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私はわたしらしくという生き方

わたしはわたしらしくという生き方は、人生で最も難しい生き方だと思う。
どれだけの人が、「わたしらしく」生きているだろうか。
私と同じ年代の人は、
「わたしはわたしなんだから」
と言ったら、
「頑固者」
「融通が利かない」
「自分勝手」
と言われた経験はあるのではないだろうか。
個人よりも集団を重んじられた時代に育った私としては、とても苦しかった覚えがある。

それに比べ、今は「個人」「個性」を重要視してくれる時代で、この時代に生まれたかったと今、心から思う。
今からでも遅くない、周りに合わせるのではなく、自己主張をすればいいと思うかもしれないが、それはちょっと違う。
人に合わせるのが身に付いてしまっている私にとって、それはかなりハードルが高いことで、これは性格にもよるし、すべての人に当てはまるわけじゃないけれど、少なくとも私は、わたしらしく生きているとは言えない。

育ってきた環境、生活していた場所、性格……。様々な要素が加わって出来た「わたしらしさ」がある。

会議でもなんでも意見を求められて答えるけれど、何故かいつも否定されていた。常識がないのか、感性が人と違うのか、頭が悪いのか、仕事ができないのか、その理由はわからない。
「私は人と何かが違うんだ」と悩み、一生懸命に周りと合わせて生きてきた。

人権や男女平等、わたしはわたしらしくと掲げているけれど、その反面、SNS等では、「いいね」が欲しくて、流行りと映えを求めて、「みんなと一緒」を求めている。
このnoteにしても、みんなから「スキをもらうには」と悩んでいる人もいるだろう。

「わたしはわたしらしく」とは、とても難しく、贅沢なことだと思う。
私にとってnoteは、この「わたしはわたしらしく」自分の考えを吐き出せる場所だ。
マメじゃないし、気まぐれで、飽きっぽいから好きな時に、好きな内容のnoteを書く。それじゃダメなのだろうか。

既に50代半ばに差し掛かっている私だが、あとどれくらいの時間が残されているかわからない。
昔何かで読んだ、「寿命のローソク」があればいいのにと、本当に思う。

昨年あたりからやっと「わたしらしく生きてみよう」と思い始めた。

「友達が多そうでいいですね」
「さっぱりした性格でいいですね」
「行動的、見習いたい」

私らしく生きていなかった私は、一生懸命に人と合わせていた。だから、こう言うことをいつも言われていた。
どうしてそうなったかは、また別に書いているけれど、それは作った私であって、本来の私ではない。
それが苦しくなっていた。

今私は、「私はわたしらしく生きていく」ために、
「おひとり様」を満喫している。
自分が思う「わたしらしく」にはまだまだだが、少しづつ出来ている。

趣味で始めた「小説の投稿」だったが、とても有難いことに、沢山の読者さんがいて、ファンがいて読んでいただいている。
「どうせ私の書いた小説なんか読む人なんかいないだろう」と思っていた私だが、書いた小説がランキングに入って、書籍化されたことは、どこか「人とは違う自分」が認められたようで本当に嬉しかった。

noteと同じく「吐き出し口」「なりたい自分」なんかを書いていたら、共感してくださる読者さんがたくさんいた。
友達はいてもやっぱりどこか「孤独」なのかもしれないと、書いた作品によってはそんなことを思ったりしている。

自分勝手と、わたしらしくの境界線はどこなのか、それはとても難しいけれど、自分の人生は自分のもの。
人にとやかく言われる筋合いはない。だから、「わたしらしく」は難しのだと思う。

難しく考えすぎてしまったかなと思うが、
私はきっと、「わたしらしく」を模索しながら生きていくような気がする。




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