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「どうする家康」第41回「逆襲の三成」 家康が天下人になるため、かぶるべき真の汚名とは?

はじめに

 今回は失脚した三成から政務を引き継いだ家康が、戦を起こさぬようにいかに事を収めるかが描かれました。その懸命にして賢明な努力は、結局、報われず関ヶ原合戦の前哨戦はいよいよ口火を切るところへ来てしまいますが。

 それにしても家康の政は何故、天下を巻き込む大乱を起こしてしまう結果になったのでしょうか。
 今回の家康の政は、利家からの最期の助言「皆が家康を恐れている」を意識していた節があります。利家の言う「恐れ」とは、「畏敬」…畏れ敬うことです。単純な恐怖ではなく敬意があるのです。言い換えるなら、これがカリスマというものです。

 思えば、「どうする家康」の信長も秀吉も、このカリスマを上手く使ってきました。信長は実力主義を体現し報奨必罰を厳格に適用する恐怖で。欲望の怪物である秀吉は相手の懐に入りその欲望を刺激する心理術で。二人のカリスマは、幼少期の体験が生み出したある種の天才性でしょう。

 しかし家康は本人が自覚するように彼らのようなタイプのカリスマではありません。必要なときに必要な力を借りられる「人徳」が他の二人にない家康の能力ですが、一方でそれは信長や秀吉のカリスマのような目に見える、分かりやすいものではありません。
 ですから彼は戦にならないことを念頭に、合理的な判断で必要に応じた畏怖の使い分けをしていきます。

 結局、家康の意志に反した大乱が起きます。その裏には茶々の暗躍がありますが、実はそれは一番の原因ではありません。茶々の暗躍が成功したのは、周りの積もりに積もった家康に対する不満を刺激したからです。つまり大乱を招いたのは、家康もまた諸大名の不満を押さえられなかったということになります。

 何故、家康ほどの者でも上手くいかなかったのでしょうか。その理由は、家康が無能だったからではなく、秀吉の天下一統、つまり欲望を刺激する政が、戦国時代の延長線でしかなかったからです。そこで今回は家康の政の失敗の原因を探ることで、家康が天下人になるためになにをしなければならないのかを考えてみましょう。それはとても過酷なことになりそうですが…



1.理解されない狸のつらさ

(1)慣れぬ狸の圧迫

 冒頭、家康は秀頼の後見人として政務を執るため、北政所がいた大阪城西の丸に入ります。勿論、これは「家康は伏見城にて政務を執る」という秀吉の遺命を破っています。しかし合議制の欠点があからさまになった今、家康は自ら泥をかぶり、とにかく政局を安定させることを優先したのです。

 そして家康の西の丸入城は、家康が政治の中心である伏見城と豊臣政権の象徴秀頼がいる大阪城の二つ、を掌中に収め、実質的に天下を治めることを内外に示しました。更に劇中では描かれませんでしたが、家康は西の丸にも自分が住まう天守閣を造営しました。視覚的にも自身が権力者であることを明らかにしたということになります。


 因みに西の丸にいた北政所(寧々)は京都新城に入りますが、前回、家康が天下人として立つよう背中を押しています。実際、彼女は、三成の失脚でも家康の意向に添う仲裁に入っており、そのことで家康の名は上がったとされます。となると、彼女は家康と示し会わせて、西の丸を出たのでしょう。ですから、三成が後に「北政所様を追い出して」と糾弾したのは誤解による言いがかりでしょう(三成の預かり知らぬ話ですから仕方ありませんが)。


 ともあれ畏怖に権力という箔がつくとどうなるか、その畏怖に平伏する者、阿る者、危惧する者、反感を抱く者、様々な表れ方をします。それをどう捌くかが天下人の腕の見せ所となるわけです。

 まずは反感と危惧の反応として、家康暗殺計画という「恐るべき謀」(ナレーション)が明るみに出ます。名を連ねたとされる五奉行の一人浅野長政と豊臣家家臣、土方雄久&大野修理治長が家康の御前に引き出され、追求を受けます。
 神妙な浅野、土方に対して不遜な態度を取るのは大野修理です。彼は傲然として「全てはこの大野修理が企てたこと。私のみを処分してくださいませ」と開き直った物言いをします。盗人猛々しいというやつで、反省の色はなく、糾弾される側の取る態度ではありません。

 そんな修理に「わしの何が気に入らぬ?」と率直に聞くと「治部殿の仕置きに納得がいきませぬ」と家康の痛いところを突いて返します。と言って、本心から三成の味方をしているわけではありません。要は家康の強引な手口が撒いた種だと皮肉っているのです。


 この大野修理治長は茶々の幼馴染みで、大阪の陣にて彼女と共に自決するまで彼女に尽くした人物。そのため、秀頼の本当の父は秀吉ではなく彼ではないかと噂されます。それほどにまで茶々と公私共に結びつきが深い大野修理。家康はそこまで気づいてはいませんが、この一件に茶々の意向が一枚噛んでいる可能性はありそうです。
 今回の後半の展開からすると、もしかすると、この暗殺計画自体が三成への資金援助をカモフラージュするものだったかも、という想像さえさせてくれます(笑)なんにせよ、今後の食わせ者の一人であるのは間違いありません。


 さて、大野とは違い、浅野長政と土方はあっさり詫びを入れて、今は家康を信頼していると平伏します。証拠もあがり未遂となった今、処分を穏便にすることは家中を守る一番の方法です。
 そこにつけ込む正信は、ねめつけるように「この謀、皆様だけできるとは思えませぬ、どなたの指図かお教え願いたい」と主犯を明かすよう問い詰めます。

 このとき、家康は無言でとんとんと叩き始めます。すると、慌てたのは糾弾されている三方ではなく、詰問側の三奉行。口々に主犯の名を明かすよう言い始めます。天下人は軽々しく発言してはいけません。その威信を保持が重要なため、一度、公的な場で発言したら撤回できません。だから、家康は自分に決定的な発言(過激な処断)をさせる前に、主犯を吐かせるよう畳をとんとん叩き、三奉行らを圧迫したのです。

 抵抗する修理に対して、土方は保身からあっさり前田利長が主犯であると口を割ってしまいます。
 早速、五大老の一人が家康に反意を見せたこと自体は重大事ですが、これでこの暗殺計画の本音が家康に対する恐怖心の反動であることが分かってしまいます。何せ、家康と利家との対談の際に家康を恐れる態度を隠すことが出来ませんでしたからね。
 おそらく家康が天下を取れば次席の前田は滅ぼされると危惧したのでしょう。利長が小心と言うより、それだけ父利家が偉大だったということ。彼がいなくなっただけで意気消沈、恐怖心が沸き上がったと察せられます。


