見出し画像

新美南吉『ごんぎつね』を読む③

 「ごんぎつね」は悲しみの物語である。このことに異論を唱える人はいないと思います。死によってしか分かり合えない二人の関係は、理屈ではなく悲しい。いや、二人は、分かり合うための対話のスタート地点に立っただけで、まだ何も始まってはいないうちに死を迎えた。死によって、分かり合う機会を永久に失ってしまったのです。物語の悲しみは、ごんのけなげな償いに視点を向けられがちですが、本質的には心が通わないこと、言葉が交わされないことの悲しさです。

 さて、「かなしさ」に「悲しさ」と漢字をあてましたが、「かなしさ」には、他にも漢字があります。国語の授業や、試験の解答の正誤は別とすれば、「悲しさ」「哀しさ」「愛しさ」「愁しさ」「美しさ」の漢字が使われるようです。
 「悲しさ」は、ストレートな感情の表れを意味しています。「哀しさ」は、悲しんでいる人に向けられる共感的な感情です。
 「愛しさ」は、悲しみの背後に愛があることを表しています。相手を大切に思うがゆえにかなしみの感情が沸き起こります。誰かを失ってはじめて愛に気付くこともあるでしょう。
 「美しさ」は、あまり一般的ではない気がします。しかし、かなしさは美しい、そう感じる心が人間にはあります。多くの悲しみを経験した人、またはその人の物語には、どこか美しさがあります。
 「愁しさ」も普段は見かけません。中原中也がよく用いたとネット記事にはありました。目の前の出来事によって引き起こされた直接的なかなしさを超え、人間の存在、生きていることそのものに起因する深いかなさしさを表現しているようです。

 では、「ごんぎつね」に描かれている「かなしさ」とは、どのような「かなしさ」なのでしょうか。いくつか挙げてみようと思います。

(1)悲しさ
 主人公であるごんに気持ちを寄せながら読み進め、最後の場面でごんが愛する兵十によって殺されてしまう。読者は、悲しまずにはいられない。
(2)哀しさ
 ごんは、独りぼっちであるがゆえにいたずらを続ける。また、ごんは、兵十への愛に気づかず自分の償いに代償を求めてしまう。人間味あふれるごんの姿には、常に哀しみがつきまとう。
(3)愛しさ
 兵十は、栗や松茸を届けていたのがごんだったことに気づくが、既に火縄銃を撃った後だった。兵十がごんの姿を見たのは、鰻を盗まれて以来だ。ごんの行為がおっかあを死なせた償いであることなど、兵十は知る由もない。それでも、ごんの死を美談として村人に語り継いだのは、兵十の心に愛が生まれたからだ。
 兵十のおっかあを死なせてしまった後悔の悲しみの中で、ごんの心にも知らず知らずに兵十への愛が生まれている。人間と畜生という圧倒的な格差がありながら、兵十へ報われない愛を寄せるごんの姿は愛しい。
(4)美しさ
 ごんは兵十の家の葬式を見て、自分の犯した罪に気づく。自分の罪と兵十の悲しみに向き合うごんの姿は美しい。その美しさが表現されているのが第2場面だ。赤いきれのように咲く彼岸花。その中を進む白い着物の葬列。この場面で絵画的な美しさが特徴的なのは、ごんの美しさが表現されているからだ。悲しみと深く向き合う人の姿には美しさがある。
(5)愁しさ
 兵十は、ごんの物語を美談として村人に語り継いだ。しかし、すれ違いによる悲劇であること、死によってさえ両者は分かり合えないことは、変えることのできない事実である。どこまでも人と人は分かり合えない存在なのだ。このような人間観によって描かれるこの物語は、やはり愁しい。

 「ごんぎつね」が名作であるのは、いくつもの「かなしさ」が何層にも折り重なっているからなのでしょう。

#ごんぎつね #国語 #新美南吉 #教材研究 #授業 #悲しさ #哀しさ #愛しさ #美しさ #愁しさ #分かり合えない #すれちがい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?