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「どうする家康」第30回「新たなる覇者」 信長の分身としてのお市と時代を取り込む秀吉の才覚

はじめに

 第30回は、秀吉の剥き出しになった本性、欲望を満たすための権謀術数の巧みさを余すことなく見せ、彼がタイトルどおり「新たなる覇者」となるまでを描いた秀吉の回でした。
 清州会議、賤ヶ岳の闘い、北之庄城落城といった有名エピソードを一気に畳み掛けるように描いたことで、秀吉の恐ろしさはより際立ちました。山田風太郎「妖説太閤記」のごとき魅力的な悪漢ぶりは、大河ドラマでは異色かもしれません。

 一方でその犠牲となるお市の方の峻烈さも、信長譲りの具足を纏う男装の麗人の姿と相まって強く印象に残ったのではないでしょうか?
 一概に言えば、賤ヶ岳の戦い&北之庄城落城は、秀吉と柴田勝家による、次男信雄と三男信孝の代理抗争です。ヤクザの若頭同士の跡目争いとでも言うような仁義なき戦い、かなり男くさいものです。
 その抗争を、織田家を守るお市の仕掛けた戦いとし、家康との幼き頃の約束と絡めたところに本作のオリジナリティがあります。

 それでは何故、秀吉とお市を対比させる形で何を描こうとしたのでしょうか。そこで今回は、秀吉が覇者となっていくプロセスを追う中でお市がどういう役割を果たしたかについて考えてみましょう。


1.秀吉の本性を警戒する家康とお市

(1)秀吉の台頭を許した信長の統治システム

 前回からオープニングのタイトル前のクレジットで家康の次に並ぶのは、直政以外の徳川四天王になっていることにお気づきでしょうか?彼らとの結びつきが物語の推進力になっていくことになるのでしょう。そこに直政が入っていないから「これから」の人材だからですね。

 ただ気になるのは、宿老、石川数正だけは既にクレジットが別扱いになっていることです。今後の彼の立ち位置の変化が暗示されています(次回予告編にもその予兆が…)。


 さて、冒頭は、秀吉による明智討伐の手際の良さについて、家康と忠次との会話ですが、注目すべきは「何もかもお見通しだったようですな」との一言ですね。
 第26回の秀吉との鷹狩りの密談の時点で、彼が家康の謀反の意思を察していました。にもかかわらず、それを防ぐでもなく、寧ろ、信長の謀殺を願い、その後、すぐ動けるよう、毛利との和睦も準備していたくらいです。本作の秀吉は、ただひたすらそのときを待っていたのです。一点、予想外だったのは、その謀叛を起こしたのが、光秀だったことくらいです。

 ただ、「やった奴がバカを見る」(秀吉)謀叛をやる人間が変わっても、秀吉が謀反人を討つというシナリオには変わりありませんし、どのみち出世のライバルだった光秀を排除することは秀吉にとっての既定路線。早いか遅いかの差しかなかったでしょう。つまり、概ね、この一件は、秀吉の青写真どおりに進んでいるのです。

 無論、家康と忠次は、秀吉の目論見を知る由はありませんが、知らない忠次にすらこう思わせる一言が、秀吉という人物の底知れない恐ろしさと深謀遠慮を窺わせます。だからこそ、家康もまた「何せ秀吉だからな」と応じ、その動向に目を離さぬよう命じることになります。そもそも、家康は当初から嫌味な態度を取られ、金ヶ崎でハメられるなど煮え湯を飲まされるような経験をしていますから尚更です。


 そして、その油断ならぬ秀吉の次なる一手が、清州会議です。清州会議は、織田家の家督と体制の決定と織田家領地の再配分が目的とされた会議だったと言われています。

 信長の嫡男信忠の嫡男、つまり信長直系の孫である三法師(後の秀信)が家督を継ぐことは、最初から決まっていた、この会議で決まったなど諸説ありますが、本作では通説どおり、幼い三法師をあやし手なずけた秀吉が彼を抱え、他の三人、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興といった宿老たちが平伏する形で体制が決まっていくと察せられる様子に描かれました。
 つまり、体制こそは、宿老四人の合議をもって物事を決めることになっているものの、秀吉主導で事が進められることを意味しています。

 ですから、この場にいない次男信雄、三男信孝を外していく体制について「織田家をないがしろにすることでは?」と忠臣勝家は口を挟むのですが、秀吉は三法師を盛り立てていくことは「明智を討った者の役割と心得ておる」と自身最大の武功を盾に勝家を見下ろし、一蹴します。更には、丹羽、池田の双方も口々に秀吉への賛同を口にしたため、勝家は黙るより他ありません。

 短いやり取りですが、秀吉と筆頭家老である勝家の立場が、完全に逆転してしまっていることが分かりますね。これは、秀吉が光秀を討つという仇討ちの武功によって、織田家領地の再配分で最も多くの領地を獲得し、勝家を陵駕したことが大きく作用しています。まして、本作の織田家は、徹底した能力主義による武断統治が政治の基本です。秀吉は「力を示した者が、より多くの果実を得る」という織田家のシステムを最大限に利用し、合法的に乗っ取りを進めているのです。

 また織田家の徹底した能力主義による武断統治がこれまで体をなしてきたのは、二つの理由があります。一つは、「何でもお出来になる」(家康)ほど圧倒的に卓越した異能者信長の実力とカリスマです。彼は織田家の統治システムの要であり、象徴でした。彼を目指して、皆が切磋琢磨する、その果てしない上昇志向が織田家の発展を支えてきたのです。

 そして、もう一つの理由は、家臣たちの功績を結果によって正当に評価することで、領地を始めとする富を分配してきたからです。つまり、それは、家臣たちの欲望をシステムによってコントロールしてきたということです。本作では人品卑しく描かれる秀吉や光秀が、譜代の家臣を差し置いて出世できたのも、長年の宿老である佐久間信盛があっさり見捨てられたのも、このシステムの結果です。岡田准一くん演ずる信長が敷いた統治は、忠節や義侠心を第一にはしていません。

 つまり、信長ありきのシステムなのですから、その信長が横死すれば一つ目の理由自体が崩壊し、システム全体が瓦解に向かうのは必然でしょう。残るのは、成果を上げた実力者が、他の者たちが納得するように富を分配することです。仇討ちの中核をなした秀吉に鉢が回るのは当然です。

 丹羽、池田の反応から窺える秀吉への恭順の姿勢は、秀吉が彼らに十分な利益を約束していることが窺えます。例えば、池田恒興に対しては、合流したときに秀吉の養子秀次と娘の縁組、次男を秀吉の養子にするという約束をかわしています。山崎の戦いを始める前に、こうした縁戚関係の構築を始めているのは、秀吉が既に合戦後のことを考えていることを示していますね。


