質問1536:紙の上だけで起きる問題でもない
回答
▶前提(イメージ)が違うのだから
なるほどなるほど。
そういうことなんですね。
テニスコーチが生徒の持つラケットに手を添えてスイング軌道をなぞらえても、生徒さんには目に見えない運動エネルギーの連動がないから、再現性は伝わらない。
それってもしかすると、もりおさんの描くイラスト や、私が書くテキストも、同じではないかと思ったしだいです。
たとえばテニスの文章を書く私がある人の持つ鉛筆に手を添えてテキストを綴ったとしても、その人が同じ発想の文章を書けるようにはなりません。
それは、テニスにまつわる前提(イメージ)が違うのだから、同じようになるはずがありませんよね。
スイングもイラストもテキストも、「表面的な形」だけをなぞらえても、再現性は伝わらない。
にも関わらず常識的なテニス指導は、鉛筆に手を添えてなぞらえれば、同じ発想の文章が書けると伝えるミスリードではないかと思ったしだいです。
▶「現象」にとらわれると、「本質」が見えなくなる
「手品師の手口」につきまして。
サービスが打てるようになるには、サービスボックスやネットが目で見なくてもどこにあるかを正確にイメージできる空間認知や、このタイミングで打てば入るという本人なりのスイングスピードや力加減などを統合する打球感覚が必要なのですけれども、この軌道をトレースすれば再現性が高まると伝えるために、フラット、スライス、スピンの各サービス軌跡を矢印で説明したりして。
もちろんすべてを否定するつもりはないのですけれども、現象面ばかりに注目が集まると、本質が目隠しされるのです。
おっしゃるとおりですよね。
「多すぎるのだったら、どれでもいい」などと、読者は受け取ってしまいます。
それは申し訳にくいのですけれども、解説者自身が一生懸命になりすぎて、上手くまとめられなかった混乱による「盛りすぎ」なのでしょうね。
▶本質はどこにある?
これはスイングもイラストもテキストも、そして曲も、同じなのでしょうね。
もりおさんが教えてくださった四畳半フォークが伝えたかったことは、「赤い手ぬぐいがマフラーになる」代用品としての使い方でも、「クレパスが24色ある」数のバリエーションでも、「神田川沿いのアパートは三畳一間」の矮小だった住宅事情でもないと思うのです。
まるでそれらの現象面を説明しているだけなのが、「常識的なテニス指導」と言ったら、言い過ぎでしょうか?
本質はどこにある?
それを共有するのが、「伝える心」「伝える技術」でしょうか。
追伸
四畳半フォークは、「共有される世界観」が人々の心をつかみました。
その「伝える心」そして「伝える技術」が、圧巻だったのでしょうね!
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO(テニスゼロ)
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