見出し画像

『枯れ葉』に希望をみた2023年小晦日



ユーロスペースにて鑑賞

というわけで、年末は30日に友人Tと『枯れ葉』、大晦日に一人で『PERFECT DAYS』を観た。ついでに29日は、孫に誘われて『SPY✕FAMILY』を鑑賞。このパターンは、今後の年末の過ごし方として定着させて良いかも知れない。幸せな三日間だった。

30日: アキ・カウリスマキ『枯葉』

『過去のない男』を観た時に、少しだけフィンランドについて調べてみた。私にとって彼の国は、北欧の小国ではあるものの、意識の高い議論好きの国民が多く、人権思想が行き渡り、幸せ度数が高い国というイメージだったが、映画の中ではそうでもないので違和感があった。働く男たちは酒ばかり飲んでいて、ちっとも楽しそうではなく、小さな権力を持つ奴らは自分の利権や金に汚く、若者は荒んでいて暴力を振るうことに容赦がない。敗者三部作が代表作になるカウリスマキ監督で描かれるフィンランドに住む人達は、常に不運に見舞われている。このギャップはなんだろう?

置き去りにされたスミノフ

そんな疑問を感じていたところ、偶然にも、最近レジャドの『危機と人類』を読みフィンランドのポジションが少し理解できるようになった。フィンランドは地政学的に常にロシア(旧ソ連)に狙われる位置にあり、1939年に侵攻もされている。徹底抗戦をしたが、圧倒的な国力の差で惨敗している。戦後は小国ゆえの生き残り戦略を取り、今に至っている。日本がソ連に狙われた時に当時の中曽根首相が「ソ連は、日本をフィンランド化しようとしている」と語ったくらい、フィンランドは、ソ連の顔を伺い、同時にアメリカやヨーロッパの顔を見ながらたち振る舞っている。そこに、根っこを置いてみるとカウリスマキのつくる映画の理解がちょっと深まるようだ。現在は、フィンランドの経済状況は好調で国民の生活の満足度はかなり高いようだが、『枯葉』の中で繰り返しラジオからロシアによるウクライナの侵攻が流れていた事は、フィンランドの歴史に根付いた国民に未だに流れている負の感情の迸りにも受け取れた。ふと、近年の日本映画の通底に諦観が流れていることに思い至る。やはり、阪神大震災から続く自然災害への恐れ、怒り、諦めの心の集積が大きく影響しているような気がする。

ハラリと友だちの推薦

それにしても『枯れ葉』は良い映画だった。アキ・カウリスマキ監督は、インタビューで『豆腐屋は豆腐しか作らない』という小津監督の言葉を引いて、自分も自分の思う映画しか作らないと職人(芸術家)気質を覗かせている。期待を裏切らず「枯れ葉」もいつものアキ・カウリスマキの世界だった。ニコリともしない表情の登場人物、会話も少なく、テンポ良く画面が変わり物語が進んでいく。ラジオやジュークボックスから音楽が流れ、登場人物と一緒に曲の情感に浸る。独特の間でそれぞれの感情を理解する。皆、どこかに、自分(こだわり)を持っており、お互いに踏み込みすぎない。そして、監督のセンスのあるフェイバリットシングスが画面に顔を出す、登場人物に語らせもする。

松濤で見つけた枯れ草

眼に焼き付いたシーンは、アルマ・ポウスティのチャーミングなウインク。シックな色彩のトーンが、その場面だけは魔法をかけたように輝いている。そして、ラストのふたりの後ろ姿。それは、チャップリンの映画のような希望を捨てないカット。やはり、カウリスマキ監督の世界は、どこか優しいのだな、と独り合点する。世界が厳しい状況にあり、個人の生活が追い込まれても、どこからか手が差し伸べられて人生が続いていく。

ウインクと言えばサマンサも


映画鑑賞後は、友人と松濤を散歩する。

ほぉー!

 大きな屋敷が立ち並ぶ一角をぶらりする。杖をついたおばあさんが歩いているので、「すごいお屋敷ばかりですね」と声を掛けると「ヨドバシの家もあるしね」と言いつつ「この辺も空き家や空き地ばっかりになったわ」とため息をついている。なるほど、空き家、空き地に加えて日本以外の方のネームプレートも散見される。この地域にも変化が押し寄せてるのだろう。素敵な児童公園があったが、遊んでる子どもたちもグローバルだった。
 

小晦のシブヤ

一日の終わりに、スクランブル交差点を上から眺めている。シブヤの群衆にもそれぞれの物語が続いている。

追記 あの公園が、次の日見ることになった『PERFECT DAYS』に出てきた。


この記事が参加している募集

#映画感想文

68,495件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?