天神橋筋六の人生のスパイス。(幼少期)
noteの使い方がよくわかってませんが、こうやって一枚ずつ書くのかなあ?続けて書いていきたいんだけど、まぁ後から修正して行きます。読みにくかったら、どなたかご指摘くださいませ。
さて、筋六くんの幼少期のおはなし。
あたりまえだけど、幼少期の頃なんて、正確には覚えてないから、推測と僅かな記憶を頼りに、話を進めて行きますね。
あの当時、父親が会社をやってたからか、金持ち!ってまではいかないけど、ある程度は贅沢が出来る家庭だったと記憶してる。
幼少期は、ですけどね。
おかげで、両親は二人とも忙しくしてたので、おばあちゃんが僕の面倒をみてくれてた。
物静かで、優しいおばあちゃん。
幼稚園のお迎えは、いつもおばあちゃんが来てくれてたよ。
両親の仕事に合わせて、家からかなり遠い幼稚園に通ってたから、送迎のバスや集団で帰る列には並ばせて貰えず、僕はいつも居残り組に回され、誰かのお迎えを待つ。
その頃の幼稚園は、今みたいに居残りが認められてなかったから?なのか、居残り組には何か特別な施しはなく、ただひたすら誰かのお迎えを待つ。
それでも、やはり居残り組は4、5人いたから、年は関係なくみんなで遊んでお迎えまでの時間を過ごす。
そのうち、1人減り、
また1人減り。
毎日、必ず僕が最後まで残った。
誰もいなくなった園庭に座り、じっと入口の門を見つめる。
夕暮れ。
茜色だった空が、だんだんと青みがかり、やがて黒に変わってゆく。
それでもじっと、園の入口を見つめる。
すると、薄暗い中でわずかに映る人の姿。
おばあちゃん、だ。
今日も、おばあちゃんが迎えに来てくれた。
その時僕は、必ず泣いた。
嬉しいはずなのに、毎日泣いた。
本当は親に迎えに来て欲しかったんだろう。
でも、おばあちゃんが迎えに来る。
どうにも出来ない、何かモヤモヤする気持ちを、いつもおばあちゃんに当てた。
幼稚園の帰りは、いつもオモチャを買ってくれとせがった。
欲しくもないオモチャを、毎日、毎日買ってもらった。
作れもしないくせに、難易度の高いプラモデルや付録の付いた本など。
デパートのオモチャ売場の常連になってたなぁ。
ある時、母親から凄い勢いで、おばあちゃんが責められてるのを見てしまった。
毎日、毎日、オモチャばかり買い与えないでくれと。母親は凄い勢いでおばあちゃんを罵ったが、おばあちゃんは何も言わず、ただ俯いてた。
お前が迎えに来ないからだろっ!
母親の理不尽で不躾な言いぐさに、無性に腹が立ったが、何もできず、ドアの隙間からじっと見ることしかできなかった。
それから。
おばあちゃんにねだるのをやめた。
あの姿を見たら、もう、そんなこと出来ないよ。
おばあちゃん。ごめん。
何もしてあげれなくて、ごめん。
それから、2、3年後におばあちゃんは亡くなった。
今思い出しても、本当に悲しくてツラい思い出。
だけど、
おばあちゃんには、一生忘れない思い出をいっぱいもらった。
おばあちゃん、ありがとう。
いつまでも忘れないよ。
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