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多様性ガチ勢が教える不快な表現との向き合い方 ~多様性マインドとは。「でも俺は存在してもいいと思う」~

不快な表現があるのは万人共通

皆さんも人間なので、不快なポスター・漫画・映画・アニメ・ドラマ・Twitter漫画・ツイート・人間がいると思う。
俺も中学生の同級生のRくんだけはどうしても不快で苦手で、未だに夢に出てきて俺をいじめたりしてくる。マジで無理。あとは、風俗で働いている女性がクソとか言っておじさん客の悪口を言うツイートとか、意識高い系のツイートばかりする稼いでる成功者アピばっかりするTwitterアカウントとかもマジで苦手。

そんな時、私はこの2つの言葉で精神を保つ。
「でも俺はそんな表現があってもいいと思う」
「誰かにとっては大切なものかもしれない」

「でも俺はそんな表現があってもいいと思う」

これは俺が考えた言葉で、全てに対して”存在していることを許す”魔法の言葉だ。時には誰かに「死んでほしい」とか「消えればいいのに」とか、多様性とは程遠い排除的な思考になることがある。にんげんだもの、そんな時もある。
でもそんな思考になる度に、「俺は嫌いだけど、別にそんな人間がいてもいいと思う」のように使う。
死ねとか消えろとかは、相手に存在することすら許さない超残酷な言葉だ。書き込むと今では普通に誹謗中傷として訴えられるかもしれないし、自衛のためにも使わないほうが良い。だから、「……でも俺はそんな表現が存在していいと思う」と考えよう。ここで注意して欲しいのは、

①私は個人的にAが嫌いだ
②でもAはこの世に存在してもいいと思う
③別にAの全てを擁護しているわけではない

の3つが同時に成り立っているということだ。

使用例
あいつは強姦殺人して捕まったサイテーのクズだ。でも俺はそんな人間でも存在していいと思う(法の裁きは受けてもらいたいけどね)。
こいつは女性の性的魅力を前面に押し出した広告で、私を含め沢山の女性が不快になる表現だ。でも私はそんな表現があってもいいと思う(法やルールにのっとって、問題ない表現にちゃんと修正してもらいたいけどね。)

「誰かにとっては大切なものかもしれない」

もう個人名を出すが、アンジャッシュ渡部とかは美人な嫁さんもいるのに不倫なんかしてサイテーだと思う。でもそんな渡部でも死んじゃったら涙を流して泣いて悲しむ誰かはいるはず。そう考えたら渡部に死ねとか消えろとかとてもじゃないが言えない。
ぴっちりスカートのエロ表現も、男性同士の恋愛も、Twitterの愚痴垢も、意識高い系ツイッタラーも、二次元幼女エロ画像も、それでオナニーをする成人男性も、今まさにどこかで誰かをレイプしてる犯罪者も、誰かにとっては心の拠り所かもしれない。そう考えると、途端に排除しないほうが良いように思える。放置しておいて、勝手に無くなるか勝手に自爆して法で裁かれるのを待った方が良いやと思える。
『そんな拠り所なんて無い方が良い』?『そんなのを拠り所にしている人間なんてロクな人間じゃない』?『最後のはタダの犯罪だろ』?

ううん。でも俺は、そんな拠り所とかそんな人間が、あってもいいと思う。
(もう一度書くけど、だからと言って全てを擁護している訳じゃないからね)

これであなたも今日から多様性ガチ勢

僕の知り合いの何人かは
「日本を悪くするだけの統一教会は早く無くなればいい」とか、
「障害者って健常者に迷惑をかけて生きてるし死んだほうが良い」とか
「早く年金世代の老人共がいなくなれば楽なのに」とか
「おじさんおばさんマジでキモ過ぎる、はよ死んでほしい」とか
「誰かを不快にさせる表現は無い方が良いに決まってる」とか
「こんなアプリ、無断転載に使われるに決まってる。生み出すなよ」とか
「北朝鮮とかいう国、無いほうが世界平和に近づくだろ」とか
「自分なんか、生きてる価値無い」とか
そういうことを言ってたりする。

違うんだよ。そんな宗教でも、そんな表現でも、そんなクズ人間でも、そんな君でも、生きていていいんだよ。もうちょっと自分や他人に甘くなってみて欲しい。

例えばもうちょっと自分に甘くなって、「私はクズで死んだほうが世のため人のためになるだろうけど、そんな私でも生きちゃお~w」くらいの感覚でいいよ。そして、できれば自分以外の存在にも「そんなゴミでも存在してて良いと思う」を適用させてあげて欲しい。例えばもうちょっと他人に甘くなって、「この表現は社会に悪影響しか与えないと思うけど、別に存在していていいと思う」とか。
だって別に、君はこの世の中をより良くする使命を持って生まれてきた訳じゃないんだから。
たとえ貴方の目の前に世界を悪化させる巨悪がいたとしても、君はその巨悪に立ち向かう義務なんてない。犯罪が増える原因になるような表現があっても、それを無くそうとしなくなっていいんだよ。だって君は世界を綺麗にするヒーローじゃないし、世界をより良くする使命を持った勇者じゃないから。
そしてなにより、仮に貴方自身がこの世界を汚す社会のゴミだとしても、別に生きてても良いよ。だって別に、君はこの世の中をより良くする使命を持って生まれてきた訳じゃないんだから。そもそも、君1人がどうこうしたところでこの世界は良くも悪くもならない。

なんかのツイートで見たが、多様性というのは『自分が嫌いなものや自分の価値観と合わないものに嫌悪しながらもそれを容認する社会』だそう。

もはや多様性ガチ勢となったキミと俺は、嫌いな表現や嫌いな人間たち、嫌いな自分を嫌悪しながらもそれを容認していくのだろう。
「……でも俺は、そんな表現があってもいいと思う」
このマインドだけでも覚えてくれたらとっても嬉しい。



……でも俺は、多様性なんてクソ喰らえで様々な表現を叩き潰して回る人がいてもいいと思う。

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