独自性という流行〜ボーダーレスに牙を向ける〜

外を歩くとお洒落な人が増えた。
兄曰く「個性的なファッションが流行している」

なぜ私がお洒落と感じるのか、それは「あ、この人○○(アイドルとか俳優)に
憧れて影響を受けてるな」と感じるような服装の人が少ないからだと思う。実際はInstagramのインフルエンサーなどに影響を受けているのだろうが、インフルエンサーも星の数ほどいるので補足できない。

また、自撮りをInstagramに投稿することを前提に服装を選んでいるので、常にお洒落で、尚且つ投稿を繰り返しセンスが向上し続けている。
まぁそれは好きにやれば良いと思うのだが、近頃「多様な価値観」「ボーダーレス」などの言葉が頻繁に聞かれるようになり、それが不快だ。

そもそも、ポリティカル・コレクトネスはアメリカとかフランスとかの多様な人種が存在する国が行うもので、日本のような大半が日本人で難民の受け入れも少ししかやらないような国がポリコレなんか言う資格もない。

それでは「多様な価値観」の部分はどうか?これもちゃんちゃらおかしい
この国はクリスマスとハロウィンとお盆をやる国だ。神と仏がどっちもいるし
そもそも滅茶苦茶な国なのだ。これ以上なんでもありにする必要があるのか?

それに多様な価値観にしては見栄えが良すぎる。人間という争いを繰り返す生き物が気持ちの良い見栄えをする訳がない。

私の親友は全力で数学の話をしてから将棋を本気で指し、とてつもなく大きな屁をぶちまける。これこそ価値観を貫いた生き方なのである。


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