出産当日。長かった一日。
双子の兄が破水した14週、そこから2か月。
ひとつの境目となる22週を超えたところで、兄と弟の部屋を隔てていた部分も破れてしまい、流れ出る羊水の量が増えてしまいました。
何もなければ妊娠週数を伸ばして、できるかぎりおなかの中で成長してもらうことが目標でしたが、こうなると話は変わります。
今までは兄の部屋だけが破水状態でしたが、今回の変化によって弟の部屋も破水状態となってしまいました。
羊水が完全に消失した状態にはなっていませんでしたが、この状態で妊娠を継続するメリットはないという説明を聞き、そこからはすぐに帝王切開に向けたスケジューリングになりました。予定日はその日から3日後、妊娠23週と4日。月曜日。
長かった一日、その日に取っていたメモとともに振り返ります。
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8:45
いつもどおり、息子を保育園へ。少し甘えていたけど元気に登園していく。全然実感ないと思うけど、君は間も無くお兄ちゃんになるんです。
9:00
病院到着。飲み物を買って控室へ。落ち着かないからのど飴とかガムとかも買っておけばよかったな。妻と相談してほぼ決めていた名前をノートに書いて、字面を見てみる。おさまりはいい気がする。手術開始時間はまだわからない。
※だいたいのメドは事前に伝えられるものの、当日の緊急オペなどもあるので時間は結構前後するようでした。
11:00
手術開始が12時を過ぎそうなのでいったんお昼でもどうぞとのこと。なんとなく病院を出て、無意識でCoCo壱のカツカレーを食べてた。
そういえば、上の子のときも(このときは妻用の病院食だったけど)妻に寄り添いながらカツカレー食べたなぁ。
12:00
再び控室でスタンバイ。
12:25
いよいよ分娩室に向かうとの連絡。ベッドに乗せられた妻と対面。痛みからなのか、いろんな感情が押し寄せてきたのか、泣きながら横たわる妻を前にとっさに言葉が出てこない。そのまま、手術室へ。
12:35
連絡用のPHSを渡されて再び控室へ戻る。麻酔でだいたい30分、赤ちゃんの取り上げで1時間〜1時間半とのこと。大丈夫、信じるよ。がんばれがんばれ。
13:40
赤ちゃん上がってくるからすぐ来てくださいと連絡。カメラを携え階段を駆け上がる。看護師さんから2人目の子です、元気に泣いてましたよと言われ「2人目?1人目は・・・?」と一瞬背筋が冷やりとしつつも、対面。
小さく、細く、からだは真っ赤だけど、想像していた以上にちゃんと赤ちゃんの姿をしていた。生命を維持するためにいろいろな処置をしてもらっているけど、たしかに生きている。がんばって小さい体を動かして、一生懸命生きようとしているように見えた。
本当はたくさん写真を撮りたいけど、ここで待たせる一瞬の時間が彼になにか悪影響を与えてしまうのでは、と思ってしまい、手ブレを気にしている暇もなく急いで数枚だけ写真を撮って、いったんおわかれ。
生まれてきてくれてありがとう。まだまだこれからだけど、みんなで一緒にがんばろう。
そして冷静になり、1人目はどうなったのかと心配していましたが、看護師さんたちを見ても誰にも悲壮感がないので「あのぉ・・・」と聞いてみると、すでに搬送済みとのこと。
連絡ミスにより自分が待たされていた場所が違ったようで、「1人目が上がってきたときにあたりを探し回ったけどいなかったので、やむなく処置に回しちゃいました」とのことでした。全然問題ないです、無事ならいいんです。
ほっと一安心、脱力しました。
とにもかくにも、まずは2人とも無事に産まれてきてくれた感動をしみじみとかみしめ、控室に戻りました。
14:00
妻も子も処置待ちということで、待機。
14:30
閉腹を終えた妻が戻ってきた。動けないし、めちゃくちゃしんどいだろうなかで、笑顔を見せてくれました。
2人での写真も看護師さんに撮ってもらって、妻は病室へ。(後日、妻にこのときの話をしたら朦朧としていて覚えていないとのことでした)
16:00
新生児集中治療室(=NICU)に行って、兄担当、弟担当それぞれの先生から説明。
■兄(=もともと破水していた子)
体重は604g、身長はおよそ30cm。
説明時点で術後3時間くらい、まずは無事でいられて安心しています。でもやはり肺がかなり未成熟で、呼吸器も序盤からかなりレベルを上げて対処しています。
いつになれば安心できるってわけではないけど、まずは24時間、そして72時間、1週間、2週間、1ヶ月と予断を許さない状況は続きます。
手足の関節についてはやはりぎゅーっとした姿勢が続いていたせいか、股関節まわりがかたい感じはします。
ただ、彼はいま初めて広いスペースに放たれたので少しずつ改善はしてくるし、無理のない範囲で動かしてくことで動きは良くなるのではと思います。
