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『自分とキャラ』~本当の自分とは?~リテラ探究学習研究レポート

「私は一体どういう人間なのだろう」「友達の前の自分は本当の自分じゃないのだろうか」誰もがぶつかる問いに、正面から向き合ってくれたTさん。

大人へ近づくための貴重な体験を発表してくれました。

この研究をしたのは新中学三年生のT・Yさんです。




■リテラの先生からのコメント

自分というのは、なんと厄介なものなのでしょう。
それでも、勇気を持って向き合い、言葉にしていったTさんの勇気を、悩み考えながら生きていく一人として、心から尊敬します。
これからも、Tさんの紡ぐ言葉を聞いてみたいと思いました。

『自分とキャラ』

私がキャラづけを始めたのは中学校1年生の時です。
夏休みが終わったころでしょうか、私は学校が大嫌いでした。
私は、友達との会話に、内心飽き飽きしていました。
誰と誰が喧嘩したとか、悪口を言ったとか、誰が誰の事を嫌いだとか、薄っぺらくて仕方がないように感じました。
その時はまだ、キャラといったことは考えていませんでしたし、逆に、キャラを作っている人の気持ちが分かりませんでした。
そんな私を変えたのは、夏休みから少したって、肌寒くなってきたころのことです。
私の友達に、人見知りで、お世辞にも愛想があると言えない子がいました。
その子をRとします。
Rは、私の数少ない、気を遣わなくてもいい友達で、私は、「大切な人を思い浮かべてください」と言われたら、毎回この子を思い浮かべていました。
はっきりと自分の言いたいことを伝えてくれ、私に何かあったら必ず心配してくれます。
ただ、本当はみんなと喋りたいけれど、人と喋るのが怖くて喋れない性格で、無愛想と勘違いされることが多くありました。
その日、いつものようにクラスの子と話していたら、またいつものように、悪口大会が始まりました。
何も考えずに黙っていると、「Rちゃんって正直きもいよね。
いつも黙ってるし面白くないし。
生真面目ってかんじでまじうざい」という言葉が聞こえてきました。
私は心に怒りがこみ上げてきましたが、なんとか飲み込み、黙っていました。
しかし、その子の発言だけでは終わらず、それに続いて何人もの子が同調していきました。
会話はエスカレートしていき、ついには、黙っていた私にまで同調を求めてきました。
「なんであんな子と仲良くしてるの?」と、ある子が言いました。
それに続いて他の子が「優しいからだよ。
面倒くさい子の面倒見てかわいそうだね」と言い、そしてついに「あの子と関わるのやめよ?無理して一緒にいる価値ないよ」と言われてしまいました。
その時、私の中にあった糸が切れてしまったように感じました。
立っている感覚がなくなり、体全体が熱くなっていきます。
みんなの視線が集まります。
本当の私なら、怒って言い返していたかもしれません。
ただ、自分の内側に、そんなものでは収まらない怒りが渦巻いていました。
私は、あえて落ち着いた表情をして、必死に笑顔をつくり、「ありがとう。
でも、私、何も考えないタイプだし、ぼけーってしてるよ」と、ちょっと外れた回答をしました。
つまらなそうな顔をする子もいれば、「なにそれー」と笑う子もいました。
本当は言い返したかったのです。
でも、私は弱かった。
Rをかばいたかったのに、そうせず、自分を守ってしまった。
ただ、自分の回答は、ある意味自分ではなくて、とても楽なように思えました。
そこから、私のキャラ作りというものがはじまったのです。
まず、私が始めたのは、ロールモデルを作ることです。
私は、キャラというものがあまりよく分かっておらず、とりあえず、なんとなくマンガに出てくるぶりっ子をしておけばいいかなと思いましたが、それはそれで敵を作りそうなので、「身近にいるほわほわしている人」を目指してみることにしました。
そこから、私は、周りのほわほわしている人を観察しました。
中でも特に意識して見ていたのが、習い事の先輩でした。
とてもかわいらしくて、天然で、物語にでてくるプリンセスを想像させるような人でした。
まったくわざとらしくなく、人を嫌な気持ちにさせません。