 さて黒幕がわかったところで、家康自ら浅野長政蟄居、土方と修理は流罪と寛大な処置をくだします。寛大な処置というのは、口にした本人に一番感謝するものです。部下を通すのではなく、自ら口にするのがベターです。恐れ入る浅野長政と土方雄久に対し、納得しかねる修理。
 家康はわざわざ彼の目の前まで近寄ると「死罪を免じたのは我が温情と心得よ」と次はないと恫喝します。流石の修理もここが引き際、平伏し下がります。去り側まで苦々しさを隠さない修理は、家康の専横ぶりを報告することでしょう。


 後は前田利長です。皆が下がった後、正信は「毛利、上杉、宇喜多、他の大老も油断できませぬ。厳しく取り締まる他ないでしょうなぁ…」と肩を揉みます。辛いでしょうが耐えなされという意味合いの肩揉みをしながら、正信が進言したのは「利長の処分は厳しくし、他の大老の見せしめにしろ」ということです。

 五大老は秀吉の遺命からすれば全員同格。互いに牽制し合うものです。しかし、それでは互いに牽制し合うだけで何も決まりません。立場が同格でも上下関係ははっきりさせておくほうがやりやすいのです。かつて信長は同盟者家康を屈服させましたし、私的には家康を下にも置かなかった秀吉も公的には厳然と臣下として扱いました。家康も先人に倣うのが妥当なところです。
 勿論、その後の景勝らの態度を見れば、諸刃の剣ですが。


 結局、家康は前田征伐を仄めかし、それを恐れた利長は示談に応じ、母、芳春院を家康の人質に差し出します。この芳春院が「利家とまつ ~加賀百万石物語~」のまつです。この人質のくだりは「利家とまつ」でも、彼女の賢妻ぶりが見られます。まつ役は、本作で於大を演じた松嶋菜々子さん。老獪な高嶋政宏さん演ずる家康とのやり取りは見ものでした。

 話を戻しましょう。
 この家康暗殺計画は一次史料も少なく、実際のところはよく分かっていませんが、少なくともこれを家康が自身の地固めのため、最大限利用したのは確かです。しかし、元来、優しい性格の家康はこうした仕事は好きではありません。
 正信と二人になると「狸はつらいの」と本音が漏れます。これを深刻に受けず「♪気張れや狸、ぽんぽこぽーん」と肩叩きで音頭を取りながら茶化す正信の気遣いかわ良いですね。家康も思わず、くすりと笑ってしまいます。



(2)大谷刑部の話から見える狸の懐柔策の余波

 蟄居先の佐和山にて晴耕雨読に生きているような三成の元に、盟友大谷刑部がやってきます。お茶請けに干し柿があるのは、三成を知るものには納得ですね。さて、刑部は現在の大阪、つまり中央の様子について包み隠さず話します。この場面の直後に分かりますが、この訪問は家康の意向によるもの。三成が気がかりな家康は、こういう方法でしか三成を慰め様子を窺うことしかできません。

 そして、三成の本心を探るのが目的と心得ている刑部ですから、前田関係の仕置きの顛末を始め、「内府殿は北政所様のいた西の丸に入り、思うままに政務を執り行われておられる」「一方で慕う者はとことん可愛がり、豊臣家中を掌握しておる」と家康の政について、わざと批判的な色を帯びるように語っています。それに乗るようならば三成に逆心がありますし、なければ家康への恨みは忘れたと見るわけです。


 この際、家康が「慕う者はとことん可愛が」るというくだりで、1600年の大阪城での年賀の挨拶について触れられています。この年、大坂城本丸の秀頼のもとに年賀の挨拶を済ませた大名たちは、そのまま西の丸にも赴き、家康にも挨拶をしたのです。今回の冒頭で描かれた1599年の家康暗殺計画における峻烈な対応と三成失脚騒動の処置は、諸将を従わせるには十分な効果を持っていたことが分かりますね。

 厳しい沙汰という鞭の後は飴玉を与えるのが常套手段です。三奉行、そして豊臣恩顧の七将たちと共に酒を酌み交わしながら、彼らに贈り物(というかお年玉ですね)をしていています。
 この際、家康は黒田長政に駿馬を与えているのは、芸の細かい演出ですね。黒田長政は乗馬に特にこだわった武将として知られ、息子にも乗馬の訓練の重要性や乗馬の仕方な詳しく語っています。長政の死に際して、秘蔵の愛馬も後を追って死んだという逸話もあるほどです。そんな長政に自分の秘蔵の駿馬を与えた家康は、相手の好みをよく分かった上で惜しみなくお年玉を与えるという気遣いができるのです。
 単純ですがこういうことは大事です。お年玉は太っ腹な人にほど感謝した覚えは皆さんにもあるでしょう(笑)


 おそらく徳川家の年賀の挨拶自体、こういうものだったかもしれませんね。ほら、福島正則や黒田長政を守綱や忠世や彦や七に置き換えてもなんとなくありそうじゃないですか(笑?ですから、こうしたやり取りは家康が最も得意とするところでしょうし、また相手に合わせて喜ぶものを提示する心配りは三成にはないものです。子どものようにはしゃぐ一同の様子が、楽し気な様子が印象的です。

 勿論、彼はこんな見た目だけの飴で誤魔化したりはしません。翌月には、家康単独の名をもって大名たちに領知宛行状を出し、新地を与えて、もっと確実で堅実な贈り物をしています。当然のように自分の名をもって行い、その権勢をはっきり示すことは忘れません。


 さて、この様子を憎々し気に見つめ「この正月は西の丸が随分賑やかなようだな…」と、足を投げ出し寂しそうにぼんやりしている秀頼を不憫そうに見やるのは茶々です。目に見えて権勢が家康へ移動していくことは止めようのないことなのですが、彼女にしてみれば「やはり家康は裏切り者」という逆恨みを増幅させるには丁度のよい燃料になっていることでしょう。
 彼女の中で、改めて家康への復讐の思いは新たになったとき、それは三成を彼女の意のままに動かすときです。そのために彼女は「徳川殿は平気で人を裏切るぞ」と囁いたのですから。前回、三成失脚と家康がトップについたことに、茶々はほくそ笑んでいました、それは家康と三成が決裂した証拠だからでしょう。彼女は家康潰しの手駒をなんなく手に入れ得たことになります。

 無垢な三成が茶々の意図など全く気付かないのはもうどうしようもないのですが、家康は無警戒すぎるように見えるかもしれません。しかし、家康にすれば、女狐とは分かっていても、そこまで恨まれているとは思っていないはずで、きちんと距離をもって対応すればよいと考えたのではないでしょうか。まさかファザコン拗らせて父でもない家康を恨んでいるとは思い至りませんから、仕方ありません。


 こうして刑部は、批判的な物言いながらも「世間では天下殿と読んでおるそうな」と家康の優れた力によって天下が盤石になりそうであることも説明し「お主は面白くないかも知れぬ」と感想を振ります。しかし、どこ吹く風の三成は「わたしはしくじった身、とやかくいえる立場ではない。内府殿のお力で天下が静謐を取り戻すならば結構なこと」と悟り切った物言いです。

