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苗字のエネルギー

noteをはじめた頃は誰かのためになるようなことやちょっとでも有益なことを書こうと思っていたのだけど、もうずっと長いこと、まったく書けていません。そんなんだったら書くのをやめてしまえばいいとも思う。それと同時に、書くのをやめてしまったら、ほんとに書かなくなるような気もする。ごめんね。あなたにとって何かの役に立つようなことはないかもしれない。それでもただの日記かといったらそうではないです。私のためにはなっている。


明るく開放的で、気さくに誰とでも話せて、心から『人が好きだ』と思っていたことがかつて私にも、たしかにあったのです。そのことがいまでは信じられない。ほんとうにそうだったのかどうか、思い出せない。どうしてこのことをいま書いているかというと、夢で見たからです。今朝。

夢の中で私はおみせやさんをしていました。私が使ってて好きでいいと思うもの。かわいいと思うもの。私がつくったもの。ごっちゃごちゃに置いてあって、お客さんが好きなように見ていて、これいいでしょう、こんなにして使うんですよって私が説明している。ラッピングお店の前に株分けした植物を置いていて、それ持っていっていいよって小学生に言ってる。これは北海道からの荷物を受け取ったからかもしれない。だって私は長いこと、雑貨やさんに行っていないもの。
こんな光景が、こんな体験が私に戻ってくると思いたい。

変な言い方ですが、そしてこれまでどこにも書いたことがありませんが、個人的にはある時を境にどんどん世界から社会からぐんと距離があいているように感じているのです。
それは結婚です。
あ、結婚がいいとか悪いとかっていうことではないのでそこは強調しておきたいです。結婚のせい、ということではないです。

私は名前が変わる前にある程度の覚悟みたいなものをしていました。名前が変わる=纏うエネルギーが変わる、だと思っていました。これは誰の人生にも起こり得ることだと思います。結婚でなくても養子縁組とかで変わることもある。
そして本名として名乗ることにより、エネルギーが多かれ少なかれ変わるだろう、それにうまくのっていけますようにと思っていました。
もちろん夫婦仲良く家族関係は良好ですが、個人的にずっとひっかかっていることをあげるとすればこのことになります。
私が屋号を変えることや自分の名乗る活動名を変えたくて必死になっているのは、このことも連動しているのかもしれない。
結婚後の本名には違和感はありませんし、おさまりよく居ると思っています。でも振り返るとタイミング的に、この時を境にスパッと分断されているような気がします。しつこいようですが名前のせい、ではないです。エネルギーがもし、つかまえられるものだとしたら、私がそこに負けているのでしょう。乗りこなせていないのでしょう。

屋号のことも活動名のこともずっと考えています。正直なところ、焦りもあります。でもこの状態だとやってこないのだろうこともわかります。そんななか、梅雨明け間近な島で今日も夫と日曜日をすごします。


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