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フリードリッヒ二世と13世紀ヨーロッパの歴史

歴史に無知な読書好きが13世紀・中世ヨーロッパに関する本を読んでみた~「フリードリッヒ二世の生涯」と「シチリアの晩禱」

塩野七生といえばやはり「ローマ人の物語」。特に第1巻「ローマは1日にしてならず」第2巻「ハンニバル戦記」は何度も読み返すほど好き。
しかし中世~ルネサンスものは陰惨・残酷なイメージがあってあまり読んでいない。「海の都の物語」は好きだけど。「ローマ人の物語」も、帝国がキリスト教化されて以降の部分は読んでない。私が魅力を感じたローマ人は、八百万の神々を隔てなく受け入れる寛容で現実的合理的な人々であったから。

しかしこのフリードリッヒ二世、中世では相当型破りな人物らしく、興味がわいて読んでみることに。
塩野七生「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」(新潮文庫上下2巻)

以下、ツイッターに書きなぐった感想~

塩野七生「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」読み始めた。
文庫100ページにも到達してない現在までで…
主人公3歳で神聖ローマ帝国皇帝の父が、4歳で母が亡くなり天涯孤独~14歳で自ら成人宣言!シチリア王として活動開始~17歳・ライバル、オットーと対決するため10人程度の随行のみでイタリアからドイツに乗り込む!
展開はやっ
これ、小説の架空の人物だったら「いくら歴史ものでも荒唐無稽すぎますよ」って編集に怒られるやつでは??

フリードリッヒの第6次十字軍。一滴の血も流さず外交によってイェルサレム譲渡が実現した…ってすごい!!!!
神聖ローマ帝国皇帝とイスラムのスルタン、両者ともに知性理性を持った現実的思考の為政者だからこそ実現した奇跡。
中世においてはこの2人の方が完全に少数派で、ローマ法王はじめ聖職者は「聖都奪還はキリスト教徒の血を流してこそ。異教徒と交渉するなどけしからん!」と怒りまくってて・・・自分に縁のない宗教にあれこれ言うのもなんだが、これに関しては「おまえらこそ地獄に堕ちろ!」と思うしか…

フリードリッヒ二世の生涯読了~
序盤から思ってた事だけど…フリードリッヒって塩野先生の好みど真ん中だなあと。バリバリの現実主義合理主義で政治家としての腹黒さあり一流の知識人教養人でもある。寛容で人間的魅力にあふれ女癖はすこぶる悪いww
カエサルの面影を感じる
「こんなに凄い人なのにあんまり知られてないし評価されてないのおかしい!」という推しへのオタクの思いみたいなのが行間にほのかに漂っててww
実際ほんとに規格外の凄い人物。暗黒の中世に突如出現した近代人。実は現代もしくは古代ローマからタイムスリップしてきた…って設定が滅茶苦茶ハマりそう


一応高校時代は世界史選択でしたが、この時代及び人物に関してほとんど記憶がなく・・・13世紀という時代を一から履修しつつ、フリードリッヒという傑出した人物の生涯をたどる物語は非常に読みごたえがありました。

フリードリッヒ二世の魅力~
・封建制を主体とした中世ヨーロッパに近代的な中央集権的法治国家を樹立しようとした
・ローマ法王が世俗の君主の統治に介入することを抑止しようとした~今でいう政教分離
・第6次十字軍のように外交を重視し無駄な戦争はしない~人道主義ではなくバリバリの合理主義ゆえに
・幅広い教養に富み(哲学~数学)、大学創設など教育・人材育成に尽力した
・語学に堪能で人種・宗教に対する偏見がない

現代人から見るとフリードリッヒの考え方はすべて理にかなった納得のいくものだが・・・どうやら同時代の中世の人々からするとあまりにも先進的過ぎて、宇宙人を見るような違和感・恐怖感を抱いたのかもしれない。

フリードリッヒの凄さはわかったが…証拠として残っている文献が少ないためか、「ここもっと詳しく知りたーーい!!」という肝心なところがあまり深く事情がわからないまま、というのが多くてもどかしい。

もちろん筆者による見解や推測が補足されるものの、物足りなさは残る。
だからと言って想像を膨らませてフィクションにしてほしいかというと・・・私はやっぱり、塩野先生の作品は小説より事実を丁寧に積み重ねた記述の方が好きなんだよなあ。


