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「人間らしく生きる」の意味が問われるコロナ禍 「つながり」を意識する

哲学者、内山節先生のお話をオンラインで聞く機会がありました。自律した個を前提とする西洋哲学に対し、内山先生は「関係性」を基軸に据えます。人は人と人とはもちろん、自然と人、自然と自然という重層的な関係性の中にある関係的存在という考え方です。新型コロナウイルスも関係性の視点で捉え、示唆に富むものでした。

ウイルスも関係的生命

ウイルスという存在もまた、人と人、自然と自然、自然と人という関係の中に生命基盤を持つ。同時に、ひとつずつの個体としてではなく個体同士が関係しあいながら全体としての生命体を形成している。二重の意味で関係的生命であるととらえるのです。

ウイルスは関係を絶てば生きられません。だからロックダウンや「自粛」のように人と人との関係性を絶つことは、ウイルスの生命を弱らせることにつながります。でも、それは同時に関係的存在である人の生命力もまた棄損することになります。人と人との関係を完全に絶つことなど不可能である以上、ウイルスとの共存は不可避であり、だからこそどのように共存していくかを考える必要があるのです。その際の視点として、どのような関係を維持し、どの関係を休止させればよいかを考える必要があると、内山先生は指摘します。

「細くする関係」と「太くする関係」

同時に、どこかで関係を細くすれば、その分どこかで関係を太くしようとするのが、関係的存在としての生命だとも言います。「細くする関係」と「太くする関係」という言葉を使っていました。人と人との関係でいえばそれは「つながり」を細くする、太くする、切る、新たに結ぶ、といった言い方に変換できるでしょう。

内山先生のお話をうかがいながら、コロナ禍での「つながり」の一つの事例として考えさせられた、次の記事を思い起こしました。

もともと地域の「居場所」としてあった場が、コロナ禍でどうあるべきかを考え、感染リスクをある程度覚悟したうえで場を開き続けた結果、新しい「つながり」が生まれた一つの事例です。細くなる部分はあっても、太くなるものも生まれていく可能性を示していると感じます。記事の中にはこんな一文があります。

大切なのは、人間らしい最高に心地良い距離感をもう一度考えようよということだと思うのです。人間らしく生きるってこと、まちに暮らすってことは、何のかをもう一度、考える

生活、生命の危機に瀕している人とのつながり

まさにこういうことだと思うのです。そして、「人間らしく生きる」という点でいえば、忘れてはならないのが、失業して住まいを失った人やシングルマザー家庭など、コロナ禍で生活や生命の危機に瀕している人の存在です。人として生きるために支え合うこと。まさに「関係を太くする」ことこそがいま求められています。

危険は、医療・介護従事者や物流など社会基盤維持に携わる人たちに丸投げして、自己の生命の危険を軽減するためにひたすら「自粛」して関係を細くしていればいいのではなく、大切な関係とは何かをみつめ、太くする行動が求められるように思います。その大切な関係、あり方を見極めるのは、私たち一人一人に委ねられています。この選択は専門家と称する医療関係者には判断できるはずがないからです。彼らは関係を絶つという単視点でしか判断できないから。関係の休止、細くする方向にしか目が向かないから。

リスクへの覚悟

私たちに委ねられているとは、言い換えると、人と人の関係の中で感染の危険をある程度引き受ける覚悟、リスクを負う覚悟をすることでもあります。でも、関係的存在である人には避けて通れないことだと考えます。経済がもたないから緊急事態宣言を解除していくのだという議論はともすると、「生命か経済か」の二分論に陥りがちです。でも、そんな単純な話ではないと思います。以前「コロナ時代の日常と非日常の境界線」で記しましたが、むしろ「生命と生命」をはかりにかけるようなヒリヒリとした選択のはずなのです。関係的存在であるからこそ、私たちは辛くともその選択をしなければならないし、できるはずだと思うのです。

寄付、感謝の言葉を伝える…できることはある

そこまでいうと腰が引けそうですね。でも、まずは身近なことに目を向けたい。いま自分にできる「太くする関係」は何かを考えて行動する人が一人でも増えていくことこそが、いま求められているし、with&afterコロナの時代をつくっていくように思います。

自分には何もできないという人もいるでしょう。でも、できることは必ずあると考えます。寄付をしてもいい。医療・介護従事者、宅配ドライバー、スーパーの店員、農家の人たちなどに感謝の言葉を伝えるだけでもいい。近所の飲食店をテイクアウトでも利用する。経済規模の縮小で余剰になった食品を購入する--。自分の仕事の中でつながりを意識し、「誰かの役に立つこと」を少しでも意識するだけでもいいのではないでしょうか。私たち一人一人は微力だけど無力ではない。コロナと共に生きていくなかで、人と人とのつながりを一層、強く意識して関係的存在としての人として生きる。コロナ禍は「人間らしく生きる」ことの意味を問うていると思います。

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