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目の話

私は生まれつき斜視を持っています。左目が離れていて、両目で焦点を合わせることができません。いわゆる「ガチャ目」「ロンパリ」ってやつです。

両親と妹は斜視持ちでは無いのですが、何故か私だけこうなってしまいました。

正直小さい時はそこまで気にしてなかったのですが、親は「将来のため」と何とかこの目を治そうとしてくれていました。2歳頃から乱視用の眼鏡をかけていたり、気付けば毎月眼科に通っていたり、4歳の時に手術をしたり。目を寄せるための寄り目の訓練や、ものを立体的に見るための訓練は家でほぼ毎日していました。

私は、家族が眼鏡をかけていない中1人だけ周りと違うこと、妹は自由に遊んでるのに私だけ目の訓練をしなければいけないことがどうしても嫌でした。
そして子供は残酷なので、保育園や小学校では悪気なく「目が離れてて変」「どこ見てるの?」とよく言われました。


気づいたら私は、劣っていると言う点で少数派になることがひどく嫌いになりました。周りと違う自分にコンプレックスを抱いたことで、「この目は治さなければいけない」と思うようになりました。


中学生くらいになるまで訓練をしていたら治る可能性が高いと言われていたので、その歳になるまでは治るための努力をしていました。
そして父親がよく「継続は力なり」と言う言葉を使って励ましてくれていたため、いつか自分のこの頑張りも報われると信じていました。




ところが、21歳になった今も私の左目は離れたままです。結局私の目が治ることはありませんでした。



治療が終わったのは小学校3年生くらいの時です。治療をやめる時に、眼科の先生に「もう諦めましょう」とはっきり言われた覚えはなくて、目を治すための習慣は生活の中から自然となくなっていきました。気づいたら目の訓練をサボっても怒られなくなったし、眼科も通わなくなっていました。

何が理由でこれ以上治らないと判断されたのか、理由は聞かされていません。
斜視の人でも、疲れている時に目が離れる人、気を抜いた時は目が離れていても人やものをしっかり見る時は焦点が合う人など、日常生活では斜視が目立たない人は多くいます。完治はしなくても、私も努力次第でここまで引き上げられたのではないかと思っていました。


しかし、中学生の頃なんとなく斜視のことを調べていた時、ひとつ思い当たったことがありました。それは「両眼視機能がないこと」です。
普通、人には両眼視機能という、両目で立体的に物を捉える機能があります。
しかし私は生まれつきそれが無いので、片方の目でしかものを見ることができません。両目で見ようとすると左右の景色が上手く重ならず、物を見られなくなってしまいます。だからずっと、右目と左目を交互に切りかえて使っていました。そして利き目である右目を多く使っていたので、あまり使われない左目はいくら訓練で寄せても離れていくのでした。

この両眼視機能は目の問題ではなく、脳の作りの問題です。先程例として挙げた日常生活で斜視が目立たない人達は、おそらく、目は離れているけど両目でものを見られる人です。この機能が初めからない私は、両目でものを見られるようになることは絶対にないのです。
つまり、何をしてもこの目はおそらく一生治りません。
結局、いくら努力したって無駄だったわけです。治るスタートラインにすら立てていませんでした。




このことを知った時、自分を変えたくて努力していたことが全部意味の無いことだとわかって、絶望しました。

そして、「人と違う変な目」というコンプレックスを持ちながら、色々な人に目が離れていることを指摘されて、人によってはこの目を気持ち悪がられる人生を送るんだろうな、他の人が当たり前にできていることを私はずっとできないんだな、と自分のことが嫌になりました。





今でも、初対面の人や関係の浅い人には「どこ見てるの?」「焦点なんで合わないの?」と悪気なく聞かれることがあります。その度に私は涙が出てきそうなのを抑えながら「斜視持ちなんだよね」と答えています。


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