 興味なさげな、らしくない三成に「いずれほとぼりが冷めれば、お主もまた…」と諦めるなと言う刑部。彼は後の様子からもわかりますが、三成の非凡な才が埋もれることを案じています。できれば、家康と手を携え、その才を存分に発揮してほしいのです。ですから、家康から三成の内定という意向を引き受け、ここを訪れているのも友を思えばこそなのですね。いじらしいまでの刑部の三成の思いは、やがて彼の運命を哀しいものへと決定づけますが、ここではまだ希望を持っています。


 刑部の言葉に「わしは今の暮らしが性にあっておる」と念を押し、それよりも「お主こそ病の具合が良くなっておるのならば浅野に代わり奉行になってはどうか」と返します。刑部は既に業病に侵されています。当時は感染するとの迷信があったため「病を恐れて誰も近づくまい」と返し、「隠居したら茶でも呑みにくるさ」と笑います。
 そんな様子に友人を気遣い、茶を飲もうという心遣いを感じる三成の表情は穏やかです。しかし、すぐに思案気な表情に戻ります。が、刑部はその変化には気づきませんでした。

 そのため、家康には「わだかまりは捨てたようで穏やかに暮らしておりまする」と安堵した報告をしています。その言葉に「よかった…まことによかった…」と返す家康の姿には本音が漏れています。ずっとずっと気にかけていたに違いなく、心底、そうあって欲しいと願っているのです。さすれば、いつか和解の日も訪れるかもしれないからです。

 しかし、やや涙ぐみながら報告に安堵した家康は、一瞬、顔を曇らせます。刑部の報告自体は信じているし、そうであって欲しいと願うのは家康の本心ですが、その一方で彼の理性と戦国大名としての勘は、あの原理原則にこだわる信念の男、忠臣の中の忠臣である三成が、そう簡単に諦めるだろうかと思うからです。


 果たして、瞑目する三成の元に参上した島左近は「狸が本性を表し始めておる。子細漏らさず探ります」と、穏やかとは真逆な方向へと動き始めます。家康の懸念は的中していたのです。それにしても知勇に優れた左近と言えども、分かっていませんね。本性を現したらそれは狸ではないのです。つまり、今の本性のように見える、野心家のごとく振る舞う姿こそ狸がかぶっている皮なのです。何故、そんな皮をかぶらなければならないのか。そこに家康の本心があるのですが、三成の一途な信念は他の見方を許しません。寧ろ、自分の失脚は家康の野心のせいとしか思っていないでしょうね。



(3)狸の本音~「戦無き世」で人々を富ませるには?~

 場面は代わり、茶屋四郎次郎を迎えた家康は阿茶を引き合わせます。伊賀越えなど家康の役に立った茶屋四郎次郎と会いたかったという阿茶ですが、彼(清延)は既に数年前に亡くなっており、目の前にいるのは二代目清忠です。かなりの太い眉で父より色男と抜け抜けという愛嬌が面白いですね。因みに逸話どおりであれば家康の最晩年に茶屋四郎次郎は登場するはずですが、そのときは三代目清次です。だとすれば、中村勘九郎くんは一人三役になるかもしれません(笑)今度は極端な細眉か無かったりして。


 さて、好奇心旺盛な阿茶の頼みで、1600年春に豊後に漂着したリーフデ号の乗組員を大阪城に呼び寄せます。これがウィリアム・アダムス(三浦按針)です。因みにこのときは彼以外の乗組員も呼ばれていて、その中の一人、ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタインは東京駅周辺で有名な八重洲の語源と言われます。

 さて、異国人に興味津々の家康は、脇息を脇に避けて乗り出し、地図を広げ、どこから来たかと異国事情に目を輝かせます。ここまで無邪気に嬉々とした様子を見せる家康も珍しいですね。彼は茶の湯や能などの芸事にはあまり関心がなかったとよく言われますが、逆に学問など知識欲は旺盛でした。今回は阿茶のワガママで彼を呼び寄せたようですから、こうした好奇心の強さは家康と阿茶の共通点、話が合うところなのかもしれませんね。


 相変わらずなにかくすねている正信ですが、カメラ以外、誰にも気づかないほど、皆、アダムスの話に夢中です。
 彼は「エスパニア、ポルトガルとは戦をしており、バテレン(宣教師)どもには耳を貸してはなりませぬ」と助言します。例えば、イエズス会は、教皇の精鋭部隊と言われ、侵略の先兵を務めていると言われます。改宗を強要し、しない者は奴隷として売るといった蛮行もあり、また信者による暴徒化もないとは言えません。こうしたことが秀吉のバテレン追放令につながっています。そのあたりも踏まえた台詞でしょう。


 そして、アダムスは「我々はただ商いをするためにやってきました。日の本に無いものを売り、南蛮にはないものを買う。そして互いに豊かになる」と語ります。そして、通訳をしていた四郎次郎はその言葉に感銘を受け、便乗して「明、朝鮮と戦をして何になりましょう。これからは多くの異国と商いをもって国を民を富ませるのでございます」と持論を大々的にぶちます。阿茶はその言葉に目を見張り、そして家康は我が意を得たり、という表情をします。

 正信は、ぽりぽりかきながら、呆れたように「途中からお主ばかり話しておるではないか」とツッコミを入れますが、感心した家康は「だが、そのとおりだ。日ノ本の揉め事をさっさと片付けんと、どんどん置いておかれるのう」と同意します。

 秀吉は侵略により領土を奪うことで、武士と民をもっと豊かにしようとしました。国内だけでは限界があるという発想自体は間違いではありませんが、やり方が問題ありだったことは朝鮮出兵の結果が証明しています。結局、日本そのものが荒廃します。家康はその荒廃した日ノ本をまとめ上げなければなりません。そして、それを「戦無き世」として持続していくには、は経済的な豊かさの確保が欠かせません。江戸の町づくりのような公共事業はその一環になりますが、それだけでは足りません。

 ここで、瀬名の慈愛の国構想を再度、思い出してみましょう。彼女の発想は性善説に乗っ取った素朴なものでしたが、経済的には興味深いものでした。それは、東国一円を囲う貿易圏という発足時の欧州連合(EU)のようなものでしたが、そこには流通貨幣の統一という後々の江戸幕府を支える貨幣システムのような発想がありましたね。その構想は、どこまでも夢物語でしかありませんでしたが、やはりそれを現実に落とし込んだ形で実現するしかないのでしょうね。

 そして、それで日ノ本を整えたその先は、世界との貿易が待っています。さすれば、戦争をすることなく国や民を富ませられる…家康は、アダムスの話から、そうした未来の国の形の一端をなんとなく思い至ったのではないでしょうか(最も現実の貿易はそんな簡単なものではありませんし、経済摩擦など多くの問題が生じるのですが、ここはあくまで理想として)。秀吉の侵略とは違う外国との関係による富国策に思いを馳せたのかもしれません。

 諸外国との貿易を許した朱印船貿易を始めたのは秀吉ですが、それを本格化させて推進したのは家康です。今回、アダムスと四郎次郎の話はある程度、形になります。因みに朱印船貿易で財をなすのは勿論、茶屋家です。

