マガジンのカバー画像

お寺が居場所

20
コンビニより数の多いお寺。社会的リソースとして考えると、地域においてとても大きな役割が果たせる場です。多くの人たちにとってのサード・プレイス、居場所としてのお寺についてつらつら。
運営しているクリエイター

記事一覧

寺カフェで集い語り合う 「墓友」というつながり

(*この原稿は、毎日新聞WEB「医療プレミア」で筆者が連載する「百年人生を生きる」2019年2月6日公開の記事です) 家族関係が大きく変わる中で、私たちが迎えた多死時代。少子化で後継ぎがいない、地方から都市に出てきたので菩提寺(ぼだいじ)がないといった事情を背景に、従来の「家墓」「先祖代々墓」とは異なる墓を選ぶ人が増えている。墓石を使わない「樹木葬墓地」や、都会で次々と販売されている納骨堂だ。「家」に縛られず、最後に眠る場所を自分が選ぶ時代になった。その選択が新たな「つなが

僧侶交え死を語る 滋賀県が第1回死生懇話会

※文化時報2021年3月11日号の掲載記事です。  生と死について考えるきっかけを作ろうと、滋賀県は6日、「第1回死生懇話会」をオンラインで開催した。浄土真宗本願寺派僧侶で龍谷大学農学部の打本弘祐准教授ら委員6人が、それぞれの立場から意見を出し、三日月大造知事らと語り合った。  誰もが避けられない死と向き合うことで、限りある生を豊かに生きるための施策を探るのが目的。価値観の押し付けや一定の結論を出すことはせず、自由に語り合うことで、県民らに死生観を深めてもらう。死を真正面

日本人の利他性と「無自覚の宗教性」

 現代の日本社会では、自分を無宗教と考える人が7割と多数派で、いわゆる教団型の宗教、「見える宗教」を信仰し、実践している人は少数派である。とはいえ、日本人の精神基盤には、今なお、宗教と関わり深いものが残されている。宗教や信仰に関わる初詣でや墓参りなどの儀礼、祖先祭祀を行っている人は七割ほどに上り、また宗教的な心を大切とする人も69%いる(2008年統計数理研究所「日本人の国民性調査」)。  日本では、個人や団体が慰霊塔、モニュメントを建てる。また、人の死を悼むだけでなく、針供

宗教法人が行う 社会貢献活動について

 文化庁が、宗教法人の社会貢献活動に関する考え方を、公益財団法人日本宗教連盟および都道府県宗教法人事務担当課宛てに発出しました(令和3年1月25日)。 文化庁「宗教法人が行う社会貢献活動について(情報提供)」https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/ https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/pdf/92805001_01.pdf  日本宗教連盟からの働きかけへの応答です。本文書の

宇宙寺院は「寺」なのか?

寺の「機能」ってなんだろう? 京都の醍醐寺が人工衛星に「宇宙寺院」を開くという記事を読んで違和感を抱いている。記事によると、人工衛星に本尊となる大日如来像や曼荼羅を搭載し、衛星軌道に打ち上げて「寺院」とするという。 訪れることのできない、まさにただ仰ぎ見るだけの対象(モノや建物)は寺なのだろうか? それは、博物館のガラス越しにみる仏像とあまり違いがないように感じてしまう。寺は、仏道を求める人が集ってこその「場」ではなかったか。それとも「寺とはありがたい場所なのだ。衆生は来な

afeterコロナに残る葬送の儀礼とは

亡くなった人を送る、弔う儀礼として、最終的には何が残るのだろう。新型コロナウイルス感染拡大の中で、お葬式が大きく変容している。葬儀・告別式という流れは、今回のことがなくても葬儀の縮小化の中で風前の灯だった。家族葬が一般化して参列者は減り、「一日葬」や「直葬」などの広がりで、通夜から告別式までして火葬という形の葬儀は減っていた。それが今回のコロナ禍でとどめを刺された。 火葬場での別れの重要性感染して亡くなった方は、志村けんさんに象徴されるように、感染防止のために遺族が最後のお

WITH&AFTERコロナ時代 「引き算」の生き方と「祈り」こそ

新型コロナウイルスのパンデミックは、いつかは収束していく。その時、私たちはもう「beforeコロナ」の生き方には戻らないだろう。オンラインによる会話、テレワークの普及といった変化はもちろん、死生観の変化といってもいい、もっと深い、本質的なところで生き方が変容し始めていると考える。「with&afterコロナ時代」には、「引き算」の生き方こそが求められているのではないか。その生き方を支えるのが「祈り」なのではないか。 はかない命 無常いま私たちは日々、感染の恐怖におびえている

