オンライン会話は学級会的 「いかがわしさ」が消えている
ZOOMなどのオンラインコミュニュケーションについて、先日「オンライン会話はナルシズムコミュニュケーション化する」と記した。おそらくそれも原因の一つなのだろうが、どうもオンライン会話に感じる違和感は参加者が「いい子」になりがちになるというか、「脱線」が起きにくい点にあるような気がする。ZOOMの場合、ホストによる中央集権的管理が働くせいもあるのかもしれない。
茶々のいれにくさ
そもそも参加者が一斉に「わーっ」としゃべりだすと、リアルの場とは比較にならないぐらい何が何やらわからなくなるという前提条件があるので、話す際に秩序が保たれる。学級会で手を挙げてしゃべる感覚だ。リアルの会話では茶々を入れたり、冗談を飛ばしたりすることで流れが自然に曲がることがあるし、話し手の感情が刺激されて思わぬ展開になり、思わぬ方向に議論が深まることや、場合によっては険悪なムードで「表に出ろ」となることもある。だが、学級会的雰囲気と微妙な時差のためなのか、こうした可能性があまり感じられないのだ。予定調和的というべきか。
「いい子」になってしまう
こう感じるのは、まだ経験が少ないからどこか「よそゆき」の体なのかもしれない。経験を積んで、すでにオンラインで侃々諤々、喧々囂々、取っ組み合いになりかねない議論の盛り上がりを経験している方もいるのかもしれない。でも、鏡を持って自分を客観視しながら会話していること、場がきっちり整理されて画面上では全員が雛段に並んで同じウエイト、平等性が視覚的に保たれている(ZOOMのギャラリービューを前提に書いている)ことで、よほど強い意思や思いがないと「いい子」になってしまう気がする。議論を深めるうえで時に有効な、「いかがわしさ」みたいなものが乏しくなっているように感じる。
今後、オンラインコミュニュケーションがごく当たり前のものになると、こうした違和感は消えていくのだろうか。
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