 とはいえ、今は異国を知らねば始まりません。「さあ、アデムス、もっと話を」と家康の顔は輝きます。



2.会津征伐を巡る暗闘が意味すること

(1)戦を回避したい家康の努力と正信の至言

 既に「戦無き世」の維持も視野に入り、夢を抱く家康の前に会津の上杉景勝の不穏な動きが、越後の堀秀治より家康の元に届きます。橋、道、城を築き、浪人を雇い、武具を揃える。非常時に備えるのが武士の本質とはいえ、あからさまに戦支度に見えるその様は、家康に対する敵意の表れとも見えます。

 ですから、忠勝は「元々、殿が政務を取るのをもっとも嫌っていた一人」と苦々しげに言い放ちます。彼よりは多少、冷静な直政は「越後を取り返そうとしておると皆、恐れております」と世間の動向を語り、対応の必要性を説きます(元々、堀家と上杉家の仲がこじれているのがあるのですが)。それを受けた忠勝は戦を起こす疑いは十分といきり立ちますが、家康は「事を荒立てるな。武をもって物事を鎮めることはしとうない」と、政権を掌握してからの自身の努力は「戦無き世」の政を指向していることを強調します。
 現実的な策は景勝を呼び、詰問することですが、仮にも大老、しかも名門上杉家ですから。名を傷つけるようなことをすれば、相手に逆に戦の口実を与えてしまいます。ですから、とにかく慎重に進めるように伝えますが、こういう相手の自尊心に気を遣う交渉事というのは遅々として進まないものですね。



 暫くして、家康を秀頼の御前に呼びつけた茶々は「誠なのか、上杉が戦の支度をしておるというのは」と詰問しますが、「いえ、そうと決まったわけでは」とのらりくらりとかわします。事を荒立てないことを第一義にする家康に苛立つように「なれど、再三にわたる上洛の求めを拒み続けておるのであろう!」と追及します。茶々の言葉に安易に乗ることは危険ですし、また家康の本意ではありませんから、家康は横に目を逸らすことで、無表情に受け流します。このあたりの真意の読めない狸芝居、松本潤くんのなかなか良いですね。

 話に乗ってこない家康に茶々は「小田原北条攻めが思い出される」と切り出し「あの時、太閤殿下は御自ら、大軍勢をもって小田原を攻め、見事、日ノ本を一つにまとめられた」とその威光を滔々と語ります。あの場にいた側室だからこそ、使える手口ですが、先代の威光をここで持ち出すのは「内府殿もそうなさったほうが良いのではないか?」、このことです。彼女はあからさまに戦を起こすことを唆しているのです。

 なおも景勝はいずれ来るという楽観論を述べる家康に再度「そんなことでよいのか?また世が乱れでもしたら…心配なことよ」と世を憂う体を装います。彼女の本意は、とにかくこれを機に彼を大阪城から追い出そうという腹づもりであるのは、折からの逆恨み、正月の憎々しげな物言い、そして後半で明らかになる三成への支援などから明らかですね。

 さて二人の間に入った西笑承兌が「謀叛の噂が流れている」として早期の上洛を勧める書状を送ることにします。上杉家老、直江兼続と旧知の仲であるためです。


 しかし、西笑承兌の書状は景勝を激昂させます。そもそも謀叛の疑いをかけられた物言い自体が上から目線であり、景勝の自尊心をいたく傷つけたようです。彼は秀吉には屈したが、家康に屈したわけではないと荒れます。実力では負けていない、その自負が彼に一戦も辞さない態度を取らせます。

 主君の鬱屈を察し「勝手に天下を動かす狸、信用できませぬ。備えをしておくのは当然のこと!」と彼の気持ちを代弁した兼続に「その通り」と肯く景勝は、思いついたように「兼続、そう言い返してやれ!」と嬉々として命じます。これが世に言う直江状ですが、その内容については、後世の書き加えがあるなど諸説があり、はっきりしていません。ただ、直江兼続から西笑承兌の書状に対する返信があり、それに家康が激怒したということのみは間違いないようです。
 そのため、本作ではその内容は、上杉景勝の意を汲んだ兼続の売り言葉に買い言葉の文言を連ねたという随分と子どもじみた程度の低い罵りの文言に格が下がってしまったようです(笑)「天・地・人」の直江兼続(妻夫木聡くん)が知ったら嘆きそうですね。


 というわけで、長々と綴られた悪口に正信は失笑を隠せないわけです。悪口雑言もここまで長々書けたるととは大したもんだということでしょう。しかし、当の家康は、戦にしないための必死の配慮と努力を理解されないばかりか、最悪の形で返されたことに、怒りを隠せず、文字通りわなわわなと震えています。

 真面目で勝気な阿茶は「このような返事をなされては、殿への罵り、嘲りに他ありませぬ。明らかに戦をけしかけておりまする!」と、家康にかわって怒りを露わにします。家康、愛されてますね。そして、阿茶の真っ直ぐさが、逆に家康を冷静な顔にするのも良いですね。続く正信は「上杉は自分が挙兵すれば後に続く者が出ると踏んでおるのですかな。乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性としか言いようがごさらん」と嘲るように揶揄しますが、この台詞こそが、今回、家康が指向した「戦無き世」の政が失敗した理由の最も重要なポイントになると思われますが、それは「おわりに」にて改めて、話すことにします。


 さて、事ここに至っては「最早、成敗する他ないのでは?威信を示さねば国はまとまりませぬ」という阿茶の進言は妥当です。彼女は戦に逸る殿方をよく思わない理知的な女性です。その彼女をしてこう言わしめるのは、家康の「戦無き世」の舵取りが実に微妙なバランスでなんとか保ってきたこと、その切迫した状況を窺わせます。家康の戦をしたくない本意を汲む正信は「相手は上杉。半端な軍勢を差し向けて下手を打てば天下を揺るがす大戦になりかねませんぞ」と警告します。

 二人の謀臣の認識を聞けば、家康も覚悟を決める他はありません。あれほど秀吉の真似はすまいと茶々の前で拒否した関東征伐を行うことは苦渋の選択でしょう。小田原で北条を滅ぼした顛末は、今なお家康の心の傷の一つとして刻まれていることでしょう。
 ですから、やるとなればわしが出陣せねばなるまい。天下の大軍勢で取り囲み、速やかに降伏させる。戦を避けるにはそれしかない」と言います。「速やかに降伏させる」、ここに家康の思いが詰まっています。


