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性別を明かさない我が子

妊娠七ヶ月目に突入した私であるが、妊婦健診での我が子は依然として、性別どころか顔さえ見せようとしない。
普段は昼夜構わずドコドコと人の腹の中で暴れ回っているくせに、いざ主治医がカメラを当てると借りてきた猫のように大人しくなり、毎回決まって両腕で顔を隠すポーズを取る。
夫も私も、もう此奴は顔も性別も我々に明かす気がないのだと諦めていた。人見知りで恥ずかしがり屋なのだろうか。だとすれば生まれる前から、夫のDNAを色濃く受け継いでいる。


我々夫婦はどちらかといえば、女の子を望んでいた。特に夫は女と信じて止まず、「ケイコちゃん」などと名前を呼びながら私の腹に手を当てるなどしていた。「ケイコ」とは、女であれば付けたいと二人で考えた名前の候補である。

ところが今回の健診で主治医は、我が子の身体の様子を確認して「お股のところに影がありますねェ。断定はできませんが、もしかすると男の子かもしれない」と私に告げた。
夫に告げてみたところ、案の定、やや落胆していた。
夫はきょうだいも、いとこも全員が男である。そんな男の家系で育ったため、女の子がいる生活を夢見ていたのだ。女の家系で育った私は、「そんなもんに夢見る要素は一つもないのに…お風呂上がりは普通に全裸でウロウロしたりしてるんだぜ…」などと心の中で思っていたが、単に女の子の方が育てやすそうだというイメージがあったので、女の子を望んでいた。

男である可能性が提示された以上、すんなり諦めるより他はない。しかし、希望を捨てるのはまだ早いのだ。
実は私も生まれる前は男だとされていたのだが、いざ母が産気づいて、生まれてみたら女であったという経緯がある。生まれるまで分からなかったのだ。アルバムの中で、赤ん坊の私が男の子用の青い服ばかり着せられているのはそのためだ。
主治医もまだ断定はできないと言っていたわけであるし、何せ私の子なのであるから、同じ生まれ方をしてくる可能性を信じてもよいのではないか。

そもそも、妊娠や出産など全て我々大人のエゴなのである。こちらの都合でわけも分からず生命を与えられ、労働、納税、円安、物価高、低賃金、学歴社会、犯罪、汚職…ありとあらゆる暗い事柄が待ち受けるこの下界に産み落とされることになった挙句、性別によって喜ばれたり落胆されたりしてはたまらないであろう。
男の子であっても、夫のような、優しく強い男になってくれるのであればよい。暖かく迎え入れてやらねばならぬ。夫だって、もし息子であれば趣味の釣りに一緒に連れて行けるなど、楽しみにしていることもいくつかあるようだ。


それにしても、妊娠中の体重管理は辛い。特に私のような、食べることが生き甲斐で元々やや肥満であった者にとっては拷問である。男でも女でも何でもいいから早く出産して、昔どこかのホテルのビュッフェで食べた、見出しの写真のようなケーキをたらふく貪りたい。


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