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【短編小説】「人生劇場」第1話(全5話)

あらすじ

売れない俳優、仁村岳弘にむらたけひろはある日、どことも知れない道端に仰向けに横たわっていた。目を覚まし、さてはこれは、台本のないドキュメンタリータッチのドラマの撮影だろうと思い、カメラを意識した演技を始める。果たして、街中を舞台とした演技の行きつく先とは。

 仁村岳弘の頭頂部すれすれを、わめきたてるようなエンジン音をさせながら、何台ものオートバイの前輪、そして後輪が次々と通り過ぎていく。地面にゆだねられている仁村のからだは、オートバイの重力に合わせ、柔らかな豆腐のように小刻みに揺れ動く。一瞬、頭上からオートバイの気配が遠のいたかと思えば、引き返すようにすぐさまエンジン音が近づき、今度は左から右へと頭の上を通り過ぎていく。一思いにではなく、断片的に命を刈り取る、まるで生温いギロチンのような拷問。――いやこれは、ショーだった。そうだ、俺は今、大型バイクを使ったスタントショーのアシスタントを務めていて、目を閉じて地面に寝転び、自分の頭の上を、プロのライダーたちが観客を沸かせるために、観客どころか俺の肝まで冷えるようなパフォーマンスを行っているのだと、仁村は思い出した。
 ――いや、ならば、頭の上で髪の毛とタイヤがこすれ、パフォーマンスの火花が散るたび、観客から甲高い悲鳴や歓声が沸き上がってもよさそうなものだと思ったが、一向にそういった気配は訪れなかった。ただ悪戯に、自分の髪の毛と魂が削り取られていく。そんな感じだった。いつまでも繰り返される拷問に、さすがの仁村も明らかに何かがおかしいと気づき、バイクが遠ざかったのを耳で確かめた後、頃合いを計り、意を決してまぶたを開いてみた。
 目に直接、ライトを当てられたようなまぶしさに目を細め、辺りの明るさに慣れるまで若干の時間を要したが、仁村は寝ころんだまま正面を見上げた。抜けるような青空。そして視界の周囲に4、5階以上はある建物のビルが立ち並んでいた。ここは、スタントショーの会場ではなかった。予想外の光景に戸惑いを隠せないまま、仁村は地面に貼り付けられていたかのように、気怠く重たくなっていた、自分のからだではないようなからだを、脇に両手をついて少し持ち上げ、さらに腹筋に力を入れることで、ようやく上半身を起こしてみせた。

 左手の目と鼻の先のビルの壁に、「休憩90分3000円~、120分 3500円~」と赤字で書かれたパネルを見つけた。仁村は現状が把握できず、ますます混乱するばかりだった。遅れて、背後でうなりを上げるオートバイのエンジン音に気づいた。そうか、やっぱりと思って後ろを振り返ると、果たしてそこにあったのは、ただのエアコンの室外機だった。故障でもしているのか、室外機の中のプロペラがバイクのエンジン音に似た唸り声を上げ続けていた。そこで仁村はようやく夢、あるいは幻覚から目を覚ました。何気なく顔を下に向けて、自分が着ているものを見ると、何カ月も着たきりで、クリーニングにも出していないようなグレーのスーツに身を包んでいた。ネクタイはしていなかった。上着のフラップポケットには、煙草のマールボロが入っていた。胸ポケットに手を当てると、四角い形の堅い感触があった。取り出してみると案の定、アルミ製の名刺入れで、中にはたった1枚だけ、名刺が入っていた。

 ――そこには、

 俳優 仁村岳弘

 と、肩書と自分の名前が印字されていた。

 まるで三流ドラマのようなシチュエーションに、仁村は思わず笑みをこぼした。まさかと思い、周囲を見回してみたが、当然のことながら、その場に共演者や監督、進行係、カメラマンや照明、小道具や衣装、メイクさんといった、ドラマ撮影の現場には必ず立ち会っているはずのスタッフたちの姿はなく、わが身一つが、どことも知れないビルの谷間の路上に、ぽつんと置き去りにされているだけだった。ただ最近では、スマートフォンのカメラやドローンを使ったドキュメンタリータッチの作品も作られ始めており、仁村はそっちの線ならあるのかもしれないと、半ば冗談で考えた。もし、こちらからはそれと分からないように、どこでカメラが構えていて、今現在の自分の姿を撮影しているのであれば、このまま「俳優 仁村岳弘」として演技をし続けなければならないと思った。
 仁村が好きな笑福亭鶴瓶のバラエティー番組『スジナシ』のように、台本がなく、スタジオの舞台上で、ゲストとともに即興で演じなければならない場合もある。そうか。俺は今、試されているのだなと仁村は思った。もうかれこれ、十年以上俳優を名乗っていたが、テレビへの出演は刑事ドラマのセリフのない端役が良いところで、そのほとんどをモブのような俳優人生として歩んできていた。それがどうだ。今、この場所にいるのは自分一人。残念ながら主役ではないかもしれないが、もしこのシーンを使うのであれば、ただの端役ということもないだろう。こうして起き上がることが出来た以上、死体役ということもあるまい。――そう、例えばと、仁村は即興でこのシーンにふさわしい脚本を考え始めた。

