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女の子が欲しかった母に育てられたわたしは


子供の頃、沢山可愛い服を着せてもらえた。

可愛い制服のある幼稚園にも通った。
髪の毛も可愛く結ってもらった。


小学生の頃は塾、通信教育。
習字や水泳も習った。

ある日、突然ダンスをやらないかと言われた。

わたしは全くやる気はなかった。
母のママ友グループの子達がみんなで
ダンスを習い事として通うらしかった。

その友達は、仲良い子もいたし、
そこまでの良く遊ぶ仲でない子もいた。

初めはわたしはやらないといったけど、

体がほんの少しだけ柔らかいという理由だけで
「ね!やろうよ!」と背中を押す母に
わたしは
喜んで欲しくてはじめることにした。

多分、
いつも母の愛情を求めていた。


産後、母はどちらの性別を希望していたのか聞いてみたことがあった。
どうしても女の子が欲しかった。
と言っていた。

女の子が欲しかった母に育てられたわたしは、

今もうれっきとした大人であるけれども
いまだに母から愛情を示された記憶がない。

毎日のごはん作り、家族みんなの身支度、家事全般
やってくれたのはすべて母である。

旅行にも連れて行ってくれたし、
家族で一緒に暮らしている時間
みんなの家族の思い出も残してくれている。

本当に感謝している。


でも記憶がないのだ。
母が私をどう思っているかわからない。

なぜ女の子が欲しかったのだろう。

女の子らしい
可愛い服を着せたかったのだろうか。
髪を結いたかったのだろうか。

大人になって
女同士の話をしたかったのだろうか。

絶対的な味方になってくれる存在が欲しかったのだろうか。

今現在、母との関係はあきらかに良くない。

たまに会話の中で
母と旅行に行く友人、
買い物に行く友人の話を聞くと
驚きを隠せないのと同時に、

その母娘の良好な関係を
もうきっと手に入れられないだろうなという
羨ましさもある。

いつの日にか、わたしも母を誘って
映画を見に行ったことがある。

娘と映画に行くって、
喜んでくれるかなあと思った。
実際は特に喜ぶ姿もなく、
想像以上に淡々としていて
話も特に盛り上がらず昼食を食べて帰った。

母は何を思っていたんだろう。


子供の頃から誕生日には手紙を渡したり、
花を贈ることもあれば
プレゼントも物凄く選んで選んで贈った。
とにかく喜ぶ姿が見たかったのだ。

しかし贈った後、
喜んでくれているのかあまりわからない姿がいつもあった。

手紙やプレゼントはどこに行ってしまったのだろう。

大好きだよ、愛してる、大切だよ
と言ってもらえること。
抱きしめてもらえた記憶。
これらが本当にない。

忘れているだけ。
そのようにいう人もいるのかもしれないけれど、
全く記憶がないことは、
生きていく上で本人を心から苦しめることになる。

母親からの愛情をしっかり受けて育つこと。
これはその後の人間的な成長の土台と言われる部分を確立する際に
絶対的に必要なことであると言われるが、
そのことを身をもってひしひしと感じる。

わたしは一歩間違えれば
多分グレていたように思う。

お母さんってどんな人?

と聞かれたら、一体世の中のどれくらいの人が答えられるのだろうか。

わたしは母がどんな人なのかわからない。
きっと透き通る水に灰色の絵の具を垂らしたように
めちゃくちゃに濁すと思う。


わたしは息子を出産した。
性別はどちらでも良かった。
ただひとつ、
息子を授かって心から幸せである。

大きくなった愛する我が子に
「母からの愛を感じた記憶がない」と
苦しめることがないように

言葉や態度できちんと愛情を伝えようと心に決めている。

それしかできない。
でも、それだけはできる。と心に誓いながら今日も過ごす。

そして

母もわたしのたった1人のやはり大切な母親なのである。
いつの日にか
母とも和解のときが訪れると信じている。


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