『ブレーブ・サンズー小さな勇者ー』第25話
イチノ村の人々は、今までに感じたこともない地響きと、離れていても漂う禍々しい気配に建物の窓から、顔を出した。
「なんだ、あれは……この世の終焉を見ているようだ」
「大丈夫だ、我々には、魔物討伐部隊の勇者たちがいる。彼らなら、この異常事態をなんとかしてくれるはずだ」
「その魔物討伐部隊なんだが、すでに全滅しているらしいぞ」
「何だと!?」
「討伐隊員たちは全員、すでに村に侵入してきたドラゴンの群れに襲われたのか魂を抜けたように地面に倒れていたようだ」
「そんな……そんなことって。じゃあ、俺たちは、このまま、世界が闇に包まれていくのを見ていることしか出来ないのか」
巨大な真っ黒な瘴気がクラネのいる場所を中心に渦となって、空を覆う曇に溶けていく。真っ黒な瘴気が溶けた雲はイチノ村だけでなく、徐々に他の地域まで拡大していく。この勢いだと、世界全体を、曇が覆ってしまうのは時間の問題だった。この不思議な曇は、魔物たちの魔力を強めた。そうなれば並の人間では、到底、魔物に太刀打ちできなくなる。
「ものすごい瘴気だ。ついに、魔王の力が解き放たれてしまった」
コナタは、クラネの拘束魔法で動きを封じられていたが、クラネがあの瘴気に包まれると同時に、光の輪っかが消滅し自由に動けるようになっていた。それは自らの魔法を維持できなくなるほどのことがクラネの身に起こっていることを意味していた。
僕に対する魔法を解けたということは、お兄ちゃんの服従の魔法も解けているんじゃ……。
コナタは、カナタにかけられた魔法も自然消滅してくるていることを、期待したが、そううまくは行かなった。
カナタの全身からは、相変わらず真っ黒なマナが出ていてカナタを苦しめていた。
お母さん、なら……。
カナの方を向いたが、コナタはとても母親に頼れるよいな状況ではないことを察した。カナは、まっすぐと瘴気の方を見て、集中力を高めていた。これほど真剣な彼女の姿をコナタは見たことがなかった。
だめだ。今は、お母さんの邪魔は出来ない。
コナタは、前世の記憶がふと頭を過る。
僕が世界を救った双子の勇者の弟コタなら、お兄ちゃんは双子の勇者の兄カタで間違いないはず。
前世のお兄ちゃんは、剣術が得意だった。そして、魔法も使えた。特に得意だったのが、ゲイン。相手の魔法を吸収し、自分の魔力に変換する高等魔法だ。
クラネの服従の魔法を解くことができるとしたら、ゲインを使う方法しか思いつかない。お兄ちゃんは、まだ自らがカタであった時の記憶を取り戻していない。
前世の記憶を思い出させることができれば、ゲインを使えるかもしれない……。
コナタが希望を見出したところで、クラネを包んでいた黒い渦に異変が起こる。渦の回転が、徐々に勢いを失っていき、辺りに吹き荒れる突風が止む。
「風が泣くのを止めた。来る」
カナはとっさに杖を構え、クラネが攻めてくるのに備える。だが、黒い渦が消失した場所には、クラネの姿はない。
いない。一体、どこに。
カナは、辺りを見渡し彼の姿を探そうとするが、背後から声がする。
「ここだよ」
カナの背後からした声は、クラネだった。カナは話しかけられるまで、彼の気配を感じなかった。
クラネは、片手を前に出すと、瘴気を濃縮させて、解き放とうとする。
時の流れよ。遅延せよ。
咄嗟にカナは呪文を唱えると、時の流れがゆっくり進み、クラネの動きが一瞬だけ遅くなった。その隙に、カナは、持っている杖を振ってクラネのお腹の辺りを攻撃する。
マナの込もった杖による一撃に、クラネは瘴気を放つ前に、向こう側に見える建物の方まで勢いよく突き飛ばされる。建物の壁に衝突して、何枚も破壊し貫通ていく。どこまでも、飛んでいってしまいそうな勢いだ。
危なかった。あと少し、魔法を使っていなかったらどうなっていたか分からなかった。
だけど、どうやって、私の後ろまで移動したんだろう。
カナは、クラネを突き飛ばしても、周囲の警戒を緩めることをしなかった。まだ、おびただしい瘴気が辺りに漂い続けている。瘴気の存在が、クラネがまだ倒しきれてはいないことを物語っていた。
破壊された壁から、クラネが何事もなかったように平然と歩いて姿を現した。
「なかなかやるじゃないか。さすがは解呪の魔法使い。楽しませてくれる」
現れたクラネの姿は、封印されていた魔王の瘴気に触れ魔物の姿へと変貌していた。額のあたりに、角が生え、肌は紫色に変色している。先程、杖による攻撃をしたお腹の辺りは、傷一つついていない。
「その姿は……」
クラネの変わり果てた様子を見て、カナは呟く。
「私は人間を捨てた。やっと、魔物になれたのだ。今は気分がいい。少し遊んでやる」
クラネは、両手を広げ興奮気味にそう言うとニヤリと笑みを浮かべる。
「なめられたものね。でも、確かに全力で行かないと倒せないかも」
カナは杖をさっと構える。落ち着いているが、彼女からはなんとも言えない威圧感が漂う。
「まるで今まで全力ではなかったような言い様じゃないか」
クラネは、両腕を組みながら、杖を構えるカナの方を見た。
「そう言ってるのよ。ここから全力で行くわよ」
「そうか、なら、お手並み拝見といこう」
クラネは、相変わらず余裕の表情を浮かべそう言った直後、カナは杖で地面をとんと突いた。