 仕事からの帰宅途中に、目の前で起きた通り魔事件の目撃者となり、根っからの正義感から犯人を追う内に、この裏通りにたどり着く。だが、待ち伏せしていた犯人と鉢合わせ、揉み合った末に、転倒して地面に後頭部を強打。犯人は逃走。意識を失った自分は、一夜明けた翌日、目を覚ます。それが現在の状況。ならば、次にすべきことは、犯人の追走劇だろうか。犯人の足取りや正体がつかめない警察に代わり、一目撃者、犯人と格闘した一人の人間として、まるで探偵のように隠密に犯人を追い、捜し出す。クライマックスでは、意外な人物の犯人を突き止め、揉み合った際に現場に落としていった犯人につながる証拠を突き付けて、犯人は観念。そこに警察が到着し、エンドロール。少し古いが、エンディングには岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」が良い。

 この都市まちは 戦場だから
 男はみんな 傷を負った戦士
 どうぞ 心の痛みをぬぐって
 小さな子供の昔に帰って
 熱い胸に 甘えて

 ――スジナシ、と言いながら、仁村の頭の中には、だいたいの脚本が出来上がってしまった。本来はゲストである共演者とアドリブで作り上げるものなのだが、今は不在のため、仕方がないと思い、とりあえずこの脚本に沿って話を進めてみようと思った。もしどこかで共演者が現れれば、アドリブで脚本を変え、当初のクライマックスに近づけるようにと事を運んでいけばいい。仁村はそう思い、俳優仁村岳弘から、その場で1分ほどで考えた役名の「松田元気」に成り替わることにした。
 待つこと3分。もったいぶるように路上から立ち上がった仁村は、全ての角度から撮られていることを意識し、松田元気としての表情はもちろん、立ち姿、視線、からだへの力の入れ具合、呼吸の仕方、しきりに鼻を触る癖など、一つ一つの仕草を即興で作り上げ、演じ始めた。

 時間と金額のパネルを見た松田は、横の建物はラブホテルだと気づいた。隣を見ても道の先を見ても、同じような外観の建物が並んでいるのを見て、ここはどこかのホテル街だろうと見当をつけた。少し歩くと、道の先の丁字路の角に立つ電信柱のプレートには、「N岸」と書かれていた。松田には、見覚えのない住所だった。松田は仕方なく、もう少しこの辺りをぶらついてみることにした。歩きながら五線譜のように電線が横切る空を見上げると、まばらに綿を敷き詰めたような鱗雲が漂っていた。
 車1台がやっと通れるほどの細い通りを、何度も角を曲がりながら進んでみたが、どこを歩いても、左右にラブホテルが並んでいた。松田は薄笑いを浮かべながら、「ここはラブホテルの展示場か?」と独りちた。しかし、それにしてはカップルや利用客の男、風俗関係者の姿を見かけることもなく、自分一人だけがこの迷路をさまよっているかのような錯覚さえ覚えた。松田としてはもとより、俳優仁村として、このままずっと自分だけのカットでは間が持たないのではないかと思い始め、そろそろ誰かに出てきてほしい、誰かに会いたいと、人恋しさを感じ始めた。
 仁村は首を振る。いや、いけない、いけない。俺は今、松田だ。仁村は心の中でそうつぶやき、うっかりすると顔を出しそうになる素の自分を押し殺した。ただ、このままでは埒が明かないというのも確かで、ここは仁村としての不安な気持ちを、一介の探偵として、女性に縁遠いという設定(即興)の松田に託し、松田が自然とそういう気持ちになったという体で、――そうだ、それなら試しに入ってみるかと、ちょうど道の突き当りに見えた「ソドムの森」と言う、やけに生々しい名前のラブホテルに入ってみることにした。
 
