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有名俳優がやってきた

私は某私立大学の短期大学部の学生であったが、四年制の学部と併設のキャンパスであった為、そちらの先輩方に非常に仲良くしてもらっていた。
仮名とさせて頂くが、特にミホさん、サチコさんという先輩とは気の置けない間柄であった。

ミホさんは関東出身の小柄な元バンギャルで、どこかスナックのおばちゃんママのような物言いをする面白い人であった。サチコさんは背の高い生粋の関西人という感じで、いつも面白いことを探しては爆笑していた。

ある日、サチコさんが「俳優のMさんがうちの大学に来る」と目を爛々とさせて話してきた。Mさんとは、多くの国民に知られている有名イケメン俳優である。
メンズ◯ンノ系と言えばイメージして頂けるだろうか。10年程経った今でも、頻繁にドラマやバラエティー番組に出演している。
そんな有名人がしがない我がキャンパスに、トークショーだか何だかをしにやってくると言うのだ。
私もミホさんもそれほど彼のファンということではなかったが、イケメン好きのサチコさんのあまりの熱に押されたのと、ちょっとした野次馬心で見に行くことにした。

当日、我々は会場であるキャンパス内の大講堂の、二階席だか三階席だかの、とにかく会場の一番後ろの席を辛うじて確保することができた。広い大講堂の全席が女学生で埋まっている。
私とミホさんは興奮状態のサチコさんを尻目に、イケメン俳優の凄まじいモテ具合を肌で感じていた。

時刻になると、司会者の掛け声と同時に、Mさんが私達の座る席のすぐ後ろの扉から登場した。いきなりステージではなく会場後方の扉から現れ、歩いてステージまで移動するという、よくあるパターンである。会場は一瞬にして黄色い歓声に包まれた。
サチコさんも「ギャァ」だか「ヒャァ」だかわけの分からぬ奇声を発し、発狂寸前である。

顔を長い時間よく見ることはできなかったが、なるほど、あのテレビに出ているMさんである。
くりっとした瞳で均整のとれた顔、パーマをあてた茶色の短髪、すらりとした長身は、確かに世の女性をうっとりさせるのに十分な容姿であろう。
私はうっとりするより先に、かつて観ていたドラマで「彼女を束縛するメンヘラDV彼氏」の役を演じていたMさんを回想していた。我ながら、もっと良い役柄を演じるMさんの記憶は無かったものだろうかと思う。


イベントはそれほど長い時間ではなかったように記憶しているが、トークの内容はよく覚えていない。Mさんには失礼だが、それほど興味がなかったのだから当然である。

イベント終盤、くじ引き抽選企画が行われることになった。Mさんが引いたくじに書かれた席番号に座る聴講者一名に、Mさんのサイン入り私物Tシャツのプレゼント及びMさんとステージ上で対面する権利が与えられるのだ。
私は万が一、自分の番号が当たればサチコさんにこっそり譲ろうと考えていた。隣のミホさんもまた同じ考えであったようだ。

司会者は明るい声で「出ました!席番号、よんじゅう…」と番号を読み上げ始める。
言い終わらぬ前に、サチコさんは「ギャァ」と叫び、目にも止まらぬ速さで立ち上がった。サチコさんの席番号は40番だったのである。

しかし実際は違った。司会者はそのまま続けて「2番の方!」と言った。当たったのは「42番」なのだ。サチコさんの隣の私は41番、そして42番はなんとミホさんであった。

卒業式の最中、「卒業生起立」の号令でうっかり立ち上がってしまった在校生の如く、サチコさんは全聴講者及びMさんからの注目を浴びた。司会者は何も悪くないのに、苦笑いで「あっ…すみません40番ではないんです…期待させてしまって…」とステージから謝罪をし、サチコさんも半笑いで席に座った。Mさんも苦笑いになっており、サチコさんはある意味でMさんの目に留まることができたと言えよう。

さて、問題はミホさんである。「ステージへどうぞ!!」などと声高に誘われ、全聴講者から羨望の眼差しが注がれる。最早Mさんよりもスターである。
ミホさんは折角、こうなればサチコさんに譲ろうと思っていたのに、サチコさんが「ギャァ」などと叫び、自分が対象ではないことを講堂中に知らしめてしまった以上、もうサチコさんに権利を譲ることもできない。
サチコさんは自らの失態で、得られるはずであったチャンスを永遠に失ったのである。

ミホさんはオドオドしながらステージへ向かった。Mさんは自らのサイン入りTシャツをミホさんに手渡し、ハグまでしてくれるというサービス精神を見せた。講堂中から悲鳴が上がる一方、ミホさんは突然大人数の前に放り出されて緊張していたのか、寿司屋のペッパーくんのようなぎこちない振る舞いを終始していた。

ハグまでしたのだからすっかりMさんのファンとなったかと思いきや、ミホさんは戻ってくるや否や、顔をしかめて「ハグした時の匂いで分かったけどあの人、喫煙者だよ…」と、Mさんの爽やかなイメージとやや異なる意外な真実を呟いていた。
犬神サアカス團という、白塗り系ロックバンドのライブに一緒に行った際は「ドラムの人めっちゃカッコよかったんだけど!!」と興奮気味に感想を述べていたのに、熱い抱擁を交わしたイケメン俳優には何の昂りも感じていない。彼女にとっては「白塗りドラマー>イケメン俳優」なのだ。

挙句の果てに「サッちゃん、これあげるよ…」と、煙草臭がするというそのサイン入りシャツをサチコさんに譲渡しようとする始末である。本当にどうでもよかったのだ。

サチコさんは「いや。それは、ミッちゃんが自分の力で勝ち取ったものやから…ミッちゃんのものや」などと、主人公の努力を認めざるを得ないライバルキャラクターみたいな言い回しをし、ミホさんが持っている方がよいと勧めた。
ミホさんにとってはどうでもよいものだが、サチコさんの性分で、他人が得た貴重なものを横取りする気にはならなかったのであろう。

かくして我々の有名俳優との遭遇は終わった。
10年近く経った今、ミホさんはあのTシャツをどうしただろうか。転売し金儲けするような人ではないので、タンスの肥やしにでもなっている可能性が高い。

私は、過去に別のイベントで藤崎マーケットの二人が来てくれた時のことを思い出し、「やっぱり芸人さんの方が面白かったな…」と思いながら、下宿に戻った。

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