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この記事を読んで、納得するかどうか。は、読者。見る人に委ねます。

『遊ぶ。』力。は、『笑う。』力。

『遊ぶということは』、心と気持ちにゆとりがあり、豊かさを作り出したがやす。根幹とも言えるものだ。

最近の子どもたちは、親からお勉強や塾通い。いい大学。いい会社に入って、いい収入得て。親を安心させ、安定?で安泰な人生。を送ることに重点をおいている傾向が強いように私は感じる。

もちろん学校、高校などでの基礎学力等は大切だ。だが心のまだ器の小さい。未成熟で
青いお年頃。に不毛のお勉強ばかりをさせ
頭でっかちで『クール』なーーーー…。フン!😒っていう子を作り出す。問題とそれによって生み出される異様なサブカルチャー。若者文化。

小さな子供でも礼儀正しく。『ありがとうございました!』👽とビシッ!と大人顔負けにマナー、礼儀を必要以上に発達の早い段階で教育し、しつけ、教え込むのは。昭和に生まれ、汗と泥にまみれて育ってきた。30代後半の私的に見れば。

少々、難儀な話である。

時代のせいもあってなかなか昭和生まれのようには行かないかもしれないが。
年齢相応に教育を行うのが豊かでゆとりのある。心と気持ちにゆとりのある子どもたちを育む根幹と言えるのかもしれないが。

やはり令和という時代のせいもあってか。
令和という名前を仮に安寧とかに変えたら。
また別の意味での豊かさを取り戻せるのかもしれないが。

文化の躍進的、突発的な進化。進歩。もあってか。文明の著しい進化。子どもたちにはまだ早いような過激な銃撃戦や爆弾による爆発シーン。過激な性描写による性映像。性コンテンツ…。五感を育まなといけない子どもたちに『無感。』のデジタルコンテンツ等に触れさせたりなど。

まあ、あえて言っておけば、絵本を読み聞かせろ。とか。クレヨン。クーピー。を使えなどとはあえて言わないが。時代上難しい。

現に我々大人もそうだ。

アナログを大事にしてるかといえば、そうではないし。むしろPCやスマホなどのデジタル端末の恩恵に身を救われ、助けられ。

青年期までやっていた変な過度なムチャ。をして精神的、心的負担を患う必要も少なくなった。不要になった。


正直、アナログ時代にムチャをし、無我夢中で夢を追いかけ、本来?の夢に散り。🍂🥀😱😰🤧

精神疾患など病気を患うことになったのも事実。夢は甘くなかったし。己の弱さ。人間的弱さ。対人恐怖症等。と戦うのも付き合うのも容易なことではない。

我々、大人である30代以降?は夢を掴もうと必死にもがいた挙げ句。何らかの原因。人生上の危機。ライフステージ上のライフイベントによってキャパを超え自分がぶち壊れ。

精神疾患等をだいたいの若者は得てしまったんじゃないかと。思っている。

デジタル端末にお世話になっているのも事実である。言えばきりがないのもまた事実。

むしろ文明の利器のおかげで負担が減り。豊かな快適生活を送っているのもまた、然りである。

要は、結局の所。何が言いたいかと申しますと。勉強もいいが、青春時代にあそんで笑って楽しんで。青春時代を我々のように楽しむことも忘れないでほしい。


『遊びは。』人にたのしさを与え、豊かさを与え、豊醸を与え(ほうじょう。字ぃあってるかなぁ。)

人生を楽しくさせ。人間を笑顔にし。生きる根源を生み出す。生きる力。を生みだす。
貴重なエネルギー源なのである。😊😙🔥

生きる力。が乏しくなっている方はおそらくこの遊びによるゆとり。豊かさ。ユーモア。
余裕がないように思える。

勉強は学校を卒業してからでもできる。が難しいところでもある。時代が学びに方向へと
着実に、『着手。』しつつあるからである。

時代が全て。と言っても過言ではないと思う。その中でいかにノスタルジーや大切ななにか。大事なもの。人としてどう生きるかが
大事になってくるんじゃないかと思う。

今の子どもたち思春期の子どもたち。理由あって病を患う子たちに。どう伝えていいかわからないが。人間とは何なのか。人間としてどう生きることが正しく、『しあわせ☘️』に繋がることなのかを。

若者たちに伝えたいことは今。

ここに書ききった気がする。

まだまだ、書き足りないが。

ひとまず結びとする。

遊ぶ力は、笑う力。

笑う力。は、たのしむ力。

たのしむ力はたのしく生きる力。


そして、たのしく生きる力とはつまり。

人として。『生きる力。』ということを。

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