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坂下健吾(26歳)/貝塚線物語



紺色のジャケットにグレーのスーツパンツ、茶色の革靴を履いた若者が

乱暴にどかっと9人がけのエンジのロングシートに体を放り込み

面倒くさそうにネクタイを緩め、シャツの第一ボタンを外した。

坂下健吾26歳

「ちっ!」と打ちをして頭を掻き、ビジネスバックを足元に乱暴に置くと

足を組んで胸ポケットからスマホを取り出して野球ゲームを始めた。

一連の動作を、向かいのシートの端に座っていたがっしりした身体つきの男子高校生が見つめていた。

「ったく・・死ねばいいのに。」

健吾は小さく悪態をつきながらゲームを続けていた。

WEB広告の運用代行やコンサルをする会社に転職し3年

仕事のコツもつかみ、今は健康食品業界を中心に全国の中小企業とオンラインでミーティングを繰り返す毎日。

仕事の内容、給与には不服はない。ただ

今年初めから新しく編成された5人のチームのチームリーダーと馬が合わない。

効率重視、無駄が嫌いな健吾は

雑談が長く常に営業の持論を振りかざす2つ年上のリーダーのやり方が不服でたまらない。

今日も1時間の無駄なミーティングの後、長々と嫌味を言われたのだ。

19:28分 

次の駅で 中年っぽいのさえない女性が乗車し

健吾から1人分空けて丁寧にシートに腰掛けた。

健吾はチラッと一瞥し、ゲームを続けた。

イライラが止まらない。

隣の女性はバックから本を取り出し読み始めた

「本かよ、電車で読むなら、電子で読めばいいのに・・荷物になるやんか、どいつもこいつも」

向かいの高校生は静かに目をつぶって座っていた。

ゲームに割り混むように母親からLINEの通知が届く。

父さん倒れた
救急車で、みなとメディカル病院
今から手術
また連絡します


「えっ・・・」


ちょっと目眩がした

手が止まったゲームの打者は
見逃し三振スリーアウト。

いつの間にか最寄りの駅に着いた。

高校生も、隣の女性ももういない。

静かにドアが開き、湿気のある夜の空気が流れ込んできた。

天井の古いサーキュレーターが何かは分からない吊りチラシに風を送り

ただ

ペラペラと紙がなびく音が響いた  

弱々しい蛾が

足元のバックと、健吾の足にまとわりついた

健吾は

とりあえず、

とりあえず、

力無く電車を降りた。

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