美意識や文化を、茶道を通して伝えている。
日本の思想は中国の思想の派生である。
それが支那を通じ日本に入ってくる。
その後、中国や支那は蒙古(今のモンゴル)人の襲来を受けてその思想を一度阻害され、発展が止まってしまうが、日本はその影響を受けず、さらに鎖国という状況により、受け継がれた思想の極致へと登る。
それが、茶道という謂わば儀式に宿っている。

というお話し。

具体的にどういう思想かというと、

まだよく分かっていないっす。
何かすみません。
いや、だって、話してる内容難しいし。


道教と儒教があって、それらが入り交じり禅と仏教になったってのは何となく分かったんやけど、
じゃあ禅って何??
仏教って何??
ってのが分からん。
ってか道教と儒教も分からん。
分からんのフルコース。


道教は陽と隠が混じってる感じの絵なイメージ。
儒教は道徳の授業。
禅は座禅。
仏教はお寺。

せいぜいこれぐらいの認識です。はい。


まぁでも、岡倉覚三の言う東洋の思想の極致ってのがどういう考えなのかは、まだある程度理解出来た。

一つ、
永遠というものは存在しない。
不変というもののみが永遠である。
という考え。

一つ、
モノの本質とはカタチではない。
コップの本質はその器の形ではなく、液体の入る空間である。

一つ、
美しさとは調和である。

一つ、
穏やかな心を持ち、自然を見つめなおせ。

簡単に書くとこんな感じだろうか。
多分足りない。
ってか短く書くと間違っている気がする。
でも気にせず自分の言葉で書いていくことにする。


内容はまぁ、読んでくれとしか言わないでおこう。
ほんまに。
これは確実に名著で、今まで読んでなくてすみませんと思った。


現在、
東洋の思想ないし日本の文化というのは、もてはやされている。
ペリー来航以降、その東洋独自の表現や文化は(茶の本の著者、岡倉覚三らによる影響もかなりあり)世界に広まるが、
一方で、日本の西洋化に伴い、その東洋独自の思想は薄まっているのではないだろうか。

個人的に思うのは、薄まっているというよりかは、色々な思想が溢れているのだろうと思う。
街に行けば音楽が鳴り、ネットで映画が見れる。そこでは一つのテーマのもと、人は様々な作品を知り、好みの作風を求め出しているのではないか。
多種多様の作品、得手不得手関係なく見る人見せる人に分かれて混在する世界。
コレが面白いーワーー、
アレがすごいーワーー、
って感じだろうか。


まぁ良いと思うで。

すごく便利になって人間万歳って感じの世の中やと思う、実際。

けど、先人の人たちが気の遠くなるほど長い年月をかけて考えてきた思想は、ちょっとポチッとしてサッと読んだ程度では絶対に分かるモノではないと思う。

もう少し一つのことを深く探っていくことが、僕はすごく苦手やけど、それが必要なのだと思う。特に現代人は。知らんけど。

でもオタクと呼ばれる人たちはそういう素質はあるのでは…。
いやしかし、思想とは多分知識ではないから、また別の問題かもしれない。ウニャムニャ。

まぁ置いといて、

美学。

美しさの学問とは、何だろう。
それはつまり、美しいと思われるものを論理的に説明出来て創れることなのだと考えている。

意図的に美しさを作ること。
特に芸術家と呼ばれる人たちならば持っていなければならないスキルではないのだろうか。

自分も芸術家の端くれなら、演出を志すなら、
この東洋の思想から生まれた東洋の美学というモノを、
もっと深く理解していきたいと思う所存なりけり。

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