私は「これだ!」と思い、その人の喋り方や性格だけでなく、一つひとつの動作も観察しました。
しかし、それを学校で再現するのは簡単なことではありません。
初めは、それこそ挙動不審になってしまい、不思議がられることもありました。
そのたびに反省して、次に学校に行くときはどうしようか考え、できるだけ角を削り、丸くなるように丸くなるように改良していきました。
そのキャラに周りも慣れてきて、「ほわほわした子」という印象を、無事に浸透させることができました。
その後、学年が上がっても、ほわほわしたキャラを突きつめていくべく精進していましたが、クラスの個性的な明るい子やフレンドリーな子、いわゆる陽キャと呼ばれる、クラスの中心的な子に憧れるようになりました。
何を思ったか、ほわほわキャラを突きつめられた自分なら、違うキャラでも行けるかもしれないと思い、明るい人を目指してがんばってみましたが、ただのうるさい人になってしまいました。
慌てて、元のほわほわキャラに戻そうとしましたが、それにも違和感を覚え、小学校の頃から仲の良い友達に相談してみました。
すると、「ずっとそのキャラでいたならいいけど、今から戻すのは正直めっちゃ引かれると思うし、今から戻すのは正直イタイ」と言われたので、もうどうしたらよいか分からなくなってしまいました。
休みの日、お母さんにその話をしてみました。
お母さんの解答は単純でした。
「おとなしくしてればいいじゃない」
その言葉は、結構前からお母さんによく言われていました。
改めて考えてみると、それが一番、心が楽になることに気づきました。
おとなしくしていたら、人もむやみやたらと近づいてこないし、悪口に巻き込まれることなんて無かったのではないかと後悔しました。
変に明るい人を目指して引かれることもなかったのです。
自分はとことんキャラを作るという面に関しては不器用だと思いました。
アイドルやYoutuberなど、自分の個性を仕事にしている人は、キャラという自分の服を選んでくれたり、一緒に迷ってくれる人がいます。
それでも、「痛い」「キャラ作ってるの丸見え」という言葉を、さまざまな場面で聞きます。
一緒に考えてくれる人がいてもそうなるなら、素人の、何も分からない私なんかがキャラなんか作ったら、ただの痛い人になるだけなのです。
器用な人ならなんとかなるかもしれませんが、私はお世辞にも器用な人ではありません。
キャラを考えることは、正直、自分で着る服を考えるようなもので、とても楽しいです。
だから、すぱっとやめるのは惜しいと思いました。
それに、やめることもできません。
だから、私は、大人しくする、というのを、大人しいキャラを作るという考え方に変えました。
本質は大人しくするだけなので、引かれることはありません。
それに、自分に合っているのか、とても楽なので、心に余裕ができました。
たぶん、私は、こういう失敗を繰り返すのだろうなと、余裕のできた心で考えます。
ただ、こうやって大人に近づいて行けるのだな、とも思います。
キャラは、私にとって苦い経験にはなりましたが、大人に近づく一歩だったのです。
これで私の発表を終わります。
聞いてくださって、ありがとうございました。

■研究の振り返り

◇これはどのような作品ですか?
自分とキャラづくりについての発表です。

◇どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
なんとなく自分に合っているテーマだと思ったからです。

作品づくりで楽しかったことは何ですか?
表現を考えることです。

作品づくりで難しかったことは何ですか?
集中して取り組むことです。

作品作りを通して学んだことは何ですか?
文章を読み返してみると思ったより内容が薄かったりすることです。

◇次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
もっと早く終わらせることです。

この作品を読んでくれた人に一言
こんな内容ではありますが読んでいただきありがとうございます!

この記事を書いた生徒さん

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