お盆と参院選 「死者の眼差し」を意識したい

参院選には死者の眼差しを意識してみたい。 東京はお盆を迎えている。初日に迎え火を焚いてご先祖様の霊を迎え、最終日には送り火でお見送りする。先祖供養の日だ。送り火の風情は嫌いではない。もの悲しさ、それを共有する家族らとの一体感を共有する時間、風情は日本人の原風景の一つだろう。特に、8月のお盆の送り火は夏の終わりを感じさせる宵に行われ、寂しさ、哀しさが増す。死者を否応なく意識する。 生者に死者が凝縮する 日ごろ意識することの少ない、死者と生者の交流を意識する貴重な機会だ。この

ネットラジオに出演 お寺の話をしました

群馬のお坊さん、長谷川俊道さんが主宰して毎週更新しているネットラジオに出演しました。4週にわたって、お寺について思っていることを対談で語っています。たどたどしく、お耳汚しですが、お暇なときにでも。最初からおおむね5分過ぎたあたりから対談が始まります。個人的には、4回目がやはり少し落ち着いている感じがしました(笑)。わたしてきには一押しの、テンプルモーニングや、おてらおやつクラブの話題も4回目が中心です。 #寺 #テンプルモーニング #おてらおやつクラブ

「看仏連携」看護とお寺の出会い 人生最終盤から死後までの連携を

大阪・大蓮寺で1月18日、「看仏連携」という催しが開かれた。副題は「あなたの街のお寺が<人生会議>の舞台となるために」「<看護と仏教>地域包括ケア寺院の可能性を考える」だ。人生の最終盤を支える看護師と、ともすると死後のことだけ顔を出すと思われている僧侶が連携、協働することの意義、実際にどうするかを考える場だ。全国各地から集う約100人の参加者は僧侶と看護関係者がほぼ半々。4時間以上にわたり熱気あふれるトークが繰り広げられ、これを機に実際の「動き」が広がり始める予感が満ちた。私

とんちんかんな寺院マーケティング

最近、いわゆる「彼岸寺」的なサイトがまた増えてきている。そんなに需要あるのかね?あちこちから取材依頼、連載依頼など声かけてもらうが(思い出してくれてありがとう)実際のところ、下心が見え隠れして困惑している。きもい。 あるキーワードで検索してくるユーザーのトラフィックがほしくて記事を書きませんかと近づいてくるサイト。ほんと迷惑していたが、最近グーグル先生が一掃してくれたようでよかった。なんの下調べもなく活動の質問を送ってきて、スケジュールの都合で今週中に回答してくださいという

¥300

お寺のソーシャルデザインを安心して忘れるために書きとめる。

昨日に開催した、お寺のソーシャルデザイン。寝て、いま浮きがってきた感想や問いについて書きとめておく。一度忘れるために。 お寺の社会の射程お寺のソーシャルデザインというときの「社会」ってなんだ、どこだ。国家なのか、都道府県なのか、市町村なのか、集落なのか、檀家との関係なのか。 仏教教団の大きな動きとして、これまで仏教やお寺とご縁のなかった人たちと、どう接点を持つかに、悪戦苦闘している。大きなマスに目掛けたアプローチ。しかし、全国各地にある各寺院からすると、それよりも対象とな

イベントレポート『親鸞とインターネット』- お寺はやさしい居場所

こんにちは。未来の仏教ラボ 事務局長の遠藤卓也です。 1/23(水)に、東京 神谷町・光明寺にて『親鸞とインターネット』というイベントが開かれました。 このイベントは、インターネットビジネスの起業家・実業家・投資家として知られる家入一真さんが主催するU20の若者コミュニティ「やさしいかくめいラボ」と、未来の仏教ラボの共催で行われました。 とはいえ未来の仏教ラボは「相乗り」させていただいたような形で、実際にご協力できたことは未来の仏教ラボのお坊さんたちに声がけをした程度。

お坊さん、対等な立場で話ができる人がいますか?

お坊さんの集いに招かれてお話しする機会がある。以前このノートにも「お坊さんに期待する3つのA」や「お坊さんとCSR」などで、考えの一端を示しており、そんな内容のお話をさせてもらう。でも、そこまで難しいことをいわなくても、お坊さん向けにもっと簡便な一言がある。「お檀家やお坊さん以外に、相談できる相手がいますか?」という問いかけだ。 失礼ながら、多くのお坊さんの「世界」は、狭い印象がある。僧侶同士の交流、しかも同じ宗派内にとどまることが多く、他宗派とはほとんど交流がない。俗世の