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【最終話】Netflixでグリム組曲第6話『ハーメルンの笛吹き』まで観ましたー。

シャルロッテ「ねえ、ヴィルヘルムお兄様。どうしてハーメルンの街の人たちは笛吹き男に鼠を追い払ってもらったのに、お金を払わなかったのかしら?」

ヴィルヘルム「う~ん…惜しくなったんだと思うよ」

シャルロッテ「でも…約束は約束だわ!ちゃんと鼠を退治したのに…」

ヤコブ「ん…約束を破っても構わないと思ったんだろう。だから、笛吹き男は代わりに子供たちを連れて行ってしまった」

ヴィルヘルム「お金よりも、もっと大切なものをなくしてしまったんだ」

シャルロッテ「子供たちは…そのあとどうしたのかしら?笛吹き男に連れて行かれて、幸せになれたわよね?きっと…


はじめに

 Netflixでグリム組曲第6話『ハーメルンの笛吹き』まで観ましたー。

 前回に引き続きの鑑賞ですが、第4話『小人の靴屋』は、昔は350万部売れた小説家が落ちぶれてしまい、近隣住民に変質者扱いされるこもりびと生活を送っていて、公園で飲んだくれていたところ少女に新作を酷評され、自宅に帰って寝て目を覚ますと、書いた覚えのない原稿が書き上がっていて、その小説が万人に受け入れられ大ヒットする内容でした。
 原作の小人の靴屋は、単純に小人さんありがとう~で話が終わった気がしますが、グリム組曲では『自分の力でないもので成功し(自分が書いていると思われるのだけど書いた記憶がない)、自分を表現せずに称賛されて、お金や地位や名誉さえ手に入ればあなたは満足できるの?』という理想と現実の阿附迎合に葛藤する作品に思えました。

 第5話の『ブレーメンの音楽隊』は、原作の犬、猫、ロバ、雄鶏を美女・美少女で描いていて、社会からあぶれてしまった人同士協力して自分の居場所を作っていく話に思えました。

 そして、シーズン1を締めくくる最終話、第6話の『ハーメルンの笛吹き』は、原作のハーメルンの笛吹き男とはかなり異なる話で、その内容と思想に心惹かれました。明らかに聖書の知恵の実の話をアレンジして描こうとしている(ヒロインの名前がマリアだし、、)気がしました。記録したいと思います。

個人的な評価(シーズン1全体)

ストーリー  A+
脚本     A+
構成・演出  S
思想     A+
作画        A
キャラ    A
声優・歌   S
バランス   S
総合     A+

S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ


前半のあらすじ

 ”物乞いはもらうだけ、でも私は与えることができるよー”

 内容的には、辺境の小さな村で家族に守られながら暮らす聡明で美しい16歳の少女・マリアの生活の様子が描かれます。彼女は魅力的ですが、周囲に浮世離れした、年齢より大人びた印象を与える女の子でした。
 具体的には、「私、雨が好き。世界を洗い流してくれるから。汚いものも醜いものも、みんな見えなくしてくれるから」などと唐突に口走るような性質の持ち主です。

 マリアが暮らす村では、17歳の誕生日までには必ず働きに出るか、誰かと結婚して夫の家に嫁がなければならない決まりがありました。
 また、グランコードと呼ばれる老婆が村を統治していて、あらゆる物事に関する決定権を持っています。マリアはグランコードの孫娘です。

 マリアに思いを寄せる男性教師は、叶わぬ恋と自覚しつつも、彼女が他の男性と結ばれることに厭世感を抱えていました。
 しかし、マリアが夕食の席でグランコードと両親に対し、「学校の授業はつまらない」と率直に口にしたことで、グランコードはルーカスという村の乱暴者の男子との縁談を勧めます。

 慌てるマリアの両親ですが、マリアは特に異議を唱えることもなく、了承します。ただ、雨が降っていることだけを気にかけていました。

 ある雨の晩、男性教師の家に行き倒れた旅人が辿り着きます。旅人は一杯の白湯を求めますが、男性教師は薄汚い胡乱な物乞いとして、邪険に扱います。
 旅人は、一夜の宿代わりに一枚の絵を差し出しました。男性教師はその絵を見るや否や「贅沢に着飾って淫靡に笑い合う男女!」と、評して糾弾しました。 
 それに対し旅人は「へえ、あなたにはそう見えるんだ。私には幸福な恋人同士に見える」と主張しました。

 日に日にマリアとルーカスの婚姻が現実味を増し、状況に抵抗する様子を見せないマリアに焦りを感じた男性教師は、自宅にマリアを呼び寄せると、旅人からもらった絵を見せました。
 愛し合う恋人たちの絵を目にしたマリアは、胸の高鳴りと高揚感を覚えました。

 ルーカスおよびルーカスの両親、マリアおよびマリアの両親、グランコードの縁談前の食事会が開かれ、穏やかな雰囲気で話が進みます。
 しかし、グランコードが「結婚しても、財産の管理はマリアがする」という条件を提示したことで、ルーカスの両親は不服を申し立てます。最終的には、『マリアの子供が産まれたら共同財産にする』という案で妥結されます。

 それに対しマリアは「産まれなかったらどうなるの?こうやって潰されちゃうのかしら?卵を産めなくなっためんどりね」と、不思議そうに疑問を述べた後にテーブルの鶏肉を頬張りました。
 続けて「ルーカスは見栄っ張りのおバカさん。乱暴者で、結婚したら私を殴ると思うわ。弱い者をいじめるのが好きなんだもの。でも、それは構わないの。ルーカスよりほかに、私にふさわしい男がいないんだから、仕方ないわ」と、淡々と口にしました。

 後日、マリアは男性教師の自宅を訪れると、また例の絵を見せてほしいとせがみます。要求に応じると、この絵を家に持ち帰りたい、そもそもこの絵はどこで手に入れたの?と言い始めます。
 男性教師は「君が私の物になってくれるなら、君の望みを叶えて何もかも教えましょう」と答えます。マリアが「先生のものになるって結婚するってこと?」と質問を返すと、男性教師は黙って彼女の手を握りました。

 マリアは言いました。「私は構わないわ。ルーカスでも先生でも」と。男性教師が旅人から絵をもらったことを告げると、「先生がその旅人に会わせてくれたら、先生と結婚するわ。絶対に」と約束しました。
 旅人を自宅地下に監禁していた男性教師は、その生存を確認すると、翌日マリアに会わせる前に結婚の意思を確認します。

 するとマリアは「考えたんだけど、やっぱり結婚は無理かも。結婚じゃなくてもいい?先生の望み、1回くらいなら叶えてあげられるわ」と、身を任せるのでした。
 果たして、マリアは誰と結婚するのでしょうか。また、笛吹き男は何者なのでしょうか。


感想(ネタバレあり)

 原作のハーメルンの笛吹き男が、『誠実さ、信頼、責任感といった人間社会の基本的な柱を守ることの重要性』『決定を下す際には、その全ての結果を十分に考慮するべきであること』などの教訓が込められているのに対し、グリム組曲では、村の因習に縛られ価値観を支配されていた少女マリアが解放され、自由に生きていく旅立ちの話として描かれていました。

 先日観た『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎』の沙代のifストーリー的に鑑賞してしまう自分がいました。。音楽的にも、決めのシーンでショパンのスケルツォが使用されていて大変良かったです。

 今回でグリム組曲シーズン1は終了ですが、大変楽しめました。シーズン2はあるのでしょうか…期待です。あるいは、アンデルセン組曲でも全然構わないですし、むしろ歓迎なのですが。。


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