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古代イギリスの正体とは?

遡ること紀元前1世紀ごろ、ローマのカエサルという英雄が当時のイギリスであるブリタニアに遠征に行っていました。
ブリタニアにはケルト人系が多かったようです。

このケルト人、騎兵隊と戦車を使いこなし、先発の部隊と追撃の部隊を分けながら、さらに船から上陸するのを阻止しようとしたという華麗なる戦いっぷり。というか、戦いに慣れてますよね。ふつうは国境を接すると戦争になりやすいと聞きますが、島国は島国で戦術があったんですね。

この結末は結局カエサル一派が勝利してブリタニアはローマ化されたようですが、どうもそうでもない内容が近年出てきたようです。

南川氏によれば、ブリテン島がローマの属州支配によって文明化した、というような「帝国支配による文明化」が強調されるようになったのは19世紀のことで、それはイギリス帝国(大英帝国)がインドを初めとする広大な植民地を支配し、まさに「文明化」を進めていた時期であった。意識的にローマによる文明化はイギリスによる文明化とだぶって説明されていたのだ。
 つまり、先進的な文明国が、後進国(あるいは地域)を支配することによって文明化、あるいは近代化を進めたことに意義を見出すという、植民地支配を正当性する議論を、古代ローマの支配によってブリテン島が「文明化」したと論ずることで補強することになった。
 しかし、はたしてローマ帝国による「文明化」とは何か、また本当にあったのか、という疑問が20世紀に出されるようになった。それはイギリスのインド支配が破綻する時期と一致していた。現在では属州時代のブリテン島の考古学的な研究が進んだことで、「ローマ化」はローマが建設した都市部にとどまり、ブリテン島に広く深くローマ文化が定着したのではなかったことが明らかになってきた。イギリスの研究者の中には「ローマ化」を「文明化」と評価するのではなく、属州支配の前後に一貫してブリテン島に内在した要素による歴史として見直されている。

出典元:世界史の窓

ブリタニア (y-history.net)

なぜローマに飲み込まれたかのよう歴史が描かれてしまったのだろうか?
インドの植民地支配を正当化するためになぜわざわざローマを強調する必要があったのだろうか?個人的にはものすごく疑問に残ります。

ということで、ブリタニアに多くいたとされるケルト人についてもう少し調べてみることにしました。

ブリタニアにも多くいたようですが、紀元前1200年からケルト人はヨーロッパ全土へひろがっていったと言われています。
DNA的にみるとこんな感じ。ハプログループR-S116がケルト系です。
イタリア、スイス、フランスあたりにも集中していたようです。
うーん、宗教的にも経済的にも政治的にもいろいろ話題に上がる地域ですね~。

wikipediaより

ケルト人の宗教

ケルト人の宗教は自然崇拝だったようで、そのあたりでも縄文時代の日本と類似性があると言われています。

が!
なんとおっかない話もあるようでして…。

ケルト社会にはドルイドという宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、重要な役割を果たしていた祭司がいました。
しかし、ここでまたカエサルが奇妙な記録を残しています。

共和政ローマの軍人であり政治家のユリウス・カエサルは、ドルイドのことを「祭事に従事し、公的および私的な生贄の儀式を行い、宗教に関するあらゆる物事を解釈する人々」だと書き残した。彼らは天文学や教育、武勇に関心があり、神の恩恵を受けるために、仲間のガリア人を生贄として捧げる習慣がある、とカエサルは述べている。なんと、編み細工で作った巨大な人型の檻「ウィッカーマン」の中に生きている人間を閉じ込め、火をつけたという。

出典元:Nikkei National Geographic
出典元:Nikkei National Geographic

えっ・・・・・。
いや、日本にも藁人形はありますけど、次元が違いすぎません(笑)???
仲間を生贄に!?究極すぎる😨


燃える巨人(ウィッカーマン)



さらに歴史家の記録は続きます。

歴史家であり政治家のタキトゥスは、ウェールズでの戦いで、ドルイドが「祭壇に捕虜の血をかけて内臓を捧げ、神々に祈っていた」と述べている。

出典元:Nikkei National Geographic


マヤ文明でも内蔵を神にささげていたともあります。マヤ文明は時代として幅が広いくて古くからあるので、マヤ文明のほうが先にあったようにも感じられますが、何か関係があるんでしょうかね?めちゃくちゃ気になる…。



ケルト人は各国が戦争や取り立てに兵力として雇っていたくらい非常に戦闘能力が高かったようです。武具を身に着けずに裸で戦っていた説もあります。その強さの秘訣は生贄の儀式にあったのでしょうか?世界観が違いすぎて理解に苦しみますが。しかも、これでも自然崇拝に当たるようです。自然崇拝もなかなかの広義ではあります。。


ハロウィンの発祥もケルト人説とも。

生贄の儀式と違ってハロウィンは、死者を偲ぶためのだったそうです。その夜、死者の霊は生者と共に過ごすためにったとか。家族が先祖のために食事を供え、時には食卓まで用意していた情景を思い浮かべると、お彼岸のような感じなんですかね?


ケルト人の記事はもう少し続く予定(多分。。。)
うーん、まだまだ語りたい…。

忘備録として、今日はここまで👋

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