 このように対勝家対策の根回しを十全にした上で清州会議は行われています。現実の国際会議でも本会議よりも、その前に行われるロビー活動のほうが重要だったりしますが、それと同じことです。以前の記事でも触れたとおり、秀吉、光秀は、今後の織田政権を支える新しいタイプの知将ですから、こうした調略はお手のものです。光秀亡き今、仇討ちの武功を上げた知恵者の秀吉に対して、武骨な忠義と義侠心だけが取り柄の勝家では、なす術がないのです。
 言うなれば、信長の敷いた統治システムが、秀吉という化け物を生むことになるのです。

 因みに描かれませんでしたが、史実では、次男信雄(仇討ちに不参加)、三男信孝(参加したが手勢がわずか)といった信長の遺児たち、そして家康(不参加)すらも清州会議の決定に委任して、それに従う形で誓紙を交わしています。実質、家康は秀吉の在り様を傍観するしかなかったのですね。


(2)お市の対抗策

 こうした秀吉が織田家を乗っ取ろうとするあり方に意義を唱えるように提示されたのが、勝家とお市との婚姻です。近年、この婚姻は秀吉と勝家が申し合わせたという書簡が見つかっており、清州会議における勝家の不満のガス抜きとして秀吉が認めた可能性を指摘されています。本作でもそれを受けた形で描写されています。ただし、秀吉の胸中は決して穏やかではありませんが、それは後述します。


 劇中では、勝家が秀吉に「筑前、実は…」と婚姻について切り出そうとする瞬間にお市と娘たちシーンへ転換します。このことは、言い出そうとした婚姻の主体が勝家ではなく、お市にあることを暗に示しています。

 さて、お市は次女の初、三女の江の二人に、本当は徳川様にお輿入れするはずだったというのは本当かとニヤニヤと問いかけます。他意はなく、母の初恋の恋バナを聞きたいだけのオマセでしょう。笑って軽く否定するお市ですが、それでも初恋物語にときめく娘二人は、もしも初恋が叶ったら自分たちの父は徳川様だったかもと盛り上がります。
 そんな妹二人を「つまらぬことを言うな!」と強く𠮟りつけるのは、長女の茶々です。そして「我らの父は浅井長政ぞ」と強調します。父長政が亡くなったのは、彼女が数えで5歳のときです。妹二人と違い、父親に可愛がってもらった記憶が強く残るまま、死別したのでしょう。家康を父上だったかもと喜ぶ幼い妹たちを𠮟りつける有り様に父、長政に対する憧憬が窺えますね。死別していなくなったからこそ、かえってその憧憬は強くなっていったのかもしれません。父をはっきりと覚えていないかもしれない妹たちとは違うのしょう。



 そこに勝家と秀吉がやってきます。二人の婚姻に「話は権六から聞きました」と殊勝に礼をしますが、その顔は無表情です。後半の北ノ庄城攻めで分かりますが、秀吉はこの時点でお市を戦利品として側室にする腹積もりがありました。それが、勝家の申し出で頓挫したこと自体が面白くないでしょう。

 そして、頭の良い秀吉のことです。この婚姻が勝家の発案ではなく、お市のものであり、それはとどのつまり、自分の野心を砕く対抗策だということも分かったはずです。というのも、諸説あるものの当時の勝家は少なくとも50代半ばですから37歳のお市とはかなりの年の差婚。したがって、織田家筆頭家老という立場と婚姻関係を結び、その地位に箔をつけたという利害関係が容易に思いつきます。

 実際の勝家とお市の婚姻の理由は定かではありませんが、本作ではお市が平手打ちするほどの欲望の権化たる秀吉が織田家を蹂躙することへの明確な危機意識と敵意があります。加えて言えば、この敵意を、貧民出身の秀吉はコンプレックスから自身の身分に対する嫌悪と受け取るでしょうから、秀吉のどす黒い感情は更に渦巻き、その思いは相手である勝家への憎しみへとつながるでしょうね。


 とはいえ、ここで反対してお市や勝家を怒らせることはせっかくまとまった会議の内容が反故にされてしまいます。勝家、いや特にお市のガス抜きとして、これを認め、恩を売ったほうが得策です。
 だから、秀吉は一転して「めでてええことだぎゃ」「あー、お似合いだわ」「まるで昔から夫婦だったみたいだ」「姫様方も父上ができてようございました」と空々しいまでに祝辞と麗句を連ね、跳ねまわります。この男は負の感情が強くなればなるほど、それを陽気な振る舞いと道化じみた態度でそれを覆い隠しますが、当然のことながら、台詞と顔つきとは裏腹に目が全く笑っておらず、心が籠っていないのは明白です。空虚な言葉が上滑りしていく様は、ムロツヨシさんの目が笑わない秀吉の真骨頂です。
 更におためごかしを言いながら、茶々たち娘らの品定めをしている漁色家の目線が、たまらなく気持ち悪いですね。対する、茶々は冷ややか、そして初と江が胡散臭いものを見るような目つきです。欲の深いものたちは、秀吉のこうした社交的な姿に騙されますが、特に利害のない彼女らはその純真ゆえに秀吉の嘘くさい猿芝居は通じないのかもしれません。無論、勝家とお市も、その猿芝居を受け流します。


 そして、もしかすると秀吉は、このとき、明確に勝家を亡き者にすることを決めたのかもしれません。お市を自身の側室にするには、その方法しかありませんから。その意味では、お市は勝家を死出の旅へと誘ったことになりますが、勝家には後悔はないでしょう。若い頃からお市にずっと憧れ(第4回)、そのためか正室を一度も迎えることなく老境となった勝家にとって、お市から信頼され、形ばかりでも婚姻を結ぶのは望外の喜びだったはずですから。まさに「老いらくの 恋は怖るる 何ものもなし」(川田順)といったところでしょう。



(3)お市との共闘を見据えた家康の天正壬午の乱

 さて、清州会議の結果を評定の場で受けた家康と家臣団は、勝家×お市の婚姻について「お市さまから仕組んだ」とその意図を正しく理解します。織田家に迫る秀吉の魔手を感じ取るがゆえに不満の表情を隠さない忠勝に、家康は意見を促します。言いたいことが言える徳川の評定の風通しの良さは、腹芸ばかりの清州会議と違い清々しいですね。果たして忠勝は、そもそも家康が明智を討っていればこんなことにはならなかったと忸怩たる思いを吐露します。そして「何故モタモタなさったか!」と詰め寄ります。

 しかし、家康は「我らにやることは他にあると思ったからじゃ!」と即答し、滝川一益ら信長の家臣が治めていたが信長の死により動揺している旧・武田領(信濃・甲斐)を治めること、そして、その領地を狙う後北条氏を抑えることについて話します。康政が、信長が死ねば乱世に逆戻りすると家康の信長暗殺計画を危惧したとおり、早速、旧・武田領は混乱を始めています。ここにも信長という要を失った途端に崩壊するその武断統治の脆弱さが見えますね。

