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自己紹介...noteを書こうと思ったきっかけ...。

noteから自分で発信したい。その信念だけでした。

きっかけはTwitterがもうすぐ1000人のフォロワーさんがいる中もう少し深い事を発信出来たらなということもあります。Twitter@てんかんの味方と観方です、このアカウント名には様々な自分の思いがあります。

☆てんかんにはまずさまざな種類があるという観点。

☆てんかんには差別があるということ。 おおきくこの2点です。

伝えたいことはなんといっても自分の病気の事。少しでも知ってくれればなと思います。 

病名は『若年性ミオクロニーてんかん』です。

発症後この病名にたどり着くまで20年以上かかりました。

初めての発症は小学校6年生の時になるのでもうそろそろ30年この病気ともお付き合いしてます。自分もう40歳超えてますんで。若く見られがちですがね(笑)

中学、高校とずっとサッカー部。青春のアオハルはできませんでしたが根性論の部活やってました、昭和の人ならわかるかなぁ。わかる人だけで大丈夫です。

最初の病院は市立病院の内科→神経内科→脳神経内科とたらいまわしにされ朝9:00に受付で病院の診察がだいたい14:00ごろというあり得ない感じ。呆れてました。そこで兄が見つけてきたのがセカンドオピニオンでに神経医療てんかんセンターでした。

兄の提言がなければ静岡に行くことはなかったと思います。

静岡の国立てんかん神経医療センターにいくまでわかりませんでした。
ちなみにこの写真はそうとう時間もたっているものであり、2021年の2月の写真です。だいぶ血色もよくサッカー部っぽいデスね(笑)

差別がなくならないのはリアル。社会的に事実です。ではその差別をどのようにするのか?であったりなんでもない人が倒れる事実をみてしまった人はどのような対応をするのでしょう?

考えたことはありますか?質問ばかりですみません。よく差別やいじめには本人にも問題があるのでは?という意見があります。もちろん個人的な意見ですがその通りだと思います。

逆に手を差し伸べる、助けるということは他人になかなか起こせません。感謝はされて嬉しいはずなのに…自分がされて嬉しいことは他人にしてもいいことなのがあまり理解されてないかもしれません。




てんかんにも、ものすご~~く種類があります。てんかんは現在の医療技術では完治は難しいといわれてます。

個人的にてんかんの完治について定義を考えてみました。

自分のてんかんをキチンと受け入れることができ、かつ周りにしっかり説明でなく話すことのできる

自分ではこのてんかんに関して受け入れる行為には時間がかかりました。たぶん大人になってからだと思います。それくらい精神疾患で失うものは多かった為よく泣きました。

思春期の自分には到底受け入れるはずがありません。
ふさぎこんでいる時期もあったし本当に家族には迷惑かけていたなぁと今になって感じます。


ではポジティブシンキングになってどんな感じっていわれますけど…

てんかんにおける自分の未来を見た時

常に前向き。人生の目標を持っている。自分の発作をよく知っている、         知っているからこそ対策できる。てんかんのせいにしない。

自分のTwitterでも上記のことはかなりのインプレッションをもらい16,000を超えました。

しかし! 

所詮Twitter上ですし井の中の蛙です。Buzzらせたらもっといきますがなんせてんかんの患者は100人に1人です。そう確率でいうと1%です。でも考え方、とらえ方ですべてが変わってきます。

普通の人生では歩めない人生を歩むというか歩まざるしかなくなった1%の軌跡と奇跡 とと前向きに自分は捉えてます。

Twitter上で探す方が、リサーチは簡単なので、TwitterやInstagramでの質問をもらったらこちらで答えて応えていきたいと思います。


twitterに関しては今後できるかぎり体調のこと何気ないことをあげていくつもりです。匿名質問箱も用意してあるので是非。

初のnote投稿に関してはこれくらいにしようかなと思います。
少し立って手直ししましたがまたこれで読んでくれて理解してくる人が増えてくればういいかなぁと思ってます。

それでは今後ともよろしくお願いします。また取り上げてほしいことや要望があればコメントいただけるとうれしいです。


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