古代イギリスの正体とは?
遡ること紀元前1世紀ごろ、ローマのカエサルという英雄が当時のイギリスであるブリタニアに遠征に行っていました。
ブリタニアにはケルト人系が多かったようです。
このケルト人、騎兵隊と戦車を使いこなし、先発の部隊と追撃の部隊を分けながら、さらに船から上陸するのを阻止しようとしたという華麗なる戦いっぷり。というか、戦いに慣れてますよね。ふつうは国境を接すると戦争になりやすいと聞きますが、島国は島国で戦術があったんですね。
この結末は結局カエサル一派が勝利してブリタニアはローマ化されたようですが、どうもそうでもない内容が近年出てきたようです。
なぜローマに飲み込まれたかのよう歴史が描かれてしまったのだろうか?
インドの植民地支配を正当化するためになぜわざわざローマを強調する必要があったのだろうか?個人的にはものすごく疑問に残ります。
ということで、ブリタニアに多くいたとされるケルト人についてもう少し調べてみることにしました。
ブリタニアにも多くいたようですが、紀元前1200年からケルト人はヨーロッパ全土へひろがっていったと言われています。
DNA的にみるとこんな感じ。ハプログループR-S116がケルト系です。
イタリア、スイス、フランスあたりにも集中していたようです。
うーん、宗教的にも経済的にも政治的にもいろいろ話題に上がる地域ですね~。
ケルト人の宗教
ケルト人の宗教は自然崇拝だったようで、そのあたりでも縄文時代の日本と類似性があると言われています。
が!
なんとおっかない話もあるようでして…。
ケルト社会にはドルイドという宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、重要な役割を果たしていた祭司がいました。
しかし、ここでまたカエサルが奇妙な記録を残しています。
えっ・・・・・。
いや、日本にも藁人形はありますけど、次元が違いすぎません(笑)???
仲間を生贄に!?究極すぎる😨
さらに歴史家の記録は続きます。
マヤ文明でも内蔵を神にささげていたともあります。マヤ文明は時代として幅が広いくて古くからあるので、マヤ文明のほうが先にあったようにも感じられますが、何か関係があるんでしょうかね?めちゃくちゃ気になる…。
ケルト人は各国が戦争や取り立てに兵力として雇っていたくらい非常に戦闘能力が高かったようです。武具を身に着けずに裸で戦っていた説もあります。その強さの秘訣は生贄の儀式にあったのでしょうか?世界観が違いすぎて理解に苦しみますが。しかも、これでも自然崇拝に当たるようです。自然崇拝もなかなかの広義ではあります。。
ハロウィンの発祥もケルト人説とも。
生贄の儀式と違ってハロウィンは、死者を偲ぶためのだったそうです。その夜、死者の霊は生者と共に過ごすためにったとか。家族が先祖のために食事を供え、時には食卓まで用意していた情景を思い浮かべると、お彼岸のような感じなんですかね?
ケルト人の記事はもう少し続く予定(多分。。。)
うーん、まだまだ語りたい…。
忘備録として、今日はここまで👋
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