 


 ところで、史実的には、伊賀越えからの帰還直後に家康が行ったことが、密かに領内に匿っていた武田家の遺臣を召し出し、甲斐にいる甲斐の国人衆を徳川方に帰属させる工作を行うことでした。また、穴山梅雪の死後、弱体化していた彼の支配地域に城を普請するなどして、穴山衆を従わせるなど様々な調略を行っています。

 そして、甲斐の国人一揆によって織田家家臣が敗走したのを見届けて、実行支配に動き出します。この行動について、家康は秀吉に連絡を取り、清州会議の席上でその容認を得たとされています。つまり、家康が清州会議の決定に委任し、傍観に徹したのは、自身の旧・武田領を手中に収める計画を認めさせる必要があったからです。


 「どうする家康」では、後北条氏への対抗策としての出陣が強調されていますが、これはまごうことなく野心です。家康は、信長暗殺を諦めた際に自分自身の覚悟の無さと天下取りのための実力が伴っていないという自身の未熟さを悟っています。だから、彼は「待っててやるさ」という信長との果たせなかった約束を守るため、大局的な視野に立ち、自分の力をつける地固めを優先したのです。
 秀吉とは全く別の志ですが、家康もまた天下取りに向けて動き出したのです。そして、それは秀吉と対峙したときの力になり、また足元を掬われないための最善の策でもあるのです。それゆえ、家康は「秀吉は一先ず、お市様にお任せして」と述べ、将来的なお市との共闘のためにも信濃と甲斐を切り取り、治めることを宣言します。



 主の深謀遠慮を理解し、そして天下取りの野心を失っていないことに満足した忠勝は、「そういうことならばお任せを!」と力強く宣言すると、命令を下そうとした家康を差し置いて、家臣団を鼓舞し、テキパキと支持を与えます。他の家臣らも主を差し置くその様子に戸惑いはするものの「おおッ!」と応じて動き出します。
 美味しいところを持っていかれて、気持ちの落としどころを失ってしまった家康の「あー…まあ、いいか、みんな、やる気になっているし」という諦めに似た表情が、なんとも良いですね(笑)

 また、いよいよ月代になり大人になった直政を「万千代」呼びでからかいまくる家臣たちもおかしいですね。一生懸命な若さが昔の自分たちのようなのでしょう。伊賀越えを経て、吹っ切れた徳川家臣団の余裕と充実が上手く表現されています。今の徳川家は、それぞれがそれぞれの役割を理解し、機能的に動いていける集団になりつつあるようです。困難な戦いを乗り切ることができる、そういう自負が彼らに見えます。信長の命でずっと最前線で戦ってきたからこそ、この力を手に出来ているというのが少し皮肉ですが。

 こうして、家康は徳川家の東国支配の要となった天正壬午の乱(若御子対陣)へ突入します。この戦は家康が力をつける上で重要な戦いであり、また家康の知略が活きたという意味では最も華々しい戦かもしれません。



 場面は変わり、戦の喧騒とは無関係に鷹匠として鷹の世話をする正信の元へ於愛が「イカサマ師殿」「北条を戦となりましたぞ」と呼びかけ、戦の準備をしないのかと問います。しかし、「某は鷹の世話係でございますゆえ」とつれない返事。何度も「ホーウ!ホーウ!」と飛ばした鷹に呼びつけますが、鷹はガン無視。鷹匠としての才が疑われるところで、於愛は「殿は、そなたを戦に連れていくつもりじゃ」と促します。が、これにもまた桶狭間の戦いで痛めた古傷が…と言い訳を連ねつつ、鷹には業を煮やして鳥笛を吹くのですが、鷹はぐんぐんと飛び去っていきます…於愛の「あっ、行ってしまわれた…」の一言の後の微妙な空気が可笑しいですね。


 正信が帰参当初、鷹匠として仕えたことは『三河物語』によるものですが、本作ではその腕前は大したことがないようです。無能ぶりを晒した正信、遂に耐えきれず、「そこまで殿が仰せなら、お供せねばなりますまい。今、参りますぞ、殿!」と逃げ去ります。
 於愛は、正信の天邪鬼すらいなして、結果的に本音を引き出し、家康の元へ行かしてしまいました。策士も形無しですね。
 そんな自分のしたことに特に自覚もなく、興味本位で試しに自分が「ホーウ!」と鷹を呼んでみるのが於愛らしい。ここで暗転してしまうので、結果は映りませんが、バサバサッと効果音入ったので、鷹は彼女の呼び掛けに応えたんでしょうね。鷹にも正信のずる賢さと於愛の真心の違いが分かったのかもしれません。


 ただ、二人は共通している点があります。それは、役割が道化であるということ。於愛はその天然ぶりとおっちょこちょいから、人を癒し包み込むおおらかさとして周りを笑顔にします。
 逆に正信の惚けた振る舞いは、時に人を欺き、からかい、煽り、唆し、それでいながら他にはない視点と考えをもたらし、物事を成功に導きます。
 一見、両極端の二人が邂逅し、惚けた楽し気な雰囲気を醸し出してしまう…このことは、家康には正信の狡猾さも於愛の人を癒す大らかさもどちらも必要であることを暗示しているのでしょう。
 要は適材適所。正信もまた、家康のため、自身に相応しい居場所へ行かずにはおれないのです。



 新府にて陣を構える家康は、直政と共に敵陣の大軍ぶりを見据えます。思案した直政は信濃からの援軍など献策をしますが、そこに現れた鷹匠姿のままの正信はその考えを「それはどうでござろうか」と疑問を呈し、地の利を活かし寡兵をもって制するなど次々と的確な用兵を提示します。正信の献策に我が意を得たりという表情の家康に、彼が心から正信を待っていたということが分かります。伊賀越えで結ばれた二人の絆は、短期間で強固になっていていますね。

 正信については、武勇一辺倒の徳川勢の中でそれでは測れない「非常の器」という松永久秀の正信評と、家康が「友」と呼んで重用したということが、伝聞ばかりで史料性が低いとされる『藩翰譜』に載っていますが、これを一概に否定することなく、こうした逸話が残った所以を「どうする家康」では描いていくことになりそうです。


 そして、正信の策が採用されたことに不満げな直政に家康は「一軍の将となるなら、こやつのずる賢さも学んでおけ」と期待を込めたアドバイスをします。
 そう、家康は、直政を小姓ではなく、武芸の上でが立つ一兵卒でもなく、「一軍の将」となれる逸材であると認めたのです。驚く直政に、家康は武田の遺臣を彼に預けることを告げます。遂に直政は、徳川家臣団の一人として、徳川四天王への道を一歩踏み出すことになります。そして、直政が抱える武田の遺臣こそは山県昌景の赤備えの猛者たちであり、それにあやかり井伊の赤備えが誕生します。
 喜びに打ち震え、喜色満面の笑みが溢れてしまう直政を、ニヤニヤと首を伸ばして覗き込む正信、そして、それに反応してそっぽを向いてしまう直政、二人のやり取りがかわいいですね。