 策が決まれば、後はそれぞれの役割を果たすだけです。「願わくは戦場で戦いたいぐらいではございますが、殿のお留守は男勝りの阿茶にお任せくださいませ!」と名乗り出て、後顧の憂いを断つことを願い出る阿茶はカッコよすぎですね。惚れ惚れとします。この場合、留守を預かるというより、他の武将の反乱を覚悟するという意味ですから、撤退戦で殿を務めるみたいなものです。
 因みに阿茶、劇中では描かれませんでしたが、小牧長久手で具足をつけて参陣したとの逸話も残る女傑なのです。ですから、後に毛利、宇喜多、小西が大阪城へ来た際も、冷静に「女御衆を出来るだけ逃せ、急げ!」と、自身の身よりも状況把握と対応を出来たのですね。結局、西軍の人質となってしまいますが、家康が後ろを預けるだけのことはあります。

 阿茶の頼もしい申し出に頷く家康は「後は上方を誰に託すかじゃ」と戦を想定した思案を巡らせます。



(2)徳川勢終結と彦右衛門との約束~夢への前進を信じて

 秀頼に謁見し、会津征伐を正式に進言した家康は、茶々から黄金2万両と兵糧2万石を得、早速、陣触れを行います。会津征伐は、前田玄以と長束正家の二奉行は反対しましたが、今回の話の展開では拒絶するのは当然でしょうね。

 さて、出陣前、家康が息子、結城秀康に期待をかけているところに、大谷刑部が槍を持って参陣します。彼は槍働きで知られた猛将ですから、当然のことで、会津征伐についても「まさに天下の主ともなる人だけのことはある」と高評価だったとされます。その彼は、自軍に治部の三男坊は参陣させ武功を上げさせても良いかと願い出ます。病をおしての出陣は武門の出だというだけでなく、その武功で三成の最出仕の鍵にしようという友人への心遣いも大きく作用しているのがたまらないですね。
 家康はこの申し出に心から喜び「わしはなこの戦が終わったら、政務に戻ってほしいと思うておる」と本音を伝えます。その答えに「治部は日の本にかかせぬ男」と胸を高鳴らせます。

 つくづく、この刑部の心遣いが叶い、家康と共に手を携えられていたら…正確にはそれぐらいに三成が柔軟であれば別の道もあったのではと思いますね。



 さて、出陣前、諸将が居並ぶ中、徳川勢ランウェイが始まります。ちゃんと色分けしている「言うこと聞かん奴ら=徳川三傑」などファッショナブルではあるのですが、完全に戦国のアイドルと化してますね、徳川勢は(笑)最早、生きたレジェンドである彼らの登場にミーハーに成り下がった諸将の声援は単なるファンです…って、これ、放映前日に岡崎で行われた「家康行列」と全然、変わらないのでは…(注:筆者は元・岡崎市民かつ家康行列に参加経験あり)という湧きっぷりです。
 忠勝、康政は良いんですが、直政だけ「井伊の赤鬼」だだけでなく「お美しいのう…」という溜息が入っているのはなんですか(笑)まあ、板垣李光人くんなら当然ですが、初登場時に美少女戦士ぶりも思い出されますね。

 そして、今回、オープニングのクレジットで家康、三傑に続く5番目だった、今回の準主役、鳥居彦右衛門元忠の登場です。かつて、秀吉の下へ上洛した折、「誰だ?」とオチ扱いされていた彼も今では誰もが知る猛将。やはりファンがいるらしく湧いています。

 オチのの渡辺守綱は…まあ、ネタ要因なので…でも、彼は徳川十六神将の中では数少ない家康が死ぬときまで生きていた人ですからね。いつか見せ場があると期待しましょう(笑)



 さて、揃いも揃った三傑に心ならずも戦になったことも含めて、家康は感慨深げに「またこうしてお前たちと戦場が出るときが来ようとはな」と微笑します。

忠勝「俺はこの時が来るときをずっと待っておった」

康政「我らが殿が、遂に天下を取るときがきましたな」

直政「最後の大暴れといきますか」

と家康の天下が訪れることを寿ぎます。彼らは武勇の人たちですから、こうして武門の誉れで堂々と家康が天下を宣言できるようにすることを家臣としてずっと願ってきたのです。小牧長久手では出来なかったことをするという意気込みを感じられますね。

 ただ、豊臣恩顧の諸将の前で、家康が天下を取ると明言しているのは迂闊な気もしますが、まあ、この陣触れに応えた将は既に天下の趨勢が家康にあると世の動きを読んでいる人々なので、多少の発言も聞き流すしかないかもしれません。皆、欲の皮がつっぱてっますから。


 さて、そんな中、彦右衛門だけを「話がある」と呼び出し、サシ呑みをします。

 家康が切り出す話題の最初が「どうじゃあれとは上手くやっておるか?」と千代との夫婦生活なのが良いですね。しかも、腕の立つ間者だった千代だけに家康から「怖いじゃろ?」と冷やかします。こうしたプライベートの日常の話を肴にサシで酒を酌み交わせるのは、古株かつ人質時代を共に過ごした幼馴染の彦右衛門と七之助(平岩親吉)だけでしょうね。

 慌てて彦右衛門「所詮はおなご、言うことを聞かんかったらはばしっとひっぱたたいておりますわ」と強がりますが、家康はすかさず「お前がひっぱたたかれておるのではないか?」と突っ込みます。弱いということではなく、彼の根の優しさをわかって尻に敷かれていると見ているのですね、家康は。夫婦の話をしているようで、実は二人の絆が見えるというのが巧い酒盛りの描写です。


 他愛のない話をしながら、彦右衛門は本題を聞きます。家康が「兵をあげるものがおるかもしれん」とだけ告げるのですが、ツーカーの二人ですから彦右衛門、即座に「石田治部殿でござるか」と察します。
 「無謀でござろう」と評する彦右衛門に家康は「損得では動かん自分の信念によって生きておる。負けるとわかっていても立つかもしれん」と正確に三成の人となりを見抜いています。彼にシンパシーを覚えていたのに、その彼から訣別を言い渡されてしまった家康だけに大谷刑部よりも三成を理解しているところがあるというのが哀しいですね。三成は真の理解者がここにいることを最後まで気づくことなく終わるのでしょうか。

 「信念は人の心を動かすでな…わしを恨む者たちが加わらんとも限らん」とつけ加えられれば、彦右衛門も押し黙るしかありません。信念が人心を動かすことは、徳川家中でも様々な形で観てきていますからね。
 ただし、家康の言い方には含みがあります。文字通り、家康や大谷刑部のように三成の信念に動かされる者だけではなく、三成の信念という純真を己の利益のために利用しようとする輩がいるということも視野に入れています。これまた、瀬名の策に乗ったかのように見せた勝頼あたりが良い例ですね。

 そして、「万が一の場合、上方のか要となるのはこの伏見…留守を任せられるのはもっとも信用出来るもの」と、彦右衛門に決死の役割を与えます。
 他愛ない話でサシ呑みができる数少ない家臣だからこそ、彼に任せるしかない…そんな苦悩を隠して、更に「逃げることは許されん。必ず、必ず守り通せ」と厳命します。
 伏見城は政治の中心でもあり、そのため、晩年の秀吉もそこで政務を執り、家康も西の丸入城まではそこで政務を行っていました。そうした場所が崩壊することは、そのまま天下の大乱を招くからです。そして、頭のいい三成なら伏見城を狙うという確信があるのです。


