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優しさは育てられるのか(2)

きのうから考えている『優しさ』

『優しい言葉』と『優しさ』はどうしようもなくちがっていると思うのです。私は『優しい言葉』の使い手になりたいのではなく、ただただ自分のなかに『優しさ』が育てられるのならそうしたい。『優しさ』をもつことができるなら、そうしたい。

絶句してしまうほどの優しさを、なんの計算もなく『ど』ストレートに出してくるのがピースの又吉直樹さん。優しさについて何かとくべつに学んだ人でも、研究してる人でもない(と思う)。高校時代、同じように太宰治を読みあさったわたしにも、かけらほどの優しさがそなわっていればと思うのだけど、又吉くんの優しさはいつだって予測を軽々と上回る。

又吉くんの出演してるEテレの『ヘウレーカ!』で少し前に『同調圧力』をとりあげていたのだけど、

同調圧力:あきらかに間違ってる答えや意見を、(その場において)声の大きい =『つよい』人が言うと
まわりの人はそう思っていなくても、ついその人の答えや意見にあわせてしまう、というもの。『つよい』人ひとりの意見が(ほとんどの人が黙っていたとしても、)さも多数派の意見であるかのように勘違いしやすいとか。

身近な人間関係を例に、「あの人のこと無視しようよ」って言われたらそんなのよくないと思ってても一緒になってしちゃう、だって自分も嫌われたくないから。とか、ゲストのぼる塾の3人もけっこうストレートに話してた。SNSでの批判や中傷とかについても、つぶやくのはその人の自由だから、受け手としてはしんどいけれども受け止め方を変えるようにしてるとか。

ここからの又吉くんが超・強烈だった。(注:一言一句書き起こしではありません)

その人(誹謗中傷コメントを書き込むような人)がもしかしたら、それを言わずにはいられない、言ってしまわないと死ぬことを考えるようなそんな夜だったりするのかもしれないって思うと、(書き込むことぐらい)まだいいような気もするよね。(でもそれが人の命を奪うようなことがあってはダメだけどね!)

こんなこと思える???

この意見に限らず、いつだって又吉くんの発言は優しさで充ち満ちで、うっかりすると泣けてくる。誰かに向けて優しい言葉を言ってるのではないんだ。文章を書くプロだから、優しい言葉を選びとって出している、のではないんだ。彼自身が優しさでできてるんだ。いつも、その優しさにちょっとふれることができただけで、自分の心が濁りがとれてちょっとだけ透明になったような気がする。

まだ考えている。優しさは、育てられるんだろうか。

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