 因みにこの場面で面白いのは、家康自身は戦に関しては一切、自分の意見を話していないことです。家臣たちの考えにじっくり耳を傾け、その中から選び取っていく。評定でのやり取りに続き、ここでも、家康と家臣団の信頼関係あればこその阿吽の呼吸が出来上がっていることが窺えますね。

 そして、献策に従い、元忠は的確に鉄砲を使い、北条方を仕留めていき、北条との開戦の火ぶたが切られます。合戦の喧騒に揺れる水溜まりというカットで、この天正壬午の乱の激闘を表現するのが巧いですね。とはいえ、強固な家臣団との関係、歴戦の猛者、そして軍師正信の誕生によって、戦の先に悲壮感は感じられません。



2.秀吉の野心に呑み込まれる北ノ庄城と潰されないお市の矜持

(1)家康にとって諸刃の剣でもある信濃・甲斐への侵攻

 後北条氏を抑え、領土の拡大と安定によって着々と自らの力をつけていく家康ですが、それもまた秀吉にとっては想定の範囲内です。後北条氏と戦い、東国の安定化を図る家康に対し「援軍を送るか?」という秀長に対し、放っておけばよいと秀吉は応じます。「なんで?徳川殿は織田家のためだけに戦っとるがや」と疑問を唱える秀長からは、通説通りの人の好さが見えますが、秀吉はそれを窘めて「信長様の命で20年間、大戦を続けてきた徳川殿に関東の隅っこでぬくぬくしてた北条が勝てるわけにゃあで」と言い切ります。

 この徳川勢への高い評価は、強い警戒心と表裏一体です。ここで思い出されるのは、第22回の設楽原の戦い後に信長の言った「最も恐るべき相手は徳川」という言葉です。信長のこの言葉は、彼の家康への心情を絡めると複雑な意味合いとなりますが、表面上は最も頼もしい味方は敵になった場合、最も厄介であるということです。
 秀吉は、信長が徳川家を警戒する一連のやり取りの現場にいましたし、徳川家の戦闘力も戦場で何度も見て、時には自分の出世に彼らを利用してきました。信長同様に警戒しているのです。
 それゆえ、秀吉は「せいぜい潰しあってくれりゃええ」と吐き捨てます。第26回の鷹狩の密談で、秀吉が家康を気遣うようにしながら暗殺に向くよう煽っていたのも、あわよくば強力な徳川勢を瓦解させておきたかったのでしょうね。



 そして、秀吉の言うとおり、天正壬午の乱は徳川にとって東国の地位を固める絶好の機会であった反面、そのために戦をする以上、国内は疲弊しますし、また領土拡大によって政治はより舵取りは難しくなります。また、切り取った領土を落ち着かせるにも時間を擁します。家康は富士遊覧に見られるように内政でも優れた手腕を発揮していますが、これまでの三河、遠江、駿河は家康にとってはある意味、勝手知ったる旧今川領でした。しかし、国衆たちがしのぎを削る信濃と甲斐は、これまで以上に匙加減が難しくなります。


 その難しさは、北条との和睦が結ばれる際に早速、それとなく出てきましたね。北条との和睦の条件の一つは、「氏直に家康の娘おふうを娶らせる」ということでした。おふうはお葉(西郡局)の娘です。しっかり者のお葉の行き届いた養育によって「お前に似て麗しく逞しく」(家康)育ったおふうは役目を果たすためと受け入れます。ようやく肩の荷が下り「後は於愛に任せます」と言うお葉に無理だと返す於愛。その言葉に「それもそうじゃな」とあっさり答え、その場は笑いに包まれます。
 この件は、徳川家の身内内で済む話ですから側室たちのこれまでの尽力で問題なく進められるのですね。場の和やかさが、それを象徴しています。


 しかし、問題は和睦の条件のもう一つ、「甲斐・信濃は家康に、上田は北条にそれぞれ切り取り次第とし、相互に干渉しない」という件です。直政は、この条件を飲むことに関して、「臣従してくれたばかりの真田から、その地を取り上げることになります」と信義に悖る裏切りになることを危惧します。
 家康は「上田・沼田は真田の地」と理解しつつも、大局を優先し「恨まれるのはわしの役目じゃ」とその条件を了承してしまいます。家康は真田から恨まれる覚悟はしていますが、同時に大局に比べたら、国衆の一家くらいは何とかなることであるという侮りがあるからこそ、安請け合いをしたとも言えます。

 ところが、真田は、今回の序盤で家臣たちが「真田か…確かに、ありゃあ、厄介じゃ」とわざわざ言うほどの者です。ここで言う真田とは、今後、佐藤浩市さんが演じる真田昌幸を指しますが、その老獪さや底知れぬ戦術は「大名でもない」(「真田丸)にもかかわらず、徳川家中に知れ渡っています。その真田を敵に回した結果、真田は上杉と手を結び、上田・沼田領の帰属を巡って家康と対立、上田合戦にまで発展します。そして、その後も終生、真田は事あるごとに家康の足を引っ張り、最後は命まで脅かすことになります。

 このときの家康は知る由もありませんが、この選択は結果的には致命傷となりかねないものだったのです。誰に利益をどう分配するのか、領国経営の難しさを家康は身をもって知ることになります。


 このように一見、家康の目論見どおりに短期決戦で進んだ信濃・甲斐侵攻は、安定させるにはまだまだ時間がかかるのが現状です。それは、織田家内での地位を確立したい秀吉にとっては好都合、まさに「せいぜい潰しあってくれりゃええ」ことでしかなく、当面、秀吉を脅かすものにはならないのです。



(2)織田家の威信と存亡を賭けるお市の戦

 家康の信濃・甲斐への侵攻を当面、放置してよいと話し合う秀吉、秀長の後ろで一人、苛々しているのが、信雄です。秀吉は、信雄を宥めるように「必ず天下人に」と信孝との対立を唆していますが、「あれ?清州会議の三法師擁立は?」と疑問に思う視聴者もいたのではないでしょうか。

 これについては、劇中で描かれていない背景を、順を追って説明をする必要がありますね。まず、秀吉が羽柴家に養子として迎えていた信長の息子、秀勝を喪主に立て、信長の葬儀を大徳寺で行ったことが問題になりました。信雄、信孝が参列しないこの葬儀で、秀吉は信長の位牌を持つことでその実質的な後継者が自分であることを内外にアピールしたためです。