 事の重大さを悟った彦右衛門は居住まいを正すと「殿のお留守謹んでお預かりいたします」と拝命します。しかし、家康は手勢を割けないという現実と苦悩を申し訳なさそうに言います。「三千で十分」と答える彦右衛門に「少なすぎる…万が一…」と、この酒が今生の別れになるかもしれなくなることを恐れます。

 しかし、伏見城が戦禍に見えるときは、家康が大戦をするときなのは明らかですから「一人でも多くつれていきなされ」と笑い「伏見は秀吉がこさえた堅牢な城」だからと加えます。そして「わしは挙兵してぇ奴は挙兵すれば良いと思うとります。殿を困らせる奴はこのわしがみんなねじ伏せてやります」と、力強く答えます。史実を知る人は、彼の言うとおり「挙兵したい奴」が大挙し押し寄せることを知っていますから、この言葉に少し暗くなりますね。

 その後に続く「まあ、わしは平八郎や直政のように腕が立つわけでもねえし、小平太や正信のように知恵が働くわけでもねぇ。だが、殿への忠義の心は誰にも敗けん。殿のためならこの命いつでも投げ捨てますわい。上方は徳川一の忠臣鳥居元忠がお守りいたします」との言葉も、地味な彼の果たした役割を思わせますね。そして、この役目が命がけと分かるだけに「殿にお仕えして50年…あの泣き虫の殿がよくぞここまで…」と涙ぐんでしまいます。


 泣く彦右衛門に家康が「やめよ」と止めるのは自分も辛くなるからです。言われてつい「そうですな、めそめそするとまた千代にひっぱたたかれる」と本当のことを漏らしてしまうのが良いですね。「やっぱりひっぱたたかれておるではないか」と突っ込みで二人の間に笑顔が戻ります。二人ともこの笑顔が最後になるかもしれない可能性をわかっていて笑顔でいるのです。
 この時点で三成の挙兵があれほどになるとは家康も思ってはいませんが、万が一の不安が拭えず、彦右衛門もそんな彼の思いがわかってしまう。その上でのやり取りなのです。


 そして再び向き直ると「殿、宿願を遂げるときでございますぞ。戦なき世を成し遂げてくださいませ」と万感の一言を家康に伝えます。そう、彦右衛門は瀬名が自刃したあの日、あのとき、あの場所にいた一人です。しかも彦右衛門があの日、受けた命は瀬名を無事、逃すことでした。しかし、彼女の強い意思に逆らうことができず、結局、一番近い距離で彼女が死ぬ姿を後ろから見守ることになります。あのとき、彼は何も出来なかった無力感から膝から崩れ落ちたんですよね。
 あの落胆を彼が忘れたことはないはずです。千代とのことも、言葉にせずとも瀬名のことはどこかで通じている部分があったでしょう。彼もずっと家康と同じ思いを共に抱えていたのですね。それが分かる一言なのです。ずっと「どうする家康」を見てきた人だけにぐっとくる台詞でしたね。




3.暗雲立ち込める会津征伐

(1)三成、純真さゆえの愚かさと罪深さ

 佐和山の三成は、星空の元、改めて「私と家康殿は違う星を見ていたようで」と家康との訣別を思い返しています。彼にとっても家康との訣別はおそらく辛いものとして残っていたのだと察せられます。何と言っても、同じ星を見ていると錯覚させたただ一人ですから。おそらく蟄居し始めて、幾度となくこの訣別の瞬間を繰り返してきたに違いありません。そう簡単に割り切れるものではなかったのです。そこまでに思いながら、家康の真意が全く通じていないところが絶望的な三成です。そして、具足と向き合い、彼はいよいよそれを断ち切る決意をします。


 別室で待っていた刑部は、誰かが表れたの察し「用意はできたか三男坊?」と聞きますが、表れたのは具足姿の三成。全てを一瞬で察し即座に「やめておけ」と言うのが流石は友です。しかし、首を振った三成、静かに、しかし力強く「今しかない!」と断じます。このままでは、これまでの苦労が泡、三成の才を信じるがゆえに「無理だ!内府殿は、お主を買っておる。共にやりたいと申された」と家康の真意まで伝え、懸命に止めます。

 しかし、既に思いを断ち切った三成に迷いはありません。「徳川殿は当代一の優れた大将と思うておる…」と万感の思いを込めた上で「だが信じてはおらん!」と言い切ります。そして「殿下のお決めを次々と破り、北政所を追い出し西の丸を乗っ取り、抗う者はとことん潰して、政を思いのままにしておる」とその罪を並べ立てます。家康の真意が分かっている刑部は「天下を鎮めるためであろう」と返しますが、「いや、全ては天下を簒奪するものなり」と明言し、突っぱねます。


 ここはあきらかに刑部が正しいのですが、秀吉の遺命を守る原理原則こそが世の安寧を守る第一義と考える三成には、破っていること自体が謀反の証であるため、まったく理解しようとしません。彼は、あのとき家康を信じた自分の直感が間違っていないことに気づかず、ずっと何故、家康を信じてしまったのかと自分の愚かさを自問自答していたのかもしれません。だとすれば、問いが間違っていますから永遠に答えは出ません。

 そももそ、極端なことを言えば、ご遺命が全てであるなら、10人衆はご遺命に反しているか反していないかを決める機関でしかないんですよね。合議制などいらない。思考を秀吉に預けて停止してしまっている三成にはその矛盾に気づくことができません。ですから、現状がただただ家康の野心の結果にしか見えず「野放しにすれば、いずれ豊臣家は滅ぼされるには相違ない。それでいいのか?」と同じく豊臣恩顧である刑部に反対に翻意を促します。
 その後の歴史としては、三成の言っていることは間違っていなくもないですが、それは家康だけでなく、茶々や大野治長、そして何より成人した秀頼の選択の結果であって、家康の一存でそうなったのではありません。ですから、この時点では言いがかりです。


 そして、致命的な一言は「家康を取り除けば、殿下のご遺言通りの政がなせる。今度こそ我が志を成してみせる」との言葉です。どうやら、「私は間違ったことをしておりませぬ」と自分の信念を曲げない三成は、蟄居してなお自身が混乱を収められなかった理由が全くわからないままでいるのですね。愚かな七将を家康が私欲で庇ったから、自分は政争に破れたのだと信じているのでしょう。

 諸大名が何を求めているのか、人並みの我欲とは縁遠い三成にはそれがわかっていません(秀吉の遺命通りの政は彼の欲望ですが、それは自分のためではなりません)。だから、数々の失策をし、七将を怒らせてしまったのです。例えば、戦場のしくじりの件も「不問と致します」などと言わず、「全ては軍目付のそれがしが責任を取ります、ご安心くだされ」であればどれだけマシであったか。
 人心とは秀吉の遺命でつかめるものではありません。それを運用する人の心がけ、心配りなのですね。家康はそれを言ったはずですが、彼はそれを今なお理解しようとしません。


