美味しい記憶 / 祖母の蒸し饅頭
祖母が作る料理の中で、
最も手の込んでいたものは何だっただろうかと、
ふと考えた。
たくさん思い浮かぶ中でも、
とりわけ時間と手間をかけていたのは、
やっぱり、蒸かし饅頭だったよう思う。
何せ、餡子から手作りしていたのだ。
それもこし餡。
祖母は毎回、大きな鉄鍋で小豆を煮ていた。
湯気が立ち上る鍋の前に立ち、
木べらを握りながら、
時折ゆっくりとかき混ぜる後ろ姿が、
今でも目に浮かぶ。
小豆がやわらかく煮えると、
ざるでこし、最後に砂糖を加えて練り上げる。
祖母のこし餡作りは、ざっと、
こんな工程だったと思う。
記憶の中の風景は、あまりにもぼんやりとしていて、思い出せるのはこのくらいだけだ。
そのことに、少し寂しくなる。
祖母のお饅頭作りは、事前に知らされることもなく、けれど決まって週末の早朝に行われていた。
子供の頃の私は早起きだったので、
台所から物音が聞こえると、
布団から飛び起きて一階へ向かった。
そして台所の扉をそっと開けると、
既に一口サイズに小さく分けられた餡子玉と、
ぽにょんとしたお饅頭の皮が、
食卓いっぱいに並べられている光景が広がっていた。
台所の奥には、窓越しに朝日が差し込んで、
ほのかにキラキラと光っていて、
とてもきれいだった。
お饅頭を包む工程では、
火を使わず火傷の心配がないせいか、
普段は厳しい祖母も、
その作業だけは私に手伝わせてくれた。
まずは、
お饅頭の皮を両手で少しずつ、まるく広げる。
十分な大きさになったら、片方の手のひらに乗せて、小さな餡子玉を真ん中にぽんと置く。
そこからは餡子を包み込むように、
皮を少しずつ引き伸ばしていき、
最後に閉じた部分をきゅっと押さえて形を整える。
ときおり横から祖母のしわしわの手が伸びてきては、私が包むお饅頭の形を整えてくれた。
それが終わったら、押さえた部分を下にして、
蒸篭の中に並べる。
ふたりで黙々とお饅頭を包む作業は、
淡々と続いていく。
普段は甘やかしてくれない祖母が、
お饅頭作りの最後の一個は、
いつも私の好きな形に作らせてくれた。
私はそれを星形にした。
蒸し上がったまあるいお饅頭は、
柔らかな湯気をまとい、
食卓に山盛りに積まれていた。
そして家族のおやつや、来客時のお茶請けとして、
しばらくの間、
家の中をほのかな甘い香りで満たしてくれた。
蒸かしたてを口にほおばれば、
皮のふんわりとした食感と、
滑らかな餡子の甘みが広がり、
それはそれはおいしかった。
冬の寒い時期には、
祖母がお饅頭を石油ストーブの上で温めてくれた。
底がカリッと香ばしく焼けたお饅頭は、
いくらでも食べられそうなほどおいしくて、
私は通学班の集合時間ぎりぎりまで、
そのお饅頭を頬張っていた。
そんな私を、
ストーブ横の椅子に腰掛けて見ていた祖母も、
どこか満足そうに微笑んでいた。
そんな祖母の蒸かし饅頭が、
先日急に食べたくなり、
初めてインターネットで作り方を調べてみた。
今は餡子は出来合いのものを買うこともできるし、
思っていたよりはハードルは低そうだ。
そして、レシピを読み進めるうちに、
「これなら、私にも作れそうだ」と、
少し気持ちも軽くなってきた。
けれど同時に、心の中では、
簡単に再現できないものがあることも分かっていた。
湯気の匂い、
餡子をこして練り上げる手の感触、
蒸篭を開けたときのあの温かさ。
そして、祖母と私のあいだに流れていた、
甘い香りに包まれていたあの時間。
どんなに丁寧にレシピ通りに作っても、
祖母と共有したあの時間の感触やにおいまでは、
再現できない。
作る手順ではなく、
祖母があのとき見せてくれた仕草や、
しずかに声をかけてくれた言葉が、
私の記憶を形づくっているのだと、
今になって気づく。
自分で作ったお饅頭を食べながら、
きっと私は、「なんだか違うな」と感じるのだろう。
それでも、
祖母が私に手伝わせてくれたときと同じように、
ひとつひとつ、皮を広げては餡子を包みながら、
作る時間を楽しむことができたらいいと思う。
隣に祖母の思い出を感じながら。
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