 こうしたあからさまな権力の簒奪に危機感を覚えた信孝は、後見人として三法師を決して離さず、岐阜城に籠り、柴田勝家や滝川一益と共闘体制を見せます。これを謀反と捉えた秀吉は清州会議を破棄、長秀、恒興との合議で信雄を暫定的な織田家の家督に据えることを決めました。信雄は家督を継ぎたい野心から北畠姓を捨て、織田姓に戻していますからこの決定に異論はありません。
 つまり、この場面は、既に清州会議が破棄され、信雄を擁する秀吉陣営と信孝を擁する勝家との対立が決定的になっているという状況を反映しています。


 ですから、次の場面は対立する信孝のいる岐阜城となります。後見人として三法師をあやす信孝に、お市は「己のよくのままに生きている」と秀吉を評し、彼が織田家を乗っ取り、その志を捻じ曲げていることへの危機感を募らせます。興味深いのは、信長の掲げた天下一統の大義を息子の信孝でも、忠臣勝家でもなく、お市が一番大切に思っているということです。
 本能寺の変の直前、家康に信長の真意を伝えたお市ですから、兄信長を誰よりも理解しているのは確かです。しかし、その志と織田家を死守せんとする姿は、かつて浅井長政と命運を共にしようとしたことを考えると妙な部分もあります。このお市のキャラクター造形の意味は、後述しましょう。


 とはいえ、お市は信長に比べれば、算段はやはり甘いと言わざるを得ません。織田譜代の家臣たちが恩義から、自分たちと共に秀吉と戦ってくれるものと信じています。しかし、信長が敷いた徹底した能力主義の元では、そんな家族的な関係、あるいは義理人情はなく、主君と家臣の間にあるのは、分かりやすい利害関係です。既にナンバー2であった池田恒興があっという間に秀吉に籠絡されていることが象徴的ですし、秀吉と同じ出世頭だった光秀が謀反に走ったのも利己的なものでした。
 勝家は裏切った者たちを決して恨まなかった高潔な人物でしたが、他はそうでもなかったのです。織田家のホモソーシャルな社会の強固さが何に支えられているか、それを見抜けなかったことが、お市の敗因の一つでしょう。


 さて、対立が決定的となる中、いよいよ、両陣営の戦いが始まり、その報せが家康の元にももたらされます。数正は冷静に「秀吉は織田家を乗っ取るでしょう」と明言します。元忠は「金ヶ崎のときはおろおろしとったくせに」と苦虫を嚙み潰したように言います(描かれませんでしたが、やっぱり家康らを利用して逃げ回っていたんでしょうね)が、それもこれも昔の話でしかなく、今の秀吉は多くの味方を付け強大です。
 そして、秀吉と戦う総大将は、信孝でも勝家でもなく、お市であることも、家康たちは察しています。このことは、この戦いが、本能寺の変や山崎の戦い以上に織田家の威信と存亡を賭けたものであることを示しています。

 


 ところで、両陣営とも家康を引き入れるため、年始の贈り物をしています。お市は綿布です。寒い戦場では、麻よりも保温性の高い綿布が重宝されたこともあり、戦国時代では急激に需要が高まったと言われ、木綿の栽培も広まったとされています。「おんな城主 直虎」でも井伊家の財政立て直しとして木綿栽培の話が出てきていましたが、高価なものだったからこその案です(そう言えば、直虎に木綿の栽培を持ちかけたのは、ムロツヨシさん演ずる瀬戸方久でしたね)。つまり、この贈り物は高価なだけでなく、手間暇がかけられた美しさもあり、また戦場で戦う家康への心遣いが籠っています。だからこそ、家臣団も感心するのです。

 対する、秀吉の贈り物はダイレクトに砂金。後に秀吉の代名詞ともなる黄金です。拝金主義を絵に描いたような明け透けな贈答品に秀吉らしい下品さと蔑みます。しかし、今の徳川家ならいざ知らず、三河のぐっちゃぐっちゃの時代であれば咽喉から手が出るほど欲しかったはずです。心ない贈り物ですが、一方で誰もが欲するものでもある点で秀吉は秀吉で人は皆欲深いものだと心得ているのです。

 配慮の行き届いたお市の心根の気高さと人間は意地汚いものだと割り切る秀吉の志なき卑しさ、双方のあり方を象徴する贈り物ですが、家康はどちらを選ぶべきなのか、その決断のときが迫っています。



(3)幼き日の約束事を守れない家康の事情

 賤ヶ岳の戦いで敗走し、北ノ庄城で籠城するお市の姿は、第1回から暫く信長が着ていた具足姿です。信長譲りの具足を纏う男装の麗人、信長に代わって織田家そのものを背負うお市の覚悟から分かるのは、彼女自身が信長の反転した姿だったということです。

 第28回のnote記事で、織田兄妹は二人とも家康の掛け値なしの優しさという美徳を気に入っていて、それだけにお市は家康に惹かれる兄の気持ちが分かってしまうと話しましたが、この兄妹はよく似ていながら、立場と表現は対照的です。
 織田家の当主であるがゆえに、妹と同じく家康を好みながらそれを素直に表せない兄。兄と同じく乱世を駆け巡り大望を叶えたい気高さを持ちながら、女性であるがゆえに実行することを許されない妹…彼女のキャラクターは信長の合わせ鏡なのです。
 だから、信長亡き今、彼女が織田家の象徴となり、総大将として、信長の大義も誇りを賭けて、新たな価値観を持った覇者である秀吉と戦わなければなりません。


 しかし、お市は現実には直接、刃を振るってきた人ではありませんし、最早、劣勢に追い込まれています。ですから、遠く憧れる彼に思いを馳せます。本能寺の炎の中で家康を追い求めた信長と似ていますね。どこまでも合わせ鏡な兄妹です。そんな物思いを長女の茶々は見抜き「お見えになるでしょうか?」と問いかけます。「なんのことじゃ」と誤魔化すお市に、茶々は「私が幼いころ、よくしてくれましたよ、昔話を。覚えておいででしょうか?幼き日の約束事を」とお市の心中を正確に言い当てます。

 そう、溺れかけたお市を助けたあの日、確かに竹千代は「お市様をお守りします、必ず」と約束しました。その優しさにお市は大人になるまで一途に恋焦がれたのですが、それが家康と信長の想いをつなぎ、今またこうしてお市の縋りたい想いへとつながることになるとは…
 「どうする家康」では幼き頃の原点とでも言うべき体験と思いがその後の人生の大きな因果となっていくことが多々ありますが、お市も例外ではありません。


 それにしても、それを指摘する茶々の言い様には、家康への期待と懐疑が混在していますね。彼女が慕った父、長政は自分たちを置いて死んでいきました。つまり、肝心なときに自分たちを守ってくれなかった父親なのです。ですから、自分が幼いころに母から幾度となくヒーローのごとく語られた母の初恋の相手ならば…という期待がどこかにあってもおかしくありません。
 そもそも、妹たちにその話をしたのは、彼女らを叱った茶々なのかもしれませんね。しかし、一方で思春期に差し掛かろうという彼女は、多少なりとも現実が見えていて、そんな絵空事など起きないという気持ちもあるでしょう。幼き日に父を失ったことは、彼女にそれだけ大きな影を残していると察せられます。


