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50年目のUターン

友だちから連絡が来たので会うことにした。ほぼ3年ぶり。話を聞けば、沖縄に帰るという。50年前にパスポートを持って島を出てから。

前々から、活動が整理できたら帰るような話を聞いていたので準備が整ったのだろうと相槌を打ちながら聴いていたら、実家で一人暮らしをしていた弟さんが急に亡くなってしまい、少しだけ時期が早まったと言う。

人生には転機がある。

帰る家は、立ち並ぶリゾートホテルのすぐそばにあり、そこそこの広さがあるそう。「年金もらいながら、畑をやってのんびり暮らす、そんな残りの人生も良い」「私のようなものでも短時間で働ける場所もある」
そんな話をしながらも、まだまだなにかやりたい、と顔に出てる。

雑談ついでに、一日一組限定で若年性認知症の方と介護者のご夫婦などが泊まれる民泊などやってみたら、と提案してみた。不思議な顔になった。

そもそも彼女と出会ったのは若年性認知症のつどいだった。当時、夫の介護をひとりではできないと義理の姉を頼って、夫と二人で関東に出てきていた。職は無くなり、生活は大変だけれど、生まれ育った都会での生活が本人にとって良いだろうという判断だった。

こちらに来たらソーシャルワーカーは、よく話を聞いてくれた。けれども本人が納得して出かけられる場所はなく、公団住宅で籠の鳥のような生活をしていた。そのころ地域には若年性認知症の方が楽しく集える場所がないのが現実だった。

そんな彼女たちの思いを受け、若年性認知症の方と介護者のつどいが企画された。初回は10名程度の参加者であったが、本人たちは一日、ボランティアスタッフとともに簡単な料理を一緒に作ったり、花の咲いている遊歩道を散歩したりと楽しく過ごせた。一方、介護している配偶者の方は、自分たちの悲痛な思いを初めて人前で吐露することができ、涙ながらに思いの丈を吐き出せた。午前中、午後を通じてその話しが尽きることはなかった。スタッフも涙を流しながら傾聴していた。そこで初めて共に気持ちをわかりあえるグループが誕生した。

夫への思いが強く、彼女も疲れはててはいたが、二人だけの生活に押しつぶされそうな苦しい胸のうちを語っていた。

その会が立ち上がってから間もなく、あちこちで認知症に関する講座などが開かれるようになった。いろいろな機会があり何度も話していくうちに彼女にリーダー的な気質がある事を感じた。地域で認知症の人とその家族、そして関心のある地域住民のボランティアが一緒に集って楽しめる場所があるといいよね、と持ちかけた。すぐに同意してくれた。

彼女の人柄もあり、そのカフェにはどんどん人が集まった。大抵のカフェは、準備が大変なこともあり、午前もしくは午後のどちらかにお話を中心に行っているものがほとんどだが、新しいカフェはボランティアさんがつくった美味しい料理をお昼にみんなで食べることが特長だった。時には沖縄料理も振る舞われることがあった。

彼女は夫の介護をしながら地域でも活躍することになっていった。

旦那さんは、ダンディーな方でお祭り好き。神輿が出る日にデイサービスの送迎車でこっそり連れてきて貰ったのも良い思い出だ。彼の友達がねじり鉢巻に法被を羽織り車椅子の周りをエイヤッ、エイヤッと踊ってくれた。

それから1年半、若年性認知症の進行は早く、ほぼ寝たきりの生活になってしまった。

彼女の家に行き、お話をしたのが最後になった。CDからお祭りマンボが流れていた。「旦那がこれ好きなのよ」と教えてくれた。「ひばりさん、いいですよね~」と声をかけると旦那さんの目が微かに優しくなった。

ほどなく旦那さんは、天に召されてしまった。それでも、彼女はカフェに参加し続けてくれていた。

悲しみが訪れても人生は続いていく。

いろいろなことやったよね、と思い出話も続く。

キラキラしてた海、ピンの倒れる音がこだまするボウリング場、美味しい手作りご飯、フラワーセンターの木漏れ陽、そしてみんなの笑顔。一挙に時を遡る。いつも仲間と一緒だった。

いつしか、10年を超える活動になっていた。認知症カフェ、家族のお喋り会や軽度の認知症の方たちのつどい、他の地区でのカフェ立ち上げのための講演会など目まぐるしく動いてきた。

そんな彼女と話しているとやっぱり、まだまだなにかやってみたい、という意欲と気概に溢れていることを感じた。

だから、一日一組限定で若年性認知症の方と介護者のご夫婦などが泊まれる民泊などやってみたら、と口に出てしまった。

意外なことに、「他の人からも言われたのだけれど、聞き流していた」と言われた。

「帰ることになったのも、まだまだ役割が残されてるのではないか、と思うよ」と言ったら、少し真顔になって「帰ってきたらなにかやろうという人が二人いる」と返ってきた。

「認知症とその家族の会は、全国規模だから、モデルをひとつ作ったら全国的に認知症の方が泊まれる場所が増えるかもよ」とさらに妄想を乗っけてみた。

考えるのはただだから、面白い。可能性ありかも。

あくせくする必要はないのだから、一回でも2回でも実現したら楽し。  

いくつになっても、ワクワクすることを考えると身体が動き出す。

沖縄の高齢者施設の管理者は若者が多いようだから、その知恵はもらった方が良い。健康料理を食べるカフェでも良い。なにっ、マコモダケできるの。それも面白い。リゾートホテルと提携したら。えっ~、車であちこち観光してくれるの。無理なく来れるようにアセスメントも大事だね。だんだんと頭はチャンプル状態になるけれど、心は温まった。

人間の一生は一場の夢。儚いからこそ楽しんで、次につながる種をまこう。小さな実りでも充分だ。

さて、50年目のUターンは、次のステージの幕開けか。人生は長いようで短く、短いようで長い。


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