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『レスリング・ウィズ・シャドウズ』レビュー評※ネタバレあり


レスリング・ウィズ・シャドウズ』は1998年に全米で公開されたプロレスドキュメンタリー映画である。日本は当時ビデオスルーでの発売のみだったのだが、今年2023年の5月に1日限りの初公開上映がされた。


本作はWWF(現:WWE)で当時人気絶頂だったWWF王者ブレット・’’ヒットマン’’・ハートにスポットを当て、そしてブレットの家族たちにも焦点を当てた記録映画である。

ブレット・''ヒットマン''・ハート



1.WWFとWCWとの二大メジャー団体の視聴率戦争


90年代のアメリカン・プロレスは当時ビンス・マクマホンが率いるWWFとテッド・ターナーが率いるWCWの二大巨頭とも言えるメジャー団体が月曜日の夜にプロレス視聴率戦争が放送されていた。

プロレス史ではこれを「Monday Night Wars(月曜の夜の戦争)」と呼び、WWFの「Monday Night RAW」とWCWの「Monday Nitro」が月曜の夜の同時刻で放送されていた。

その中でブレットは多額な年棒で移籍させようとするWCWとこれまで自分を育っててきた恩恵のあるWWFに残留するかという悩みから本作は始まる。

Monday Night Wars


2.プロレス一家


ブレット・ハートの家族ハート・ファミリーはカナダ随一のプロレス一家で、父親のステュー・ハート(1915~2003)を始め息子8人と娘4人の大家族であり、ブレットはその六男である。

息子たちは全員レスラーとなり、娘たちは全員レスラーたちの妻となった。ハート・ファミリーで有名なのはブレットと末弟のオーエン・ハート(1965~1999)、また義兄、義弟でもあるジム・''ジ・アンヴィル''・ナイドハート(1955~2018) 、''ブリティッシュ・ブルドッグ''デイビー・ボーイ・スミス(1962~2002)などがいる。

そして現在その子供たちもレスラー「ナタリア(ジム・ナイドハートの娘)、デイビー・ボーイ・スミスJr.(デイビー・ボーイ・スミスの息子)」となり、ハート・ファミリーのDNAは今現在も続いている。

海外のレスラーにはプロレスファミリーは多く存在する。ハート・ファミリー、フリッツ・フォン・エリック(1929~1997)のフォン・エリックファミリー、アノアイ・ファミリー(ヨコヅナ(1966~2000)、ザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)、ロマン・レインズなど)が数多くのプロレス一家がいる。


ハートファミリーの息子たちは父ステューに鍛えられ、彼が立ち上げたプロレス道場ダンジョン(別名ハート道場)でレスリング技術を磨いた。このハート道場は数多くの名レスラーたちも輩出し、フリッツ・フォン・エリック、ジーン・キニスキー(1928~2010)、ニコライ・ボルコフ(1947~2018)、クリス・ベノワ(1967~2007)、クリス・ジェリコ、ランス・ストームたちが育っていた。


本作でも訪問者たちがこの道場に訪れ、ステュー本人から寝技やサブミッション(関節技)を受ける場面がある。
ステューはこの時点でもう80代の老体に係らず見事に関節技を決めており、体は衰えても技のキレはまだ健在なのは本作を鑑賞すると理解ができる。

ハート・ファミリー
父ステューの誕生日にブレットたち家族が祝って団欒している場面

3.nWo

8~90年代前半までのアメリカン・プロレスはWWFが勢いづいていたが、ここにライバル団体であるWCWが現れ、WWFはWCWに巻き返されてしまう。

WCWは当時WWFで人気だったレスラーたちとそこで解雇されたレスラーたちを移籍させ、特に有名なのがハルク・ホーガンがライバル団体であるWCWに移籍したことが当時の大きな話題となった。

ホーガンもWCWに移籍後もベビーフェイスとして売り続けたが、ここでホーガンはケビン・ナッシュ、スコット・ホール(1958~2022)と共にヒールユニット「nWo」を結成し、ここからWCWの隆盛時代となる。

nWoは当時WCWと提携していた新日本プロレスとも合体し、「黒のカリスマ」蝶野正洋を筆頭にnWoジャパンも結成された。nWoブームは世界的に流行し、90年代のプロレス史の一大センセーショナルとなった。

WCWでハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールたちが結成したヒールユニット「nWo

4.ブレットのフェイスターン


その苦境の中に立たされていたWWFは少しずつ視聴率が下がっていたが、ここでビンス・マクマホンは考えを練る。

プロレスにはベビーフェイス(善人)とヒール(悪人)の二極に別れており、ブック(映画というところの脚本)が組まれ、そこでブッカー(試合の筋書きを作る人間)たちが二人のレスラーに抗争アングルを立てる。

以前のプロレスでは勧善懲悪という流れでベビーフェイスが人気だったが、nWoの誕生によりヒールが人気となり、WWFもヒールレスラーたちを売りにする。中でもストーン・コールド・スティーブ・オースチンが登場し、それが一大人気となる。正統派レスラーでベビーだったブレットはそのオースチンとサバイバー・シリーズ96年大会で試合することになり、この二人の抗争は翌年のレッスルマニアまで続いた。

サバイバー・シリーズの試合も名勝負だが、この後の97年に開催されたレッスルマニア13で行われたノー・ホールド・サブミッションマッチ(場外ノーカウント反則ありで関節技を決め相手が降参したら勝者)が二人の一番の名勝負で、膝のケガを負いながらも大流血で試合展開をするオースチンだが、終盤にブレットのフィニッシャー(必殺技)でもあるシャープシューターを決められオースチンはTKO負けをする。この試合終了直後にブレットは倒れているオースチンを凶器で攻撃し、ヒールにフェイスターンをするというアングルとなった。しかし本作ではここでのブレットの心境が語られる。