 遂にお市の想いも反映されたであろう援軍要請の書状が勝家から家康の元へ届けられます。

 天正壬午の乱が、秀吉を倒すこと、天下を取るための準備であることを知っている忠勝ら若き家臣は今こそ立つべきと進言するのは、自然でしょう。評定が出陣に傾く中、「それはどうでござろうか」と闖入してきたのが正信です。要らぬ横やりを入れてきたと思った忠勝は「鳥の世話係如きが入ってくるな!」といきり立ちますが、「鷹の世話係でピィ〜」と正信は人を食った態度…こういうところは直りませんね。まあ、容易に本心を明らかにせず、面白がるこの性格だからこそ、物事を冷静に多角的に見られるのかもしれません。

 正信は、諸国を渡り歩いた経験、そこで得た情報や噂から「秀吉は民百姓の人気が凄まじい。皆、自分の親類縁者のように奴のことを思うておる」と、秀吉の他の武将にはない才覚を冷静に告げます。秀吉は自身も貧民出身だけに、民百姓が何を求めているのか、それをよく理解しています。彼らの味方のように振る舞い、時には彼らの求めるものを与え、いつの間に秀吉の味方へと籠絡してしまうのです。

 以前の記事で触れましたが、秀吉は人をよく観察し、その相手が望むキャラクター、あるいは相手を挑発しやすいキャラクターを演じ分けられる、そういう人物として描かれてきました。勿論、それは相手のためではなく、あくまで自身の保身や利益のためです。
 相手の懐に入り、まんまと自分の道具としてしまう…その才を正信は「あれは人の心をつかむ天才じゃ」と言います。「あいつ」とか「奴」とか「あの男」とかではなく「あれ」という指示語に秀吉は人間ではないものというニュアンスも入っていそうです。


 そして、彼の人心掌握の基本について正信は「存外、人は美しい綿布よりも下品な金が好きでござってな」と扇子で素顔を隠すように揶揄しています。人間の根底にあるあさましい欲望こそが、彼が人を操る糸なのです。大義や理想だけでは人は動きません。自身に利益があるかないか、その損得勘定こそが生き残るためのバイタリティになります。自身が「欲望のままに生きている」(お市)欲望の権化だからこそ、相手の欲望をよく見抜き利用できるのでしょう。

 言うなれば、秀吉の政治的な才覚は、極端なポピュリズム、大衆迎合的に振る舞いつつ自分の欲を叶えることなのでしょう。これは、戦国時代の民が貧しいからではありません。
 今、現在も同じです。政治家と企業の贈収賄、官僚の企業への天下りといったお上の浅ましさは言うに及ばず、民衆もまた政治家のバラマキ政策に安易に乗って投票する卑しさも未だによく聞きますよね。
 また、政治家の分かりやすい仮想敵を作った分断に簡単に乗ってガス抜きさせられていることも多々あります。
 秀吉的な手腕は、人が飽くなき欲望を持つがゆえに今現在でも通じます。それが、秀吉のような人間を更なる怪物にしていきます。お市の危機意識自体は、正しいと言えるでしょう。


 こうして「今の秀吉は破竹の勢い」だから下手に手を出すのは危険であると説き、所詮は織田家中のもめ事と傍観し、勝ったほうに祝辞を送るべきだと進言します。更に重ねて、徳川家の事情として、今は切り取った信濃・甲斐を治めることに専念すべきであると補足します。
 この提案に、それまで黙っていた数正、忠次ら宿老も賛同の意を示し、果たして家康は「様子を見る…」と苦渋の決断をします。「勝ったほうに」とは聞こえが良いですが、これはお市を見殺しにすることでしかありません。消極的に秀吉に加担することです。ですから、その決断に落ち込む忠勝の様子が、家康の本心を表しているようなところが巧いですね。


 しかし、秀吉が恐るべき相手であること、また信濃・甲斐が安定していないという事情は、お市たちに援軍を全く送らないという判断する理由としては、やや弱く説得力がないように見えなくもありません。ここはもう少し補助線が必要な気がします。
 そこで注目するのは、「今の秀吉は破竹の勢い」という正信の言葉です。何故、破竹の勢いになったのか、そのことを、孟子の言葉を援用した「天の時、地の利、人の和」という必勝の三条件から考えておきましょう。

 まず「天の時」とは一般には天候のことですが、ここでは「時の運」としましょう。この点において、秀吉は巧みな情報収集能力で異変を予測することで光秀討伐の武功をあげました。つまり、彼は織田家中の筆頭になる「時の運」を自ら引き寄せています。
 そして、地の利ですが、勝家が雪国で動きを取れないことを利用して、相手の陣営を分断し、調略し、勝家を孤立化させることに成功しました。
 最後、最も重要な人の和については、味方になる者の欲望を満たすことで人心掌握に成功しました。つまり、秀吉は必勝の条件の全てを備えているのです。

 こういう相手に今すぐ立ち向かうことは、自身がその条件を完全に備えていると言えない限り、無謀なのです。徳川家は三方ヶ原合戦にて、その愚を実体験として教えられていますから、どうしても動けません。どれも今の家康には足りませんから、正信はその一つ、人の和を整えるべきであるとして「信濃・甲斐」を固めるよう進言したのですね。


 決断をしたとはいえ、家康の胸中は穏やかではありません。何故なら、彼は「幼き日の約束事」を覚えているからです。過去の思い出が走馬灯のように蘇ってきます。そっと茶を出す於愛に「古い約束があってな…」と語り出し、「なのにわしは 一番果たさねばならんときに…祈ることしかできぬ…」と己の無力に打ちひしがれます。家康にとって救いは、この思いを一人で抱えずに済むことだけです



(4)お市の死が招く秀吉と茶々、それぞれの野心

 家康からの援軍が来ない中、お市は書状をしたためています。この行為には、家康からの援軍が来ることなく敗北するという覚悟があります。史実でもお市は、娘三人を城外へ逃すに際して、秀吉に「娘たちは主筋であるから大切にしてほしい」との書状を添えたとされています。これは、どんなことをしてでも血統を残すという当時の人物としては当然の行為です。


 その直後、カメラは、そんなお市をナメる形で茶々を捉えます。聡い茶々は、母が何らかの覚悟をしていることを見抜いています。そして、その悲壮な覚悟をさせたのは、援軍を寄越さなかった家康のせいであると確信しています。それゆえ、その後、月を見て物思いに耽るお市に「やはりお見えになりませんでしたな」と淡い期待を皮肉ります。
 「やはり」という言葉に、彼女が信じたくても信じ切れない懐疑があったことを窺わせます。裏を返せば、茶々自身にも淡い期待はあったわけで、母への皮肉は自虐も混じっています。


