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私ができるまで

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今の私ができるまでの、良くも悪くもターニングポイントとなったことを書きます。
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居場所がなかった私の居場所

居場所がなかった私の居場所

色々な人の話を聞いていると「家族は絶対の味方」とよく聞きます。

ところが私の場合、残念ながら家族が絶対の味方という訳ではありませんでした。

…いや、親は味方になっていたつもりだったのですが、その親の行動は良い結果にはなりませんでした。

中学でいじめにあっていた頃、私は学校に行きたくないと親に言うようになりました。

でも、親はなんとしてでも学校に行かせようとしていました。

そんな感じだった

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出来ない

出来ない

具体的にいつの時期かは覚えていませんが、私は2回自殺未遂をしています。多分、いちばん辛かった中学生時代のどこかです。

1回目は衝動的に自殺願望に駆られて、自分のベルトで首を吊ろうとしました。
でもその時は、怖い、自分はまだ頑張れる、大丈夫だとすぐに正気に戻ってやめました。

2回目は、本気で死のうと思いました。父親の大事にしているネクタイで首を吊ろうとしました。今考えると最悪な娘ですね。
ただこ

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中学の時

中学の時

今日はただただ中学校生活こんな感じだったな、って話を描きます。

主にいじめや家のことを書こうと思うのですが、正直あまり覚えていないのでしっかり文になるかわからないです。

でも、未来の私が「ああ、こんなこともあったな、頑張ったな」と当時の自分を褒めたら嬉しいので、形には残しておきます。

中学のいじめのきっかけは、小学校のいじめのメンツが引き続き私をいじめてきたことです。中学1年の初期の段階で「

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とおせんぼ

とおせんぼ

小学六年生の途中、私のいじめが始まりました。何が原因かはわかりませんが、元々目立つ性格だったのと、小学生女子なのにグループに属せず色々な子と浅く仲良くしていたのと、当時太っていたのでおそらくこの3つでしょうね。あと、とても仲のいい友達は別のクラスになったのでそれもかも。

具体的に何をされたかはあまり覚えていませんが、聞こえるように悪口を言われたことはなんとなく覚えています。クラス全体からターゲッ

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 目の話

目の話

私は生まれつき斜視を持っています。左目が離れていて、両目で焦点を合わせることができません。いわゆる「ガチャ目」「ロンパリ」ってやつです。

両親と妹は斜視持ちでは無いのですが、何故か私だけこうなってしまいました。

正直小さい時はそこまで気にしてなかったのですが、親は「将来のため」と何とかこの目を治そうとしてくれていました。2歳頃から乱視用の眼鏡をかけていたり、気付けば毎月眼科に通っていたり、4歳

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