すると、クラネの立っている地面の岩石が突如、勢いよく盛り上がり、彼を容赦なく包んで行く。
「この程度の魔法、簡単に打ち砕ける」
クラネは、身体に瘴気を纏わせると、包みこんでくる岩石を力ずくで吹き飛ばす。だけど、カナはクラネが岩石から抜け出すことは想定内だった。
打ち砕かれし岩石よ。その鋭き刃と化し、敵を撃て。
クラネが岩石を吹き飛ばした直後、咄嗟に呪文を唱える。周囲に散っていた無数の岩石が、鋭利な刃のように変形し、彼の身体を穿たんと直進する。
おそらく、これだけではこの男を倒せない。出し惜しみはしない。
尖端を鋭利な刃に変形させた岩石は、クラネに次々と直撃し、再び彼を覆い隠すようにぎゅっと包む。次第に丸みを帯びはじめ、球体となったそれは、真っ黒な曇天に向かってふわふわと浮遊していく。
カナは、杖を片手で天に掲げると、彼女の身体から凄まじいマナが放出される。彼女の力強く温かいマナの輝きは、曇天で暗闇に沈んだ村を優しく照らす。
「凄いマナの量だ。でも、なんだろう。とても温かい」
コナタは、カナの身体から解き放たれるマナに驚きつつ、彼女の温かさのようなものを感じた。
「この一撃で終わらせる!私のありったけのマナを使って!」
カナは、身体から解き放たれたマナを杖に集中させ彼女の使用しうる最上級魔法を唱える。
火よ。
水よ。
光よ。
闇よ。
木よ。
土よ。
今、一つに集まりて、結合せよ。そして、交わりし煌めきとともに敵に大いなる神の一撃を与えん。
彼女がマナで神々しく輝く杖を天に掲げながら、呪文を唱え終わると、クラネを包む球状の岩石を囲うように、異なる性質を宿したマナの塊が6つぱっと出現する。マナの塊は、宿る性質によって色が違うようだ。
6つのマナの塊は、一点、すなわち、彼を包む球体に集まり、急激に収束する。
ーーそして。
一瞬の沈黙の後、収束した6つの異なる性質のマナが混じり合う。お互いに絶妙な加減で反応し合ったそれらは、はるか遠方にも届きうる凄まじい轟音とともに、今にも空間を引き裂いてしまいそうなほどの大爆発を引き起こした。爆発時に発生した衝撃波が周囲の大気を激しく揺らす。
まさに、解呪の魔法使いである彼女の最大にして、最後の切り札だった。
「はぁ……はぁ……うまく行った……これで、魔王による破壊を食い止められた」
彼女は、ありったけのマナを使い果たしすべてを出しつくした。一気に身体に、疲労が訪れ、呼吸は乱れ息を荒らげる。
先程の爆発で曇天が裂けてその隙間から太陽が顔を覗かせる。太陽の暖かな光がカナたちに当たる。
そこに、淡々と響き渡る拍手。
あちこちから拍手の音が鳴り響いている。
一体、なに。村の人たちが、称えてくれているの。
彼女は微笑みを浮かべ顔を上げると一瞬で顔を曇らせる。
「うそ……こんなことって」
彼女の見つめる先には、絶望があった。倒したはずのクラネが、平然と立っており拍手をしているのだ。しかも、1人だけではない。見たところ、6人はいる。
まさか、分身。それじゃあ、私がありったけの魔法を使って倒したのって、分身だったの……。
残酷な現実を突きつけられ、カナは血の気が引く。彼女は、思い当たることがあった。杖で攻撃した時、建物の壁までクラネを突き飛ばしたが、彼が姿を現すまで少し時間があった。おそらく、その時に、クラネは分身と入れ替わっていたのだと理解した。
「素晴らしい魔法だった。殺すのは惜しい。私も簡単に命を奪いたくはない。もし、私の仲間になるというのならば、命はとらない」
クラネは、カナのもとまで行くと、右手を彼女に向かってそっと伸ばす。
「いやよ、私はあなたの仲間にはならない!」
カナは、躊躇いなくクラネの右手を払い除けた。
「君も、君の息子たちも愚かだ。仲間になれば、命を落とさずに済むというのに」
クラネは、禍々しい瘴気を操り、彼女の身体を持ち上げる。カナは、まとわりつく瘴気から逃れようとするが、マナを使い切った状態では逃げ出すことは困難だった。
「それでは、この世からご退場願おうか」
クラネは徐ろに瘴気で槍を作り出し、カナに止めを刺そうとする。思わず、カナは目を瞑る。
「コナタ、頼む」
「うん、お兄ちゃん!」
そんな声が聞こえたかと思うと、クラネは目にも止まらぬ速度で何かが動いているのを感じた。
なんだ。私の分身が、次々と消失していく。
来る。前か!?
と、クラネが身構えるより先に、喉元に剣の切っ先が添えられる。クラネの持っている槍の先も、いつの間にか切断され、ドスッという音を立てて地面に落下する。クラネは、身動きを止め、眼前の存在にすかさず視線を向ける。
「お母さんを傷つけるな。俺たちが相手だ」
クラネの眼前に現れたのは、カナタだった。燃え盛る闘志を宿した目でクラネを見ている。クラネの喉元まで伸びる剣は、禍々しいマナを纏っている。
剣に纏わせている、この禍々しいマナ。私のものだ。私がかけた服従の魔法を克服し、自らのものとしたか。
それに……先程の駿足。おそらく、こいつの魔法じゃない。コナタとかいう弟による魔法だろう。
カナタの剣が纏う禍々しいマナを見てクラネはニヤリと笑った。
「面白い。お前たちなら、私を止められるかもしれない。カナタ、コナタ。いや、双子の勇者カタとコタというべきか」
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