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新人賞投稿作・感想「探偵・渦目摩訶子は明鏡止水」

新人賞は難しい

 割と多くの人がやっていることだろうが、作家志望者がプロの小説家としてデビューできる確率がどれくらいなのか、真面目に考えたことがある。

 まず必要な値は一年間にデビューできる小説家の数だ。

 すこし前だったら、新人賞の数と受賞者数をカウントすればそれが答えになったのだろうが、今はネット経由でデビューする人も多く、その数は中々把握しにくい。
 しかしながら、ことミステリ小説に限って言えば、ほぼほぼ新人賞のみがデビューの道と言えるだろう。新本格第一世代の頃は著名な作家や編集者の推薦でデビューというパターンも見かけることがそれなりにあったが、メフィスト賞や星海社FICTIONS新人賞といった持込型新人賞が整備された現在では中々見かけない方式である。

 現在の国内ミステリの主だった長編新人賞は……、
 
 江戸川乱歩賞(講談社)
 アガサ・クリスティー賞(早川書房)
 新潮ミステリー大賞(新潮社)
 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞(福山市他3社)
 日本ミステリー文学大賞新人賞(光文社)
 「このミステリーがすごい」大賞(宝島社)
 鮎川哲也賞(東京創元社)
 横溝正史ホラー&ミステリー大賞(KADOKAWA)
 松本清張賞(文藝春秋)
 メフィスト賞(講談社)


 これに加えて光文社のカッパ・ツーや星海社の星海社FICTIONS新人賞、エージェント会社の運営するボイルドエッグス新人賞などがあるが、知名度や新人のデビュー頻度を鑑みると、以上に挙げた10の賞が、ミステリ作家志望者が狙うメインとなるだろう。

 電撃大賞などのライトノベルレーベルの新人賞からデビューを狙うという方法もあるが、ミステリ作家を目指すという目標があるのならば、やはり迂遠な方法と思える。

 本題に話を戻すが、国内長編ミステリの主だった賞は10個しかないのだ。

 10個の賞、それぞれで毎年1人デビューをしているわけではないが、「該当作なし」や複数受賞の上下の振れを考えると、毎年のデビュー人数を10人前後と仮定することはあながち的外れでもないだろう。

 そして各賞の応募総数はおおむね100~500程度で、同著者が複数作を投稿していることを考えて、ざっくりと(実際に応募まで行っている熱心な)ミステリ作家志望者の総数を3,000と仮定する。

 あとはデビュー者数を応募者数で割ればいい。

 0.33%……たったの1,000人に3人である。

 しかも、この1,000人は少なくとも長編ミステリを書くことのできる熱心な志望者だ。
 では1,000人の中で3位に入れれば必ずデビューできるかと言えば、そんなことはない。
 そもそも小説の面白さというものは定量化できるものではないし、賞によって傾向があることに異論をはさむ人は少ないだろう。もしかすると1,000人中の1位はデビューしていないかもしれない。

 デビュー前の新人賞投稿作を読む楽しさは、自分なりの1位を探すことであり、実際のデビューの段になって「俺は昔から知ってたけど、ようやく良さがわかったのか」と厄介なファンムーブをかますことにあるのではないだろうか。

「探偵・渦目摩訶子は明鏡止水」

作品の概要

 本作は著者の凛野冥氏が第6回新潮ミステリー大賞に投稿し、最終候補に選出されたのち、「小説家になろう」に掲載している。(その後、星海社FICTIONS新人賞にも投稿しており、コメントが取り上げられている)

 凛野氏は「後期クイーン的問題」(これについて語ろうと思うと長くなるので割愛)やアンチミステリに対する造詣が深く、その解決のために独自のアプローチを図っているらしい。

 著者本人のnoteによると本作は「学生生活の最後にそれまでの集大成として、メタミステリを極限まで研ぎ澄ませた。終わらない謎解きが終わる話」であり、後期クイーン問題の解決に成功している話だとしている。

 簡単にあらすじを述べると、
 現実の事件をあたかもフィクションとして描く著名な推理小説家が死亡し、彼が所有していた館に一族が集まる。そこで殺人事件が発生し、探偵が推理を始めて見事解決に導くのだが、その探偵達のもとに自分たちのことが小説として記述された原稿が送られてくる。
 というものだ。
 メッタメタである。

 ここまでの前書きで分かる通り、本作はメタ要素を多分に含んだアンチミステリであり、衒学要素をたっぷり含んだ「四大奇書」の流れをくむ作品で、本作はまさしく奇書と呼ぶにふさわしい出来映えになっている。

感想(※ネタバレあり)

メタミステリの難しさ

 そもそもメタミステリとは何か、という話から始めようと思う。
 メタミステリについて確定的な定義があるわけではないが、私が個人的に定義をするのなら「ミステリ小説について議論を作品内に内包し、それにまつわる事件の解決を主題におくミステリ」である。

 本作「探偵・渦目摩訶子は明鏡止水」は作品内に同名の小説「渦目摩訶子は明鏡止水」が登場し、語り手がその小説を読みながら、話が進むタイプのメタミステリである。

 この形式は竹本健治氏の「匣の中の失楽」が著名で、本作もその影響を受けていることは明白だろう。

 物語の構造としては、まず殺人事件が起こり、探偵が解決を行う。
 その後、ほどなくしてその事件が小説として記述された原稿用紙が発見されるという流れの繰り返しである。

