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墓場まで持って行かなかった秘密の話

「本当にいいの?」
「うん、どうぞ。君の好きなようにしたらいいよ。そうするのがいい」

 今日という日が、一世一代の告白の日になるとは思わなかった。そうする気もなかったはずなのに『マッドマックス怒りのデスロード 地上波初登場』を観て高ぶった神経に背中をどつかれ、私は夫に秘密を明かしてしまった。それは墓場まで持っていくつもりだったはずだった。


 十代の頃から創作小説に興味があった。高校生に上がると同時に携帯電話を手に入れ、初めて小説サイトというものを知り、読み漁った。そのうち自分でも小説を書いてみたくなってサイトを作り、二十代に入っても社会人になっても創作活動は続けていた。
 でも、それを実生活で公言したことはなかった。家族、友人、恋人、誰一人にも言わなかった。言えなかった。とにかく恥ずかしかったからだ。本棚を見るとその人がどんな人間か分かるというが、自分の創作物を見られることは、丸裸になった心を見られることと同じだと感じていた。異常かもしれないが、それこそ局部を見られるような羞恥心があった。
 同時に、自分の創作物のつたなさをさらけ出したくないという気持ちもあった。とにかく他人の評価や目が気になる性格で、こんな低クオリティのものを発信していい気になっているなんて、厚顔無恥だと冷笑されるのが怖くて勝手に落ち込んでいた。もちろん、周りにそんなことをする人間はいないと頭では分かっていたのだが、無理をしてまで公言する気もなく、ずっと秘密にしていた。

 ところどころ休止を挟みながらも続けていた創作活動だったが、職場が変わってストーカー被害にあったことをきっかけに、ぱったりとできなくなってしまった。できないどころか、触れることすらできなくなっていた。仲良くさせていただいていた大好きな創作家さんたちの作品に触れても心動かされることが無くなり、交流を避けるようになっていった。
 とにかく毎日、自分の身を守ることに必死だった。
 その上、新しい仕事内容・職場・人間にも慣れなければならなかったし、仕事に関わる試験勉強にも追われていた。ストーカーはその職場の人間だったので、仕事中は物理的に逃げられず、恐怖と嫌悪感でどんどん心が病んでいった。周りの人たちは全員事情を知っていて、同情したり配慮してくれたりもしたし、上司も何度も何度も本人に注意してくれたが、どれも根本的な解決に至らなかった。(ストーカーの件は今でもトラウマだが、学んだことは大きく、それは多くの人に知ってもらいたいとも思っているのでまた別の機会に書けたらと思う。)

 私はすっかり創作活動に興味をなくしてしまっていた。書くとこんなにも簡単な言葉で済んでしまうが、今までの人生の中で一番辛い時期だった。とにかく安全と安心が欲しくて、創作活動の楽しみなど求める余裕など皆無だった。
 転機が訪れたのは一年後だった。ストーカーのいた職場を離れることができ、ようやく付きまとい行為から逃れることができたのだ。その後仕事の試験にも合格して約十年越しに夢だった職に就き、当時付き合っていた今の夫と結婚することにもなった。
 突然迎えた前途洋々の人生フィーバーに、地獄の底まで引きずり込まれていた心がペットボトルロケットに括られて天国まで吹っ飛ばされた心地だった。もちろん現実には、そんなにすぐには元気になれなかったが、鬱々暗たんとしていた心が毎日薄皮をめくるように明るくなっていくのが分かった。のろけを申し上げるが、これもひとえに最愛の夫のおかげだ。

 そうして徐々に心は健やかになっていったが、相変わらず創作意欲は湧いてこなかった。有り余るほどの幸せの中に浸かっていると、わざわざそこから新たな楽しみを探しに行かなくても良かったからかもしれない。それに創作活動は(私の場合だが)常に楽しいわけではない。生みの苦しみがあり、自分の文章力や表現力や構成力等々の無さに苛立ち、失望し、そんな思いをして書き上げたものでも、皆が読んでくれたり評価してくれたりするわけではない。誰かの作品を妬んでしまうことだってある。それでも書きたいと思って書き続けてきた時代もあったが、もうそんな情熱は消えていた。

