共通の話
こんな世界になる前の話。
人と会うのにも気を使う世界になる前のお話。
高校の時、休み時間に他愛もない話をするような、そんな友人が3人いました。
彼らと話したのは今思えば本当に意味の無い話。
さっきの授業の先生のこと。
その時やっていたゲームのこと。
次の移動教室のこと。
お昼ご飯のこと。
今思えば意味はないし覚えてもいないようなことなのです。
とても楽しかったということを除いては。
月日は進み、今になります。
オンデマンド、在宅、オンライン、遠隔などと呪文のように色々なところから聞こえてきます。
とはいえ、落ち込んだかと言うとそうでもなく、元々引きこもり気味の私には嬉しいものです。
面倒な移動もない、監視されながらの仕事でもなくなる、新しい場所でお友達作りに勤しむ必要も無い。
いいことずくめです。
さて、先日高校の友人と連絡をとりました。
最初にでてきた彼らの中の1人。
しばらく会っていませんし、双方SNSに投稿する質でもありません。
当然近況の報告から始まるのですが、互いに知らなかったことを相手に知らせるような会話になるわけで。なぜだかとても疲れてしまう。
窓際で日に当たりながら話していた時とは大違い。
楽しくない。
もちろん知らなかった近況を聞けることは嬉しいこと。
疲れることで相殺されている気がするのはなぜでしょう。
気づきました。
私は新しい人と知り合うのは苦手でしたが、それと同じことが彼との間でも起こってしまっているということに。
知らない話を聞くのが苦痛なわけではなく、共通の話ができないことが辛かったのです。
好みが違っても同じ趣味を持つ人と仲良くなりやすいのはそれが理由でしょうか。
家族でも疲れる。
友達だけど疲れる。
それは同じ時間を共有していないからかもしれない。
メリットに見えていることは意外にデメリットでもあったようです。
今更ながらに身をもって知りました。
オンデマンドでも遠隔でも構わないけれど、共通の話ができる人は必ずいてほしい。
人は群れて生きる生き物なんだと知った瞬間でした。
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