 本作の一番の謎は殺人事件の犯人は誰かというフーダニットではなく、「渦目摩訶子は明鏡止水」を書いたのは誰かというフーダニット、そしてどのようにして実際の事件を小説として書いたのかというハウダニットだ。

 この謎の訴求力は抜群である。
 なにより不可能性が極めて高く、謎の内容がわかりやすい。

 ただ、メタミステリ部分の謎はいいのだが、それに振り回されて、リーダビリティが高いとは言いがたくなっている。
 本作は作中作が登場するため、作中人物を騙すという意図で叙述トリックがいくつか使用されている。これは同時に本作の読者も騙すことが出来るが、多用しすぎているのか、作品の全容がかなり把握しづらい。

 これはラストの結末部分も同様で、犯人の意図は察せられるのだが、結局どういうことを言いたいのかが伝わってこなかった。
 結末をひっくり返す楽しさはわかるし、楽しみたいと思うのだが、連発されると読者側としては胸焼けをおこしてしまう。

メタミステリの前に本格ミステリであるということ

 ここまで何度も言っているとおり、本作はメタミステリであるが、それ以前に本格ミステリでもある。
 奇妙な一族が山の奥にある洋館に集められ、クローズドサークル内で殺人事件が起こる。しかも、怪しい仮面の人物まででてくるのだ。

 メッタメタだし、ベッタベタである。

 ベタであることは問題ないし、古式ゆかしいミステリファンの多くはこういう状況設定を好ましく思うだろう。けれど、本作はメタミステリとしての完成度と後期クイーン問題の解決に全力を注いでいるためか、「作中作」部分の訴求力が全体的に弱いのだ。

 まず作品の冒頭からして、なにもかもを地の文で説明されるのはつらい。
 これは後々のメタ部分の伏線であるので必要な描写であり、必然性のある形式ではあるのだが、何も知らない初見の読者はメタ部分に辿り着く前の「館もの」部分で作品自体に飽きてしまう虞がある。

 そして、これはメタの宿命だが、どれだけ見事な解決をされても、最終的にひっくり返されることがジャンル的にメタ読みできてしまう。

 何より重大な問題と思えるのが、リアリティの欠落である。
 清涼院ワールドよろしく一般名詞として「名探偵」が出てくる本作のリアリティラインはかなり低めに設定してあることは明白だが、今作の全ての登場人物がシナリオ通りに動いていた、というオチは驚くべき真相であり、好きな部類ではあるが、やはりすんなりとは受け入れがたい。

 一応、シナリオ外では人間らしく振る舞っているといったようなことが地の文で書かれているが、実際に描かれている部分で読者が登場人物達が作者(二重の意味)のマリオネットでないと感じるかは甚だ疑問である。

 加えて気になったことが、犯人を予想することが読者には不可能と思われる点である。

 そもそも誰を真犯人と呼称すべきなのかわかりにくい構造なのだが、一応全体のシナリオを描いた種仔が真犯人ポジションといえるだろう。

 けれど、この真相に読者は驚けるだろうか。
 横紙破りすぎるのではないか。
 少なくとも私は名前を出されても種仔が誰かいまいちピンとこなかったし、真由斗にしてもそこまで印象深くはなかった。

 読者は作品の真相が自分が予想できたであろうことを理解できてこそ、驚きを抱くのである。

 リングの上でボクシングをしていたのに、ロープの外から射殺されてもボクサーは相手に倒されたとは思わないだろう。

結び

 本作の大オチは麻耶雄嵩の某作を彷彿とさせる。
 もしくは清涼院流水のアレだ。

 どういうことがやりたいのかはひしひしと伝わってくるし、新人賞の最終候補に挙げられていることからもわかるように、相当な高水準で作者の意図するものを物語に落とし込めていると思う。

 けれど、同時に「こういうタイプのミステリを好んで読む人はどれくらいいるだろうか?」とも思ってしまった。
 有栖川有栖氏がワセミスの講演で国内でミステリ小説を習慣的に読んでいる読者の数はおおよそ30,000人くらいではないかと述べていた。
 私も肌感覚として、それくらいなのだろうと感じている。
 この数を多いと思うか、少ないと思うかはその人次第だろうが、間違いなく、メタミステリの愛好家や後期クイーン問題のことを熱心に考えている人はそれよりも少ない。

 加えて、本作の内容は普段ミステリを読まない人が興味を持ちにくいのだ。ミステリへの造詣が深くない読書はおそらく「四大奇書」や「後期クイーン問題」という単語すら知らないだろう。

 売れるものを書くことが正しいとは微塵も思わないし、著者自身が書きたいものを書くというのが基本だと思っているが、少なくとも新人賞は出版社が商品として売り出せる小説、それを書ける人を発見するためのものだ。(これはあくまで私見であり、反論は多くあると思う)

 おそらく投稿者の中には、賞の傾向と対策を意識した「売れそうな原稿」や「賞の審査員受けがよさそうな原稿」を書いている人もいるに違いない。

 しかし、本作を1,000人中の1位に上げる人は間違いなくいるだろう。こういう作品が好きな人はいるし、好きな人はこの作品のこと最高だと思うだろう。

 ニッチトップを目指すか、最大公約数的な面白さを追求するか……新人賞は確率ではないが0.33%を勝ち抜く戦略は必要なのかもしれない。


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