彼自身はべビーとして続けたかったのだが、オースチンの登場により自分が善人役を続けるのは厳しくになり、ビンスと相談し悩んだ末、止む無く自身もヒールとなった。

ヒール転向後は母国カナダを愛する愛国者となり、それまで応援してくれていた現地のアメリカファンたちを罵倒する悪役レスラーとなった。しかしこのアメリカのファンを罵倒するアングルやブックはビンス・マクマホンが考えつき決めったことで、ブレット本人には全くその意図はなかったと移動する車中で語っている。

ここからブレットとビンスの関係が悪化を辿り、そして「モントリオール事件」へと発展する。

サバイバー・シリーズ96年大会でのブレットとオースチンとの一戦
レッスルマニア13で行われたブレットvsオースチンのサブミッションマッチ
ヒールに再びフェイスターンしたブレット

5.モントリオール事件


1997年11月ブレットの母国カナダ・モントリオールで開催された97年大会のPPVサバイバー・シリーズで王者ブレット・ハートと挑戦者HBK ショーン・マイケルズとのWWF王座戦のシングルがメインとして組まれていた。

その前日にブレットはこのビンスとの関係で、WWFに不信感を抱いていた。またブレットは王者のままWCWに移籍しようするが、ビンスは王座保持のままでの移籍を許さなかったのもあり、以前WWF女子王座にあったアンドラ・ブレイズに、WCW移籍のパーフォマンスとして番組中にベルトをゴミ箱に捨てられたこともあり、ベルトの移動は絶対としていた。

そしてブレットが移籍を決めようとしたのは当時WCWに対抗するためにこれまでのファミリー路線を逸脱し、過激路線=アティテュ―ド路線へと方向転換した団体に嫌気が差し、正統派でもある彼はこの過激路線の変更には真っ向から反対していた。

家族と共に会場に到着したブレットは早速ビンスとブックの構成の話し合いをするのだが、ここでブレットは録音機を忍び込ませ、この会話を盗聴していたのだった。

この話し合いでは当初、この大会でショーン・マイケルズに敗れての王座移動という物語だったが、ブレットは地元カナダでの敗戦は拒否した。


そのため決定した物語はマイケルズ率いるD-ジェネレーションXとブレット率いるハート・ファウンデーションの乱入により無効試合としてショーンへの王座移動はなし、翌日のRAWで王座を返上するという、物語の筋であった。


そして試合当日、試合は物語の筋書き通りに進行するかと思われたが、試合の終盤にマイケルズがブレットのフィニッシャーでもあるシャープ・シューターを掟破りとして繰り出した瞬間、リングサイドにいたビンス・マクマホンがレフェリーにゴングを要請し、マイケルズの勝利となってしまった。

レフェリーは控え室に逃げ、マイケルズは係員に連れられそそくさと控え室に逃げていた。
ビンスにハメられ、王座を失ったことに一時呆然としてしまったブレットは怒りを露わにし、リング上から離れず、その後にリングサイドにいたビンスに唾を吐き掛け、放送機材を破壊して控え室に戻った。

その後、ブレットは控え室にいたマイケルズを問い詰めた後、怒りが収まらないブレットはビンスの控え室まで行き彼を殴った。

2004年に出版されたビンス・マクマホンの心情に迫った『WWEの独裁者』ではこの事件を知ったジ・アンダーテイカーはビンスに憤慨し、ビンスが閉じこもっている控え室のドアを蹴り続けたという。

試合終了後、ブレット夫人は各選手をバックステージに立たせ、そこでマイケルズとチームメイトだったトリプルHに夫人は「ハンター、あなたもいつか報いを受けるわよ」と詰め寄る。このバックステージでの殺伐とした空気は現在でも印象に残る。

本編終了直前では家族とRAWを観ているブレットの顔にはどこか悲壮感を漂わせる。

自分が人生を賭けたプロレスに裏切られた事で、彼は口を濁らせる。

EDではブレットと父ステューの二人が揃って後ろ向きで会話をしながら本編は終了する。


プロレス史で黒歴史として名高い「モントリオール事件」



6.その後


事件後、ブレットはハート・ファウンデーションのメンバーもオーエンを残してWCWに移籍した。だが新天地WCWでは目覚ましい活躍が出来なかったため引退を余儀なくされた。

最終的にはWCWはWWFに視聴率で惨敗し、WWFに買収され吸収されてしまったという崩壊を迎えた。また1999年には末弟のオーエンがWWFの興行中に事故死した為、そこでブレットはビンスを強く非難した。

しかし2006年にブレットは自分の過去の試合が埋もれていくのを防ぐために、ビンスと一時的な和解をする。また同年度のレッスルマニア前夜に開催されるHall Of Fameにて殿堂入りを果たした。しかしこの時点ではまだマイケルズとトリプルHとの確執は解消されていなかったのだが、事件から12年後の2010年1月のRAWでブレットとマイケルズは対面し、感動的な和解を果たした。

好敵手ショーン・マイケルズとの和解



ブレットは一時はWWEに裏切られてしまったが、この十数年後に確執が打ち解け、現在も定期的にゲストとしてWWEに呼ばれる事がある。

このドキュメンタリーでは事件前後しか映らないが、改めてプロレスはドラマがあると実感させられる。

本作は6月16日にBlu-rayが発売されたので、興味のある方は是非ご鑑賞をオススメ致します。


少し本編とズレたレビューもしていますが、ご了承下さい。

画像出典:映画.comの『レスリング・ウィズ・シャドウズ 完全復活バージョン』の画像、Pinterest

GIF画像出典:Tenor

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