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かかえこむ人

『手放す』という言葉を、繰り返し繰り返し耳にするようになったのはオーラソーマの講座がきっかけだったと思います。
日本語を母国語として生きてきたので、もちろん『手放す』という言葉を聞いたことがないとか、理解ができないとかいうことではありませんが、『手放す』をこんなにもシャワーのように聴くことになったのはその頃かと。
エンジェルカード、オラクルカード、いろんなところで『Release』『手放す』という単語を聴くようになり、目にするようになり、
そしてオーラソーマで依存/共依存、執着について学ぶなかで、自分がつよく握りしめて離せずにいたものがあったことを、細胞で理解しました。

あなたがそれを持ったままでは、これは掴めないから、いったんこっちに置こうよ。そう、いったんでいいんだよ、と(いま思えば)友達がわかりやすく伝えてくれていたのを、そのときはわからずにいた私がいる。友達も呆れていただろうと思う。だから、わかったときにとても力が抜けたのをおぼえています。
あれから何十年。

状況はそれぞれちがうんだけれど、あるものを『抱え込んで離さないでいる』人をこの数週間のうちにふたり、目にしました。

ひとりは、一緒に遊びたがっている子が伸ばした手を振り払い、自分が遊んでいたおもちゃを文字通り『抱え込んで離さない』状態でかたまってしまった子。
大げさではなく、フリーズです。
『なにかしようとするな』が頭をよぎったのでそのまま観察していると、その子は別に誰とも一緒に遊びたくないと思っているわけではなく、黙って手を伸ばしてきたその子のことが怖かったよう。身体がおおきく、年齢も上だということもあると思う。でもいちばんは空気だったかも。何度かその場面を目にしましたが、観察だけしていました。硬直、フリーズ。小さい人には不似合いな肩凝りとか、もしかするとあのあと出たんじゃないだろうか。

もうひとりは、仕事を抱え込んで離さない人。過剰に抱え込んで渡さない、頼まない、なんでもひとりでやろうとする。すでに無理、なのにさらに引き受ける。涙目、残業、疲労困憊、満身創痍。
そうです、私はこの方から仕事をもらわなければいけないのです。そして、私がこの先担当することになることも決まっている。でも、ここまではあげる。この先は渡さない。が凄くて、私もぶつ切りでしか理解ができず、流れが掴めない。次の月になって突然ぜんぶお願いって言われても困るんだけど、、、と思いつつ、それに対して『なにかしようとしない』を徹底して観察しています。状況はまわりのひとも見ているし、私は別にさぼっているわけじゃない。

先日お達しが来て、どうしてもどうしても抱え込んでいる業務を減らさなくてはいけなくなり(=適切に分配し分担することになった)、しぼんだ風船みたいに一気に元気がなくなった。しょっちゅうため息をつくし、暗い。『私でなければできないこと』だと思っていたことを取り上げられるのって、たぶん痛みをともなう。それを感じる。

そして、見ている私も思う。私も、これは私にしかできないことだと思って勝手に引き受けていることがある。端からみたら、まったくもって必要のないことで、さっさと手を離せばよいことだろうと思う。
この夏に起きたことですべてがひっくり返った。矢継ぎ早にいろんなことが変わり、仕事を辞め、仕事を変わり、住む場所を変えた。落ち着いたら必ず連絡してねと言われていたことをいま、思い出した。

握りしめているつもりはない、それはオーラソーマを学んでいた頃の、まだ『手放す』がわからなかった頃の私と、ほんとうは変わらないのではないか。

整体に行って、
「身体の力を抜いてください」と言われる。
「抜いてます」
「いやいや真面目にお願いします」
みたいな、力が入っていることに気づけないでいるのではないか。

おもちゃを抱え込む子ども、仕事を抱え込んで離さない人、そして私。

私がしがみついているものは何だろう。何が怖いんだろう。私以外の何を、私だと思い込んでいるんだろう。

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