■弟
体重は552g、身長はこちらもおよそ30cm。
出てきてすぐに産声も上げてくれたし、この週数の状態として特に目立った問題はありません。内臓の様子からしても、早ければ今晩から母乳注入のチャレンジができるかもとのこと(もちろん口からは飲めないので、口に入れている管から)。
強いて言うなら、今までは羊水で満たされた状態にいたので、保育器の中とはいえストレスのかかる環境に放り出されて、ちゃんと適応できるかが心配といえば心配です。(そういう意味ではお兄ちゃんはもともと過酷だったので、むしろギャップが少ない)
お兄ちゃん含め、72時間は頭部出血などに特に注意が必要です。
予想していたとおり色々と大変なことはあるけれど、「生きて産まれてくることはない」と言われた子がたしかにそこにいる。
もちろんまだまだ超えなくてはいけない壁はあるけど、24時間体制で変化を見守ってくれている人たちがいる。
なんともいえないふわふわした高揚感に包まれたまま、説明書類にサインをして、2人分の入院手続きの書類もその場でひととおり記入。
その後は、たっぷりと撮影タイムを与えてもらいました。気を利かせてくれたのか、2人が向かい合うような近いところに保育器を置いてもらえました。双子でもどうしても離れて置かざるを得ない時もあるらしい中で、これはありがたかったです。
写真を撮っている間にも、兄の方は色んな処置をしてもらっていました。落ち着いて部屋の中を見回すと、NICUの人の多さ、そして命と向き合っている緊張感。
今までも仕事などで医療従事者の方と関わることはありましたが、改めて当事者として関わると本当に頭が下がります。
このコロナ禍でもいろんな犠牲を払って、これだけ頑張ってくれているこの人たちが報われる仕組みを、なんとか作ってあげてほしいと心底思いました。
19:00
撮影を終えて、皆さんに挨拶して退室。双子には「頑張って夜を越すんだよ。明日になればお母さんが来てくれるから。」と声をかける。
念のため妻がいるフロアにも寄ってみましたが、さすがに面会はOK出ず。挨拶だけして、病院を後にしました。
外に出て、体を思いっきり伸ばす。腰が痛い。ちなみに待ち時間はずっと携帯をいじってるのもなんなので、文庫の小説を読んでいました。350ページ、余裕で読み終わりました。
余談ですが、読んでいたのはこの本です。優しい人がたくさん出てくるいい話(小学生みたいな感想ですいません)で、心穏やかに待つことができました。
自転車に乗って、母に報告の電話をして家へ。午前中の時点で遅くなりそうなのがわかったので、息子のおむかえは両親にお願いしていました。
帰宅後、みんなに写真を見せて報告。息子は弟たちの写真を見て「あかちゃん?」とつぶやいて、なぜかハイハイをしだし、ひととおり暴れて疲れるとおっさんのようにソファに横たわっていました。兄の威厳を見せようとしたのでしょうか。
張り詰めていた病院の空気から一変、リラックスした家の空気に触れて安堵するとともに、どっと疲れが押し寄せてきました。
先を見すぎず、目の前のことを。
帝王切開の日程が決まる直前、医師からおなかの状態について色々な説明を受けていました。これまでは産科の先生からでしたが、このときは新生児科の先生。
「なんとか出産までもっていきたい」というフェーズから「産まれたらどうするのか」のフェーズに変わったんだなという実感がありました。
とても柔和な表情でわかりやすく説明をしてくださった先生ですが、「出てきてみないとわからない」「肺に関しては成熟していないとどうすることもできない」といった厳しい話も聞いていました。
また、何かしらの障害が残るか否かも親としては正直不安な部分ではありましたが、「産まれてすぐにわからないことも多い。可能性でいえばもちろん色々あるけど、今それを言う必要はないと思います。説明するべき時が来ればきちんと説明しますよ」という趣旨のお話をしてくださいました。
逆説的ですが、まずは無事に出てきてくれるか、そしてその命をきちんと繋ぎ止められるかに全力を注いでくれるということなんだなと理解し、自分も先を見すぎずに目の前のことを一つずつ、と思い直したことを覚えています。
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予定日より4か月弱も早くはなったものの、なんとか産まれてきてくれた二人。ここからはまず妻の無事な退院、そして通院しながらの双子のサポートになります。
ギリギリの状態で産まれてきた二人にはやはり色々な壁が立ちふさがり、生後1週間で早くも手術を受けることになります。次回からは、双子と一緒に戦った日々を振り返ります。
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