 そんな茶々に、お市は、戦はそのように簡単なものではないと家康を擁護し諭します。残念ではあっても、徳川家には徳川家の事情があることくらいはお市には分かります。そして、掛け値なしの彼の優しさを直接知り、それが変わっていないことも知るお市は、救援に行かないことが家康の本意ではないこともおそらく信じられているのでしょう。
 しかし、家康に赤子のときに抱かれただけの茶々には、その気持ちは通じることはなく「徳川殿は嘘つきということにございます」と告げ、続けて「茶々はあの方を恨みます」と冷淡に言い放ちます。


 思春期の強気の娘の発言とはいえ、物心ついてからは会ったことがなく、よく知りもしない家康を恨むというのは、度が過ぎた物言いです。浅井長政の娘であることを強く主張し、「もしかしたら家康が父だったかも」と言う妹らを叱りつけながら、その家康が助けに来なかったことを誰よりも逆恨みする…彼女の言動の根底にあるのは「父なる者の不在」による「父」への強い不信感があるのでしょう。家康がお市を助けに来なかったこと、それは父なる者がまたも茶々を見捨てたことになります。

 つまり、茶々にとっては、「父」の二度目の裏切りなのです。二度目だけに一度目以上に暗い光が彼女の心に差し込んだことでしょう。まあ、領地安堵を反故にした真田に恨まれるのは自業自得ですが、拗らせまくったファザコンにここまで逆恨みされる家康はちょっと気の毒ですね。


 因みに本来は茶々にとって二度目の父は、義父、柴田勝家なのですが、本作ではお市に対しても妻というよりも主家の姫、信長の妹として丁重に扱い、その命に従う家老のように振る舞っています。ですから、茶々も彼を「父」と見なしてはいないのでしょう。史実的には、お市との夫婦関係は良好で、末娘の江は慕っていたとも言われますが。




 さて母子のやり取りなど露知らず、北ノ庄城落城を目前に控え、秀吉は鏡を覗き込みながら身支度を整えています。そして、鏡を覗き込みながら、うっとりと秀長に「権六の首だけでええ…我が妻には傷一つつけるだにゃあぞ」と嘯きます。比較的まともな秀長は、当然聞き返しますが、秀吉は事も無げに「お市様。欲しいのう、織田家の血筋が。そうすりゃあ、わしらを卑しい出だっちゅうてバカにする者もおらんようになる」と虚空を見ながら、真顔で言います。


 秀吉は漁色家で知られ、お市もその美貌ゆえに欲したとよく言われます。「はじめに」であげた「妖説太閤記」などはお市欲しさに悪逆の限りを尽くすというキャラクターなくらい有名なところですが、本作では何よりも貴種であることに拘っていますね。後年、秀吉が多くの側室を持った際の規準は、美貌と家柄だったとされていますから、そことも符合する解釈です。


 以前のnote記事でも時折、触れていたように、秀吉は家柄や力のある武将といったものに対して強烈なコンプレックスを持っているように描かれています。武断的な織田軍団で、武勇に秀でているわけでもなかった秀吉が随分な扱いを受けていましたし、実力で出世をしてもなお、光秀のような気位の高い者がバカにしたであろうことは、先の台詞からも窺えます。それだけに生まれつきの貴種である家康のような恵まれた者に対する思いは複雑で、小馬鹿にしつつもどうにもならない嫉妬とも憧れの両面を見せています。

 ですから、お市に対する感情も性欲を満たすというよりも、貧民の自分が、その才覚だけで出世し、家柄ロンダリングをしながら家柄の高い者たちを睥睨(へいげい)していく…そんな後ろ暗い欲望が優先されているように思われます。また彼が民百姓の支持を受けるのは、身分に対する憧れと憎悪を民百姓も抱いているからという面もあるかもしれませんね。



 剥き出しの欲望を隠そうともしなくなった秀吉に対して、お市率いる北ノ庄城内はあくまでも毅然としています。勝家は、秀吉の底知れぬ才覚を恐れていたがゆえに暴力を振るったことを正直に告白し、主家の姫たるお市と娘たちの脱出を促します。お市は娘たちだけを逃すと「一度ならず二度までも、生き恥をさらすことこそ地獄にいる兄に笑われようぞ。私は、誇り高き織田家の娘である。この戦の総大将は私だ。」と勝家を一喝し、共に死ぬことを選びます。その誇り高さに勝家は片膝を着き臣下の礼を取ります。


 続けて「男のように乱世を駆け巡るのが我が夢であった」と述べ、最後にその真似ごとができ「一片の悔いもない」と勝家に感謝の意を伝えます。ここにはお市が、信長そのものになりたかったことが窺えます。恐らくは、信長、家康と三兄弟でいたかったのでしょうね。となると、家康の救援も窮地を助けてもらうことではなく、兄になり代わって、彼と共に戦うほうに主眼があったのかもしれません。
 彼女が想い人と添い遂げるとは、共に轡(くつわ)を並べて戦うことだったのではないでしょうか。そんな彼女だからこそ、信長が敷いた徹底した能力主義の武断の象徴として、その矜持と心中する腹積もりも許されます。


 彼女は単に滅びるのではありません。新たな覇者となる秀吉を前に尊厳を守り、織田家の生きざまを見せることで、次代に織田家の意思と血統をつなごうとするのです。それが、彼女の「織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう」という言葉に表れていますね。誰よりも強く、誰よりも賢くあらんとした信長の強かさと逞しさを娘たちの指針とするのです。
 その母の決意を聞いた茶々は「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」と今生の別れに告げます。頷くお市の顔には、彼女を言い負かすほどに強情で聡い娘への愛情と期待が浮かんでいます。こうして、北ノ庄城は落城、お市は勝家と共に業火の中に消えていきます、奇しくも本能寺で散った兄信長と同じく…



 あくまでも恭順の意思を示さず、自分のものとなることを拒んだお市に呆然としながら「愚かなおなごだわ」と呟きます。秀吉にはお市の矜持も決断も全く理解できません。ただお腹が空けば腹を満たすように、そのときどきの欲望を最大限に満足させることしか頭にない秀吉からすれば、腹の足しにもならず、お金にもならないもののために死を選ぶのは意味不明です。
 この「愚か」には、織田家の血筋が自分を拒み、どこまでもバカにしているように感じられることへの怒りが込められています。ですから、お市が死んだことへの憐れみもなくガラス玉のような空虚な目をし、怒りの余り、お市の書状を火にくべようとすらします。


