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映画『オペラ座の怪人』 彷徨える愛の行方

『オペラ座の怪人』 4Kデジタルリマスター

目黒シネマで見て以来の鑑賞。確か、レ・ミゼラブルとの二本立て興行だった。それは贅沢なラインナップでしたわ。今回は109プレミアム新宿体験も兼ねてなので、またまた贅沢。


この物語に没入するために、精霊物語を補助線として置いておこ。

「醜い怪物に変身させられても愛によって救済される。ヒキガエルのような怪物は二度接吻してもらわなければならない。そうしてもらえば美しい王子に変身するというわけである。あなたがその醜いものに対する嫌悪を克服し、あまつさえそれを愛するようになれば、その醜いものも何らかの美しいものに変身する。どんな呪いも愛情には勝てない。愛情それ自体がもっともつよい魔術であり、それ以外の魔術はどんなものでも愛情には勝てない。」 

(「精霊物語」ハリンリヒ・ハイネ/著、小沢俊夫/訳 岩波書店 )

眠り猫さんのnoteで、いつも勉強させてもらっていたので、エロースとアガペーの違いというところに着眼しながら二度目の鑑賞ができました。

眠り猫さん感謝です。

彼が失ったのは、顔ではなく心。彼の心が歪んでしまったのはなぜ?

それは、ファントムの不幸な生い立ちに根源がある。

母からも愛されず、自由を束縛された見世物小屋で囚われた人生を送っていたファントム。彼を救ってくれたのは、愛の人マダム。その導きによって、オペラ座に住むが、彼の心は歪んだまま怪人となった。

あまりにも与えられてきた愛が少なければ人の心は簡単に曲がってしまう。そして、いくら才能があっても、その才能を発揮できる場がなければ花開くこともなく萎んでしまう。

ファントムの魂が愛を求めて彷徨う物語が『オペラ座の怪人』

「求める愛」もあれば、「与える愛」もある。「条件付きの愛」もあれば、「無償の愛」もある。愛が幸せを生み出すこともあれば、愛しているが故に憎しみが生まれることもある。愛が人を救うこともあれば、時に人を狂わせることもある。愛と憎しみは表裏一体でもある。人間の行動は全てその大元を辿れば「愛」に行き着くのかもしれない。 全ては「愛」から発しているけれど、それが表面に出てくる過程で様々なものに変化する。時に「隣人愛」や「人類愛」に、時に「嫉妬」や「憎しみ」に……。愛は人間を非合理にさせ、様々な人間ドラマを巻き起こす。それは厄介な存在ではあるけれど、それがあるからこそドラマが生れる。
「愛」から逃れることはできない。人間である以上、それを求めずにはいられない。人はきっと愛の中で生まれ、愛を求め、愛の中に生きる存在なのでしょう

どんな生き方をしても最後はお墓の中。はからずも与える愛を実践したクリスティーヌは、幸せな人生を送り、ファントムは、その愛に信仰を捧げ続けた事が最後に示される。最後の審判はいかに…。

市民ケーンは、薔薇の蕾を捨ててしまったけれど、ファントムは最後まで薔薇を大事に持ち続けることができた。人が変わることができる可能性を秘めていることを示されたことは救い。

愛の実践、『愛するということ』はむずかしい。

つぶやきはともかく、何より豪華絢爛なシネマ。初めての109プレミアム新宿体験もできて最高のひとときだった。

まだまだ上映中。


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