 だから、家康を除けば志が果たせるなどと安易に言えてしまうのです。実際は、事が成せたとして、家康に代わろうとする者が数多現れるだけ。寧ろ、家康以下で同程度の実力の大名同士が鎬(しのぎ)を削る、戦国時代へ逆戻りすることでしょう。その点から見れば、彼の将来に対するビジョンは近視眼的とも言えます。世界貿易で国を富ます考えまで耳を傾けている家康とでは見えているものがもう違っていますね。ただ、秀吉の生きていたあの時代に戻したいだけですから。

 それを象徴するように「刑部、正しき道に戻そう」とかき口説きます。理屈だけでは通じないと思った刑部は「我らだけの手勢で何ができる」と現実を見ろと返すのですが、「奉行衆と大老たちをこちらにつければ勝てる」と宣言し、床の下から黄金の詰まった木箱を取り出します。尋常でない量に「どこから出た…まさか大阪?」と…彼の背後で彼の信念を弄び、唆す黒幕が茶々であることに気づきます。もしかすると彼だけは正確に、この先、予想以上の長きにわたる大乱が起こることに気づいたかもしれません。

 驚く刑部を前に、三成は彼の飲みさしの茶を一気に飲み干し「移して治る病なら私に移せ!」と自分に全てを預けるよう恫喝します。この話、軍記物では有名で、業病に罹患することも厭わずに飲んだ三成に感動した刑部が、三成への強力を決心する美談として語られますが、この場面のそれは、意思を曲げない三成の頑なさを友人に強要するという三成の愚かさになっています。
 余命幾ばくもない刑部は、説得を諦め仕方なく無二の友の骨を拾う決意をしたようにも見えますね。彼は家康の天下人としての力量を理解していますから。そして、黒幕が茶々と分かったことも空恐ろしく感じているかもしれません。そこから三成を守ってやる必要もあるからです。



 こうして、毛利輝元、小西行長、宇喜多秀家、三奉行らを引き入れた三成は大阪城に集結を果たし。哀れ阿茶たちは囚われの身となります。そして、その報を聞き、あまりの急展開に驚く伏見城の彦右衛門も「子細を集めよ、戦の仕度をせよ!」と命じます。家康の案じていたことが予想以上の形で始まったからです。そして、そんな彼の側では「急げ!」と下知を飛ばす千代が控えています。いよいよ千代もその半生に報いが来るときでしょうか…彦右衛門と枕を共にして鮮烈に散るのか。彦右衛門が彼女を逃し、家康のもとへその死を伝える使者となり、生き延びるのか。この夫婦の顛末も気になりますね。



 そして、秀頼の前で謁見した一同は、家康の悪行を並べ立てます。ここで語られたことは「内府違いの条々」として各大名に送付され、全国を巻き込む原因となっていきます。その糾弾内容は、会津征伐と秀吉の遺命破りの数々ですが、劇中で家康のしたことは描かれていますから割愛します。

 三成らの決意を聞いた茶々は、彼の盃を取らせると「逆賊徳川家康を成敗いたす」という誓いをかわさせます。それを見届けた上で、本当の黒幕、茶々は自身もその盃を飲み干します。が、彼女自身が胡乱な動きをする中、こんな固めの盃など何の意味も持たなのですが、ただ、三成だけはこれで茶々の意のままに動くでしょう、彼は、自分は豊臣家の意向で動いていると信じ切っていますし、茶々の真意が何かなど疑うこともありません。



(2)戦を避けるつもりが戦を招いた家康の政

 三成挙兵の報自体は予測していたものの、それに組した諸将の多さ、そして全国に撒かれた「内府違いの条々」…その周到な準備と迅速な展開に徳川勢は青天の霹靂とてんやわんやです。「わしは逆臣に仕立てられた…」という家康の呆然とした物言いには、自身の「戦無き世の政」への努力が全く実らなかったことへの挫折があるのかもしれません。

 

 この異常事態に「そもそも上杉と謀っとったかもしれん。我らは罠にはまったんではないのか」と訝ります。忠勝の言う景勝と三成による家康挟撃説は、昔から言われていますが近年では、二つの出来事が同時期に起こったことは偶然と否定されています。大体、挟撃するにはあまりにも距離がありますね。ですから、忠勝にこれを言わせた上で直政が「いや、この間まで、このような動きは認められなかった」と言わせて、近年の説が採用されたことを確定しています。直政は徳川家の中では外交関係を担当していたので、諸将の動向に詳しく、この台詞は彼が一番妥当です。

 ただ、問題はその後の「わずか一月足らずの間に何かが起きた」とう一言です。三成については家康が気を配っていましたから、この「何かが起きた」は、三成の手によるものではありません。ですから、直政の指摘は三成の挙兵には裏があると言っているのです。そして、直政の直感は当たっているのです。茶々が三成に与えてあった軍資金が活用されたことで、急速に三成側は戦力を整え、勢力を糾合することができたのでしょう。


 その直政の指摘の直後に、大阪の茶々からの書状が届くのは意図的な演出ですね。これから起きる関ヶ原合戦を掌で操ろうとしている黒幕は茶々であることを視聴者に明示しています。そして、その茶々の書状は…「治部が勝手なことして恐くてたまらないから…何とかしてほしいと…」と言う者です。逆臣に仕立てられたと思っていた側から茶々から大義名分が届いた家康は、茶々の言葉を皆に伝える側から、半笑いになります。


 茶々のこの書状は史実どおりですが、通説は彼女の生き残るための風見鶏的処世術と見られるのが常です。しかし本作では家康、三成双方の戦を煽る暗躍という解釈にするようですね。しかし、そもそも、茶々は家康憎しで三成の反乱をお膳立てをしておきながら、何故、家康にこのような書状を送ったのでしょうか。

 理由はいくつか考えられます。一つだけ披露するなら、お市が北ノ庄城から送った救援要請を暗示するような書状を送り、家康の気持ちを抉り、今度こそ自分のもとへ家康を救援に来させることでしょう。当然、これは怨念からの復讐です。そして、その過程で徹底的に苦しみ抜いてもらうことも重要でしょう。家康ほどの相手、ただの大名では簡単に倒せてしまいます。
 ですから、三成に援助し、後に西軍と呼ばれる最強の敵を用意するのです。結果、家康が勝って、自分のもとに来るならよし。負けて三成が残っても自分の意のままであるから、それはそれでよし。というところでしょう。

 何が何でも彼女は家康を、そして男性たちを屈服させたいのです。その欲望を叶えるためなら何でもする彼女の心底にあるのは、戦を招く男たちそのものへの憎しみがあるのかもしれません。実父も母も死なせ、自分を秀吉の側室にしたこの世の中への絶望…それを齎した男たちを徹底的に滅ぼす狂気にかられているかもしれませんね。もしも、そうだとすれば、恐ろしくも哀しい狐です。