 結婚して二年後、子供を授かった。仕事は続けていたが妊娠七ヶ月の時に切迫早産で即刻入院になり、そのまま休職になると「仕事をしている私」を失った。
 お腹の痛みを、我慢できる程度だし横になっていれば治まるだろうと自己判断で放っておいたことを「あなたは自分の子が朝からお腹痛いと言っているのを晩まで我慢させますか」と主治医に問われてハッとしたのを鮮明に覚えている。自分が我慢するということは、お腹の子にまで我慢を強いることだったのだと解って、母親失格だと猛省した。猛省して、二度とこんな無理はしない、何よりも子どもの命を優先しようと心に誓った。
 同時に、念願の職に就き、真面目に仕事に打ち込んできた私にとって、引継ぎすらまともにできず、周りに多大なる迷惑をかけながらのリタイアは号泣してしまうくらいショックだった。もちろん子どもを産むと決めた時に、多少なりとも迷惑をかけること、ゆくゆくは仕事を休むことになることは覚悟していたが、こんな形でのドロップアウトは予想できていなかったし全く望むものではなかった。それは病室から一歩も出られない生活よりも辛かった。

 ありがたいことに入院生活は三週間ほどで終えることができ、残りは自宅安静の指示になった。お腹の子も、切迫で入院したことが嘘だったかのように、結局は予定日を一週間近く過ぎてから生まれて来てくれた。
 新生児の育児は、痛みで絶叫し続けていた出産よりもしんどかった。来る日も来る日も自分の時間なんていうものはありもせず、ひたすら子どもの世話に明け暮れていた。切迫早産で入院した時から社会的な繋がりや役割は失ったままだったが、とうとう私のアイデンティティは「母(次点で妻)」だけになってしまった。初めての育児で右も左も分からず、地獄のような慢性的寝不足と、子どもを死なせないように育てなければという緊張と不安との戦い、健康上の問題を抱えながら、常に子どものことばかり考えていた。つい最近の出来事だけれど、大変だったことは覚えているのに記憶がほとんどない、そんな感じだ。
 子どもの成長と共に育児にも慣れ、ずいぶん生活は楽になってきた。もちろん毎日が試行錯誤で、イヤイヤ期に入りかけた子どもに手を焼くこともあるが、あの頃に比べればどうってことない毎日を送っている。それでも、どこか疲れが取れないというか、満たされないものは毎日感じていて、それが何かなんて考えることもしていなかった。

 すっかり社会から離れ、親しいママ友もおらず、孤独を感じていた私の簡単な息抜きといえば、スマホアプリの育児漫画を読むことだった。育児漫画を読んでいると、妊娠・出産・育児に喜怒哀楽しながら奮闘する母親たちにいつも元気づけられた。
 その中で見かけたある漫画に、自分が只の育児と家事だけをする人になってしまっていることに気付かされた。それは大きな気付きだった。
 もちろん子どもの成長は嬉しいし感動することもある。育児が楽しいと思えることもたくさんある。けれども「母でも、妻でも、社会人でもない私自身」はどうかと考えると、毎日同じことを繰り返していて趣味もなく、虚無の中で生きているだけだと気付いたのだった。
 このままでいるのは嫌だ! と思った。
 じゃあ自分の好きなものって何なんだろう。今、してみたいことはある? そう考えたとき、かつては命を削るように熱中していた創作活動が浮かんだ。


「――仕事に復帰したらまた書けなくなると思う。育児との両立はそんなに甘くないって思うから。だからこそ今、書いてみたい。挑戦してみたい」
「うん、それがいいと思う」

 夫は大真面目な顔で頷いてくれた。私が「実はやりたいこと……もう一度やってみたい趣味がありまして」と言い出した時から、ずっと真剣に話を聞いてくれていて、絶対に私の趣味を否定したり意見したりしなかった。知ってはいたけど、夫はいつも私のしたいことを尊重してくれる人なのだ。
 創作小説を書くのが趣味なんです! と手に汗握り、心臓を口から吐きそうになりながらでも、告白して本当に良かった。告白してもまだ緊張して固くなっている私に、友人がクラスの女子に彼自身が登場するBL小説を読まされてすごくショックだったという笑い話を聞かせてくれた。

「実はもうね、Twitterで見かけたText-Revolutions Extra2(通販型同人誌即売会)に参加申し込みしてて、当選しちゃってるの」
「そうか、頑張って!」

 私はまた、妻でも母でも社会人でもない、私自身を取り戻すために書く。
 背中を押してくれた夫と、ネットの向こうの友人たち、素晴らしい機会を与えてくれたテキレボ主催者さま、そして――怒りのデスロードに感謝する。

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