 しかし、そのガラス玉のような目に遺された娘たちが映され、無表情のまま「3~4年経てば、代わりがおるでよ」と呟き、茶々の頬に手を当てると「のう…」と新たな家柄ロンダリングの野心を募らせます。そんな、秀吉の手を茶々は跳ねのけもせず、寧ろ、その手で包み込み微笑みかけます。茶々は先に母に告げた「天下を取ります」を実現するため、早速、秀吉の寵愛を買うことを始めます。この際、媚び続けるのではなく、一度、手を取り微笑んだ後、パッと手を放し、つれない仕草で秀吉の前から去るの手管に駆け引きの巧さを感じさせますね。末恐ろしい子どもです。


 ただ、この茶々の真意は計りかねます。「天下を取る」ことが、天下人の母になることだとしても、何をもって「母の無念を晴らす」ことになるのかは不明瞭だからです。そもそも、彼女は先にも述べたように「父なる者」に対して、強い憧憬とそれゆえの強い不信感を持っています。歪んだ父性への愛情と言っても良いでしょう。それは、家康によって更に捻じ曲がりました。
 このままですと、母と自分を不幸にした、「父」たちの世界、ホモソーシャルな男性社会そのものを敵視していくであろう、そういう危うさを持っています。だとすれば、如何にして「母の無念を晴らす」のか。母の仇秀吉の男児を生むことだけでしょうか。それとも、母を助けに来なかった家康に何らかの復讐をすることでしょうか。

 また何と言っても相手は欲望の権化、秀吉です。彼女の手に負えるものかどうかも分かりません。満たされない父性への憧憬を秀吉が満たし、秀吉イズムを投入されて、家康をより敵視する女性へと変わるかもしれません。
 勿論、秀吉を翻弄する可能性もあります。その場合、例えば、秀頼は秀吉ではなく大野治長の子という説を取り、死に際の秀吉にそのことを囁き、復讐を果たす…というようなこともないとは言えません…まあ、この辺りは単なる妄想なので、ここまでにしましょう(笑)
 いずれにせよ、深い闇を抱えた茶々の今後の動向は、お市の願いからは捻じれていく可能性もあり、注視したいところですね。



(5)秀吉の掌中にある家康の運命

 さて、最後は、直政から北之庄落城を聞かされた家康です。「共にご自害あそばされたるよし」の言葉に、家康の手元だけが映ります。ポトリと落とした筆…そしてくしゃくしゃにされた紙…家康の祈りが通じることなく、またも大切な幼馴染が失われた、その衝撃が伝わります。そして、机を何度も叩く音には、何も出来なかった自身への無力への怒りが伴います。

 ふらりと立ち、濡れ縁へ向かう家康を捉えるカメラはぼやけています…これは家康の呆然とした心情そのものでしょう。そして、その後ろ姿にフォーカスが合い、ようやく彼の顔が映ったとき、彼は「秀吉はわしが倒す」と決意を新たにします。


 ただ、気になるのは、この家康の決意に至る一連の流れの途中から、「海老すくい」の歌詞を白兎に換えた秀吉の歌がバックに流れ、無表情の秀吉が「♪白兎、白兎」と呟く様も挿入されることです。これは何を意味するのでしょうか。先の秀長との会話で、徳川勢を警戒していることを思い出しましょう。そう、織田家の筆頭だった柴田勝家亡き今、秀吉にとって最も邪魔なのが高い兵力を持つ家康なのです。
 したがって、彼はもう次の標的として家康を考えているのです。決意の家康のバックに秀吉の「えびすくい」の替え歌がかかる演出は、この場面を真に支配しているのは秀吉ということです。つまり、お市の仇討ちを決意する家康の行動すらも秀吉の掌中なのです…秀吉は家康とお市の関係も知っていますから。

 家康を掌中で躍らせるほどに強大な秀吉の調略、これは兎を呑み込むような巨大な猿というオープニングアニメーションと呼応していますね…この先、家康が秀吉に呑み込まれてしまうのか、対抗できるのか。新たな敵を前に徳川家の真価が問われることになりますね。



おわりに

 結局、第30回は、織田家の威信と大義に準ずる気高さを体現するお市が、秀吉の底の知れない強大な欲望に呑み込まれていくことで時代の大きな変化を表した回だったと言えるでしょう。信長による徹底した能力主義の武断統治は、秀吉という他者や世の中を思うこともなくただひたすらに己の欲望を満たすだけの怪物を生みだしました。彼は、信長の作ったシステムを最大限利用し、それを呑み込み、自分の都合の良いように作り変えていきました。それが、清州会議~北ノ庄城落城に至るまでの出来事でした。
 お市は死んだ信長に代わって、織田家の矜持と共に滅びる運命にあったと言えるでしょう。秀吉は明智討伐で信長の仇討ちをしましたが、信長の天下取りの構想を形だけ受け継ぎ、簒奪し、お市を討つことでその理念も大義も殺しました。つまり、実は主君殺しは秀吉だったというオチに皮肉が効いています。

 今のところ、秀吉の天下一統には、信長が掲げた大義もなく、まして、瀬名の掲げた慈愛もありません。これから、九州征伐、小田原征伐と秀吉の野心の赴くまま、将来へのビジョン無き天下統一が果たされていくことになります。


 ただ、秀吉の体現するものもまた人間の真実であることは、彼を支持する多くの民百姓がいることが証明しています。人は常に飢えています。欲望を満たすことが第一です。また、自分より優れた者、身分が高い者、そうしたものを羨むものです。綺麗ごとではありません。ある意味おいて、秀吉は実に人間的であり、正直なのです。

 また、生きるためには不可欠な欲望ゆえに、人は賢明な判断をしません。瀬名の慈愛の国構想が絵空事になってしまうのは、こうした人の愚かさが念頭になく、人の善性だけを信用したからです。とはいえ、それだけでは弱肉強食の論理はまかり通り、欲望を満たすための争いは永遠に終わりません。実際、秀吉は朝鮮出兵という形で、その争いを続けようとします。これでは、本当の弱者は救われず、「厭離穢土欣求浄土」は夢のまた、夢です。

 しかし、お市の思いを三人の娘が引き継ぐことになり(茶々は歪めている可能性がありますが)、またお市を死なせた無念さと無力さから家康は改めて、秀吉のあり方を否定し、自分の思い描く戦のない世の中を決意しているようです。今はまだ秀吉に到底かないそうもありませんが、秀吉の巨大な野心でも潰せない人の願い、理想、志、そして愛情もあるのです。家康が、人の本然である欲望と向き合いながら、理想とどう折り合いをつけていくのか。秀吉との戦いが、いよいよ始まります。

 因みに、お市の「織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう」との思いを真に実現することになるのは、三女の江です、彼女は家康の息子にして二代将軍秀忠の正室となります。正式な側室を持たなかった秀忠との関係は良好で、多くの子をなし、現代にまでその血縁は続いています。そして、江の生んだ子の一人が、三代将軍家光です。彼女は、茶々の言った「天下を取る」も実現したのですね。そして、家光の誕生こそが、回り回って、「お市様をお守りします」という「幼い日の約束事」が果たされた瞬間なのかもしれませんね。

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