そしてエピローグ的な部分でちょっぴり出てくるシチリアの晩鐘の話、オペラにもなった陰謀事件に興味を惹かれ・・・もっと詳しく書かれた書籍がないかと調べたところ見つけたのがこちら。
スティーブン・ランシマン「シチリアの晩禱 13世紀後半の地中海世界の歴史」(太陽出版)
さっそく入手して読んでみた。


「シチリアの晩禱」。塩野先生の描いたのとは別の視点で見た13世紀後半のヨーロッパ史。
教科書的な内容と味もそっけもない訳文で、先にフリードリヒ読んでなかったら飽きてただろうな~
書き手が違うとこうも見方が違うか!という対比の面白さがあって興味深い。

日本語訳、こちらでは「晩鐘」ではなく「晩禱」となっている。
「フリードリッヒ二世の生涯」が13世紀前半なのに対し、こちらは13世紀後半の歴史。
すさまじい数の人物が登場するが、中心となるのはアンジュー家のシャルル。フリードリッヒの息子マンフレディから南イタリア~シチリアを奪った人物。

ランシマンがこの著作を出したのが1958年。日本語訳が立派な装丁で出版されるくらいだから西欧中世史の大家であり、中世史の古典・教科書的なものなのだと思う。きっと塩野氏も熟読してるはず。
これが西欧歴史家の代表的な世論だとすると・・・「フリードリッヒ~」の中でしばしば漏れ出てくる塩野氏の苛立ちや主張の意味するところが何となくわかってくる。

序盤では当然フリードリッヒについても触れられているが…ランシマンのフリードリッヒに対する視線はかなり冷ややか。

政治的な手腕、知性教養については高く評価するものの、その業績や人間性についてはまったく評価していない。
近代的法治国家建設の礎となる「メルフィ憲章」のメの字も出てこないし、私があんなに感動した無血十字軍についても「キリスト教世界のためではなく、私心にもとづくもの」、と片づけている。
古代ローマ帝国の栄光を夢見た不道徳で不遜な人物であり、歴代教皇から敵視されたのも当然、といった論調。
これはフリードリッヒ好きなら、不当な扱いだ!と抗議したくもなる。

一方、塩野氏が凡庸な人物としたアンジュー家のシャルル、フランス王ルイのことをランシマンは高く買っている。

アンチキリスト(キリストの敵)と称されたフリードリッヒとは正反対に、聖王という尊称付きで呼ばれたフランス王ルイ。いわゆる「いい人」ではあったらしい。彼が率いた十字軍は惨憺たる結果でなんの功績も残していないのだが・・・

シャルルに関しては塩野氏が簡略にしか触れていないのに対し、ランシマンの方は膨大な資料を駆使して詳細に記述しているため、判断が難しい。
塩野氏の記述ではシャルルは取り立てて傑出したところのない人物に思われるが、ランシマンの描くシャルルは壮大な野心を持つ13世紀後半の主役的存在。統治者としても武人としてもかなり評価が高い。

しかし彼の統治者としての手腕の多くは、フリードリッヒが築いたものをうまく利用しただけでは?とも思えるし、武人として彼が相対したマンフレディやコンラーディンがさほど強いライバルでなかったから勝利できたのでは?とも思える。

シチリアの晩鐘事件。ドラマチックな陰謀物語としてではなく、シャルルの野望とどのように関わり、どういう流れでそこに至るのか、というランシマンの広い視点から積み上げられた記述は重みと迫力があり、非常に読みごたえがあった。


逆に塩野氏が作品中で何度も触れているのにランシマンはまったくスルーしていることも・・・

塩野氏が強い口調で糾弾した中世キリスト教会の過ち、異端裁判(魔女裁判)にランシマンは一切触れていない。13世紀歴代の教皇の人柄や業績についてひとりひとり言及しているにもかかわらず、200年にわたり中世ヨーロッパに忌まわしい影を落としたこの制度について触れないのはかなり不自然。
歴史学者として公正であろうとしつつも、「教会の罪」を糾弾することまではできなかったのか・・・
下記の謝罪があったのはランシマンが亡くなった年のことである。