 虚ろに笑った家康に正信は「とんでもない大戦になっちまいそうですな」と、その努力が無力が報われなかったことに揶揄でもなく、皮肉でもなく、困った現実がそこにあることを示します。そう、家康が散々、努力したい「戦無き世」の政は、自身が多くの敵を作ることで結局、大戦を招くことになるのです。自分のしでかしたことに、家康は虚ろに笑い続けるしかありません。

 嫌われる覚悟をしたはずなのに何故、こうなったのか。このことです。そして、女狐と分かっていてそれに乗らないようにしたはずの茶々に翻弄されている可能性にも気づいたことも加わっているかもしれません。それについては「おわりに」で考えてみましょう。



おわりに

 今回、正信は上杉景勝について「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」と嘲りましたが、これは景勝に限ったことではなく、家康を除くほぼ全ての戦国大名を指しています。

 秀吉はかつて「日ノ本を一統したとて、この世から戦がなくなることはねぇ」と断言し、そして唐入りを始めた表向きの理由も「戦がなくなったら武士をどう食わしていく」だったことを思い返しましょう。何故、秀吉はそう思ったのかと言えば、弱肉強食が戦国の論理だからです。そして、その論理に極めて生きてきた戦国大名たちは「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」を持つ者たちです。
 それは、信長も秀吉も同じです。戦嫌いの家康ですら、その理屈に翻弄されてきましたし、瀬名に貧しさを解消する方法を問われたときに「他国から奪うしかない」と答え、瀬名に即座に否定されています。


 自身が欲望の怪物だった秀吉は、弱肉強食の戦国の論理を体現した存在として天下一統を果たしました。しかし、一方でそれしか知らないし、それしか指向できない秀吉は戦国の論理に代わる「戦無き世」の論理を見出すことが出来なかったのです。
 だから、彼は唐入りという戦線拡大策しか思いつけなかったのですね。それが秀吉の限界であり、また秀吉の天下一統が戦国時代の延長線上でしかなかった、仮初めの平和の実現にしかならなかった理由です。

 秀吉というカリスマで戦を抑え込んでいたに過ぎないのです。そのタガが外れた瞬間、また彼らは己の「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」を発動させるのです。だから、戦国大名の乱世思考を完全に転換させないと、「戦無き世」は実現しないのですね。家康はそれに気づくことなく、一度できた平和を維持しようとしたから失敗したのです。


 しかし、家康に可能性があるのも事実です。ここで酒井左衛門尉忠次の言葉が思い出しましょう。彼は家康の「信長にも秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか」という不安に「殿だからできるのでござる、戦が嫌いな、殿だからこそ」と断言しましたね。そう、戦が心底嫌いだと願う家康、「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」が完全に染み込むことなくいる家康だけが、この性を変えることができるのです。しかも、皮肉なことにそれを無理やり、強制的に成すことができる武力と権力を持っているのです。

 そう、忠次の「嫌われなされ」とは、全力で「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」を発動させ、完全に他の戦国大名たちを改めて平らげて、その方法で彼らの性を捨てさせ、「戦無き世」へ思考を変換させることなのです。つまり、自身が乱世の武士を体現して頂点に立ちながら、他にはそれを捨てさせるのですから、嫌われて当然です。
 皮肉なことに彼自身が一番なりたくないことをしなければいけない。最強最悪の戦国大名として武力と謀略をもって、天下を平らげるのです。彼が狸になるしかない本当の意味は、その哀しみを隠すことにあるのかもしれません。


 石田三成も、「乱世を生きてきた武士が骨の髄まで染み込んだ性」がない人です。だからこそ、彼は卑しい私利私欲はありません。名誉も金も関係はなく、ただただ豊臣の社稷に殉じようという人物です。それゆえに、他の戦国大名たちの野心が理解できず、その落としどころも見いだせず失敗しました。しかし、三成にはもう一つの問題があります

 それは、純真無垢であり、それを誇りとするがゆえに、信念の実現のため、自身が信念を裏切る行動をすること、自らが堕ちることができないことです。誰に理解されずとも、その泥をかぶり、汚名を着ることが出来る発想が彼にはないと言ってもいいでしょう。だから、彼の政は豊臣家ありきから抜け出せない、三成の理想は、秀吉の遺命を破壊した先にあることにも気づけないのです。秀吉が期待をかけたくても出来ないのは、三成のそういう純粋さだったのでしょう。


 今回の家康は、秀吉が成した天下を維持するために「戦無き世」の政をしたために周りとの軋轢を生み、多くの敵を作ってしまいました。実は秀吉から天下を引き継ぐということは、そんな甘いものではなかったのです。家康の理想は、秀吉の広めた価値観を完全に潰し、地ならしした場所にしか築けません。そのためには彼自身が力ずくで頂点に立つ、つまり大乱を収めることが必須なのですね。

 だから、信長は「お前に覚悟はあるか」と問い、秀吉は「天下はどうせおめえさんに獲られる」と言い、利家も「貴公は…腹を括るしかないかもしれん」」と背中を押したのです。今、天下を勝ち取る力を持ち、「戦無き世」のビジョンを持つのは家康しかおらず、彼がやる以外の道は残されていないのです。そのことに今更、気づいてしまった家康は、ようやく本当の意味で天下人の苦悩と孤独を知ったのでしょう。

 最後の虚ろな笑いは、自身の「戦無き世」のための政がかえって大乱を招くという皮肉な因果に対しての無力と自虐、そして、天下人への道の余りにも過酷な試練への絶望感が込められているのではないでしょうか?
 自分が招いた大乱を、戦国最強最悪の武力と謀略の戦国大名として収めることこそが、「戦無き世」の実現するため避けては通れない、自分のかぶらねばならない汚名…天は何とも皮肉な宿命を家康に用意したものです。しかし、瀬名や信康が、数正が後世にかぶる汚名を考えれば、彼もそれを受け入れるしかないでしょう。

 しかし、先に逝った同時代の仲間たちはとんでもないものを家康に託してくれたものです。これもまた家康の人徳なのでしょうけど(苦笑)
 なんにせよ、三成が「物事に清濁があることが許せない性質のまま」であるのに対し、家康は「物事の清濁を飲み干す覚悟」をしています。この差が、関ヶ原合戦で大きく作用するのではないかと思われます。

 最も戦が嫌いな家康が関ヶ原合戦で天下を取り、その後、大坂の陣を起こし天下を確実にすることは最早、必然でしょう。そう考えると、景勝の挑発、三成の挙兵という結果は、家康の本意ではありませんが、皮肉にも彼の理想に賛同しない者を炙り出したという点ではプラスでもあります。
 実は大乱を招いたのは家康ですが収めればその罪は三成です。そして、戦国の論理に乗っ取った形で天下人になり、ようやくそこから自分が考える「戦無き世」の道へ歩めます。こうなれば、誰も文句を言うことはありません。
 ただ、心優しい家康にとっては、そこまでの道のりは本当につらいことになりそうですね。まずは、来週、幼馴染みの死を受け入れねばなりません…


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