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prime videoで『バーレスク』観ましたー。(ネタバレなし)


はじめに 

 prime videoでチェコ映画の『バーレスク』観ましたー。肉体美で大金を稼ぐポールダンサーのセクシー映画が観たいと思って視聴したところ、肥満がコンプレックスの女性が主人公の作品で、あれ…?^^;ってなったのですが、そのまま鑑賞を続けました。

 ちょっとエッチな映画を期待して観たわけですが、内容的にルッキズム、身体障害、コンプレックス克服など様々な論点を含んでいて大変興味深い作品でした。記録していきたいと思います。

個人的な評価

ストーリー  B+
脚本     A+
構成・演出  A-
俳優     A
思想     B
音楽     A
バランス   B+
総合     B+

S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ

内容前半のあらすじ

 内容的には、小中学校の教師をしている女性が、男子生徒のいじめと思われる現場に遭遇して止めに入るシーンから始まります。男子生徒のひとりが男子を窓から突き落とそうとしていて、慌てて止めに入りつつ話を聞きます。
 すると、被害生徒曰く「夏で暑いにも関わらずジャケットを着ている理由を訊いたら、窓から落とされそうになった」と説明されます。加害生徒に話を訊くと、「余計なことを言うからだ」としか言いません。
 女性教師は加害生徒に非があると判断し「アムンセン(人類史上初めて南極に到達した人物)みたいな恰好して」と注意します。

正確には、ロアール・エンゲルブレクト・グラブニング・アムンセン

 すると、「アムンセンwwwww」と、その場にいる生徒全員が笑います。日本で言ったら、眼鏡してる男子に対して「滝廉太郎みたいな眼鏡してるね」と指摘するようなものでしょうか、、。
 すると、加害生徒は女性教師に対して「クジラの癖によ」「醜いタイヤみたいな脂肪」と罵り、生徒手帳に始末書的な記載をするべくしゃがんだ姿を見て「豚みたいだ」と追い討ちをかけます。

 女性教師は、生徒のひとりが飲んでいるヨーグルト牛乳を奪い加害生徒の頭にかけ、「誰が豚だって?」と反撃しました。何事もなかったかのようにその場を後にしますが、彼女の目には涙が浮かんでいました

 休日、彼女は気晴らしにナイトクラブに出かけます。彼女はバーレスクのダンサーに強い憧れを抱いていました。誰もいない場所で踊っては、ダンサーになる妄想に浸っていました。

 バーレスク(Burlesque)とは、文学や演劇の脚本や音楽のジャンルで、有名な作品のテーマやスタイルを誇張したり、こっけいに描いたりするものです。イタリア語の「Burlesco」に由来し、冗談や嘲りの意味を持ちます。

 17~18世紀にはイギリスを中心に風刺的喜劇として流行し、ゲー、フィールディング、シェリダンらが代表的な作家です。19世紀以降は風刺性を失い、寸劇風に演じられる滑稽劇や道化芝居、物真似、バラエティーショーなどの大衆向け娯楽劇の総称となり、レビューやボードビルなどと同義に使われるようになりました。

 また、大衆向けのキャバレーや酒場などで、歌やダンスや手品などで、お客を楽しませるショーをする人々全般を指す言葉としても使われます。アメリカ式のバーレスクは1860年代から1940年代にかけて人気を博し、劇場だけでなくキャバレーやクラブでもよく上演されました。後期は猥雑なコメディと女性のストリップを演目とすることが特徴でした。

 現代のバーレスクの形に近づいたのは1900年代初頭で、1933年のシカゴ万博の開催をきっかけに一大ブームになりました。しかし、歴史の変化の中でより過激な性表現のショーが求められ、一時バーレスクは衰退しました。1990年代以降になると衰退していたバーレスクを再評価するニュー・バーレスクの動きが起こりました。

 バーレスクダンスは女性らしさがあふれるダンスが特徴的で、ジャズダンスの中でも主にヒップホップのリズムやノリ、グルーヴ感が楽しめるスタイルです。

 彼女は自分の太った体形に自信がなく、夢を諦めていました
 しかし、友人に背中を押されてバーレスクダンスのトレーニングを始めます。練習を始めると楽しく、徐々に自信もついてきます。

 そんな中、頭にヨーグルト牛乳をかけた生徒の父親が学校に乗り込んで来ます。生徒の父親は地元で有力な政治家でした。また、その生徒は胸部に変形を伴う病気を抱えており、それを隠すために常にジャケットを着ていたことが明らかになります。
 例の事件後、女性教師は加害生徒に対し、ヨーグルト牛乳をかけ恥をかかせたことを謝罪する代わりに、彼女の容姿を嘲ったことへの謝罪を求めましたが、彼は「だってあんたは気持ち悪い」と言って聞く耳を持ちませんでした。

 彼の父親は、彼女が『アムンセン』というあだ名をつけて笑い者にしたことを問題視し、糾弾します。彼女は、彼の障害を知らなかったこと、あだ名をつけたこと、に関しては非を認めて平謝りしつつも、彼の暴力性と問題言動について障害を盾に特別扱いするべきではなく、普通の子と同じ扱いをして勇気を持たせるべきだと告げます。
 その発言に父親は激高し、「教育素人の戯言に興味はない。自分自身を見てみろ。自分の体の2倍はあるセーターを着ている。標準サイズのトップスとレギンスを着て皆の前に立て。それでわざと笑われる標的になってみせろ。勇気とは何なのか体を張って証明しろ」と批判して立ち去っていきました。

 果たして、彼女は自分自身の葛藤を克服し、加害生徒に胸を張って勇気を証明することができるのでしょうか。  
 

感想

 内容的には、肥満で容姿に自信がない、しかし性格が善良で明るい女性が頑張っていくというよくある話なのですが、アジア圏でそういうストーリーが描かれると、たいていは女性が激痩せしたり、超美人になって見返して解決!という展開が多いと思います。
 つまり、自分の考えや価値観を貫くのではなく、周囲の評価や圧力に屈して妥協していくというのがアジア圏の志向と言えるでしょう。

 よく、自分が幸せかどうかは自分が決めると言いますが、容姿による自己肯定感は自分軸にはなく、多数の他人に委ねられている矛盾がよく表現された作品でした。ゆえに、いくら美人でも誰かと比べられたうえでブスだのデブだの言われると、いずれ自己評価もそのように下がってしまう危険性があります。
 どうみても太ってないのにダイエットをしたり、何回も整形をする女性がいるのはそのせいでしょう。

 人がなぜそこまで容姿にこだわるのかという本質を考えると、セックスがしたいからであり、特に魅力的な異性と関係を持ちたいから、という明白な動機が秘められていることに思い至ります。老人になると、そこまで体型や服装を気にしなくなるのは、性行為に関心がなくなるからでしょう。
 性行為を介さなければ、人は幸せになれないのか?他人と深く繋がることはできないのか?という根源的な問いに対峙させられる作品でした。

 また、太ってる人に肥満を指摘するとますます太るという統計結果があり、また女性が容姿を気にする理由の大半が異性、特に好きな男性からの誹謗が原因になっていることから、他人の容姿をあれこれ品評する文化自体が間違っているようにも思えました。

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