西暦2000年、ときのローマ法王ヨハネス・パウルス二世は、長年にわたってキリスト教会が犯してきた罪のいくつかを、世界に向かって公式に謝罪した。そこにあげられた項目の一つが、異端裁判であった。

「フリードリッヒ二世の生涯」より

しかしランシマンの歴史観が信用に欠けるとは言い難い。
実際のところ、フリードリッヒが抱いた壮大な野望…法治国家の樹立、古代ローマ帝国のごとき平和で安定した社会を実現する夢は、彼の死とともにはかなく崩れ去ってしまった。
息子たちの敗北によって、ホーエンシュタウフェン家という父祖から受け継いできた家系の繁栄も終焉した。

砂漠に花園をつくろうと砂に植えた花々は一瞬美しく見えても結局、根付くことなくすべて枯れてしまったかのよう。そんな虚しい野望のために西欧世界全体を混乱に陥れた、という見方もできなくはない。

神聖ローマ帝国皇帝として片足を封建制のドイツに置きながら、イタリアでは近代的法治国家という革新的な国家運営を進め、常に敵対するローマ法王と丁々発止で渡り合い、隙あらば反旗を翻す北イタリアの都市国家と断続的に戦い、聖地イェルサレムとイスラム勢力にも目配りを・・・なんてことを数十年にわたって同時並行で対処してきフリードリッヒ。超人です。

しかしそれを引き継げる後継者は・・・偉大な父の背中を見て育ち英才教育を受けても、やはりマンフレディはじめ息子たちは上品なお坊ちゃま。フリードリッヒの気概・胆力・器量とは比べるべくもないことは、13世紀後半の歴史を見れば明らかです。


2つの著作を併せて読んでみたのはすごく良かった。それぞれに補完しあう部分が大きく、また視点の違いからいろいろ考えさせられるところもあって。
読後に思ったのは、13世紀の西欧人は古代ローマという時代をどう感じていたのだろう?ということ。

キリスト教会は、キリスト教化される前のローマは堕落した世界であると断定。
一方フリードリッヒは「いまだに使用に耐えうる道路や今は荒廃した下水道や水道などを建設した偉大な世界の覇者、古代ローマ時代に熱い思いを馳せた」とランシマンは書いている。塩野氏も、フリードリッヒは初代皇帝アウグストゥスにあこがれ、中世のアウグストゥスになりたかったのだと。

この2つの極端な見方の間に位置する、一般の身分教養のある人たちはどうだったのだろう。

偉大な文明の遺物を身近に見、文献からその歴史と繁栄を知るなかで、遠い過去の世界に浮かぶ美しい蜃気楼のようにひっそり揺らめいていたのではないだろうか。心の奥底ではずっと古代ローマへの強いあこがれを抱いていたのはないだろうか・・・と想像したらものすごく腑に落ちた。

パレルモの大司教べラルド、そしてチュートン騎士団団長ヘルマン。
彼らはフリードリッヒより15歳以上年長で、出会った時フリードリッヒは16~20歳の若造だった。
思慮分別のつく年齢、しかも身分としてはローマ法王に忠誠を尽くすべき立場であったにもかかわらず、二人ともその若造に魅入られたかのように彼を熱心に支え、粉骨砕身の働きで生涯かけて献身を尽くした。
彼らは臣下ではない。何の義理もないし何の得もない。どころか、フリードリッヒともども法王から破門までされてしまうのに。

いかにフリードリッヒが人として魅力的であれ、なぜそこまで?という疑問がずっとあった。
しかし、彼らの心に眠っていた古代ローマへのあこがれが、フリードリッヒというくっきりと具体的な形をとって目の前に顕現してきたからだ、と想像したらすとんと腑に落ちたのです。

傲慢不遜な自信、冷徹なまでに鋭い頭脳、若々しく力強い情熱、身に纏う品格と不思議な説得力。べラルドやヘルマンが出会った若きフリードリッヒの姿が鮮明に浮かんでくる。

そして彼が生み出したものは時代のあだ花として枯れてしまったのでなく、地下水脈のように時を超えてルネサンス~近代ヨーロッパの繁栄につながっていったのだ、と直感的に信じる気持ちになれた(直感なので根拠はない)。


他にもいろいろ思うところはあったけれど、今回はここまで。(力尽きた…)
知らない世界を旅するよい読書体験でした~


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