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今を感じて、今日を生きる

気づいたことがある。

今を生きなきゃいけないんだなって。

暮らしの一コマを切り取ってアウトプットする意義が腑に落ちた。


***

毎週日曜日の夕食は、徒歩数分のところに一人でいる義母を誘って外食をする。
先週はひつまぶし、昨日はトンカツだった。
義母は84歳だけど、何でもしっかり食べられる。足腰も、内臓も元気で何より。

ただ会話が弾まない。

主人と私は60歳。「年寄り3人顔を突き合わせても、何にも話すことないね。」と苦笑いだ。1週間、これと言ったこともなく、あっという間に過ぎてしまう。

目の前のひつまぶしはとても美味しかった。皮がカリッと、身はしっとり。タレの加減も絶妙にご飯と合う。そしてトンカツも安定の美味しさだった。
毎週淡々と食べる。

3人ともそう思っているんだろうけど、

でも特に言葉が出てこない。。。


そう、こんな毎日を文章にして、誰が読んでくれるんだろうと思っている自分がいる。
アウトプットするなら特別でなければ、と思っている傲慢な自分がいる。

だから、自分史の中から、何か特別なことを引っ張り出して来て、これなら受けるかなと考えてしまう。
でも、手応えが思ったほどではないと、違ったのかぁ、とまた古いアルバムのページを捲る。。。


やっとわかって来た。
思い出話は、その特異性が大事なんじゃない。
その時その時、対象に『愛』を持っていたか、ということ。

そして、その思い出話に根っこがあり、今に養分を与え、伝えることによって何か潤いを与えるか、ということ。


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姉が退職して、柴犬を飼っている。
夫婦には子どもがないのだけれど、高校の教師だったので、生徒の教育に、進路指導に、部活動にと、日々を捧げていた。

ポッカリと穴の空いた暮らしにやって来た柴犬“桃ちゃん”への姉の愛情の注ぎ方は見ていて気持ちいい。
キョーレツにおてんばで、好奇心が強く、根っからフレンドリーな我が子(犬)を姉が語る時、聞く側もとても興味深い。

「犬はね、仲間同士が揉めてる時、わざとアクビをして、場を和ませようとするんだって。」「桃はさー、私とパパとどっちが好きかな。」「甘噛みしてくるんだけど、その心理(犬)の裏側を探りたくなるんだよね。」そんなもんあるかーと内心ツッコミながら、面白い。

『愛』を通して伝えられることは、ポジティブなら元気をもらえるし、ネガティブなら興味を抱く。


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暮らしの一コマを切り取って書く意識。

けれど私がこうしてnoteを書くのは、人に潤いを与えたいから、なんて言うのはやっぱり10年早いとわかってきた。世の中には努力を惜しまずそうなったのか、才能なのか、すごいライターさんがいっぱいいらっしゃる。それに気づけただけでも肩の力が抜けて、まっいいかと思える。

逆に、自分が毎日、何かに『愛』を感じましたか?の確認のために書くべきなのかもしれない。

特別でなければ、という傲慢さを手放すために。

***

今日を感じよう。今を感じよう。今を生きよう。


先日鍼治療の時、先生が話してくださったちょっと素敵な話。
先生は、毎日にささやかな『愛』を見つけるのが上手な人だ。
施術と一緒にそんな小ネタを披露することが、患者さんの心に潤いを与えることを心得ていらっしゃる。

「休診日の夕方、庭先で車を洗っていたんですよ。すると、70代半ばのおばあちゃんが夕刊配達にみえたんですよ。僕がそれを受け取って『ありがとう、気をつけてね』って後ろ姿に言ったら、おばあちゃん、自転車漕ぎながら振り向かず、右手を振るんですよ。なかなか素敵なおばあちゃんですよね。」と。

「それいいですね。それいただき。私も仕事(塾経営)引退したら、新聞配達します。朝は苦手なんで、夕刊だけ。私夕方の町が、なぜか大好きなんです。夕食の支度どきの雰囲気と、夕方の雲や空、いいですよね。なんせお隣、新聞の販売所ですから、バッチリ。」

とすっかりその気になっている。

どうでしょう、そんな老後。





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