 無人受付のタッチパネルの前に立った松田は、事前予約ではなく、部屋から女性を呼び出し、この街や通り魔についての情報を聞き出すことが出来ればいいかくらいの気持ちで、一方、仁村としては、二人で会話をしている画が欲しいのだろうというディレクターの気持ちを推し量り、一番値段の安いベッドとソファーその他だけの101号室を選択し、チェックインした。  
 足元の間接照明だけが灯る薄暗い通路を進み、松田は誰ともすれ違うことなく部屋に入った。撮影カメラを捜すかのように、一通り部屋の様子や設備を見て回った後、上着を脱いでハンガーにかけ、からだを休めることにした。テレビモニターの下の棚の中の小型の冷蔵庫を開け、ボタンを押して150円のペットボトルのお茶を購入する。ソファーに座り、ペットボトルのキャップを開け、ごくごくと喉を潤す。ふと松田は、そういえば今まで一度も、セリフらしいセリフを発していなかったことに気が付いた。やはりドラマとして、そろそろ誰かとの会話が欲しいところだった。松田は女性を呼ぼうとズボンのポケットを探り、スマートフォンを探したが、どこにも入っていなかった。まさかと思ったが、今更ながら松田=仁村は、スマートフォンを持っていないことに気づいた。さらに、財布までなかった。――ははぁ、やられたと、素の仁村の苦笑いが出かかったが、すぐに松田に戻り、困ったふりをして頭を抱えて見せた。
 ――しかし、どうするべきか。お金が払えなければ、この部屋を出ることは出来ないだろう。誰かに誘われて閉じ込められたというのならまだ分かるが、自ら部屋に飛び込み、閉じ込められるなど、愚の骨頂だった。いや、松田元気とはそういう男だったのか。仮にそうだとしても、自分自身が困るだけだった。部屋に備え付けの電話で、フロントに掛けてみる。つながらない。何度もかけてみたが、ものの見事につながらなかった。休憩中でもあるまいに。いや、そういう設定なのか。仁村は松田として、ますます追い込まれたふりをした。ふりと言いつつ、仁村としても追い込まれていたので、それは図らずも迫真の演技となった。

 松田と仁村、どちらもの自分を落ち着かせるように、ペットボトルのお茶を飲み干し、ソファーにからだを預け途方に暮れていると、突然ピンポンと部屋のチャイムが鳴った。誰かが部屋を間違えたのかと思ったが、これは渡りに船と、松田=仁村はソファーから素早く立ち上がり、部屋のドアへと急いだ。
「あの、すみません。フロントの人呼んできてくれませんか!」
 松田はそう言いかけたが、それでは仁村の反応と変わらないことに気付き、ドラマの設定に則って、
「はい、どちらさまですか?」
 あくまでこの部屋の利用客、松田であることを装った。
「Myクラブから来た、森野です」
「ああ、そうでしたか。お待ちしておりました。今、開けますね」
 そうして松田は、森野由梨もりのゆりを部屋の中に招き入れた。
 松田は一人掛けのソファーを森野に勧め、自分はベッドの脇に腰かけた。
「阿部さん、お久しぶりですね」
 お互い腰を落ち浮かせて早々、松田は森野にそう呼びかけられた。松田=仁村は、彼女とは当然、初対面であったし、誰かと勘違いしているのかと思ったが、ああ、そうかと、また仁村は思い至った。すでに『スジナシ』が始まっているのだ。松田は、阿部と言う名前の人物として彼女に応じることにした。
「そうですね。いつ以来ですかね」
「確か、4月にご指名頂いたので、1カ月ぶりでしょうか」
 と言うことは、今は設定上5月なのかと、仁村は頭に刻む。
「阿部さん、覚えてますか。クレジットカードお忘れになったんですよ。あれから何度もスマートフォンにお掛けしたんですが、どうしてもつながらなくて、警察に届けようかと思ってました」
 森野は膝の上の桜色のハンドバッグの中から、1枚のクレジットカードを取り出した。
「はい。じゃあこれ、お返ししますね。もう忘れちゃだめですよ」
 森野が笑顔を浮かべながら手渡してくれたクレジットカードを、松田=阿部は恐縮しながら受け取った。カードには、「YUYA ABE」と刻印されていた。裏を見ると、漢字で「阿部裕也」というサインが書かれていた。阿部裕也か。松田=仁村は、この場での自分の名前をはっきりと確認した。

                               つづく

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