土中環境――水・植物・菌糸が作る土壌ネットワーク【書籍レビュー】
かなり昔のことですが、自宅からわずか20メートルの地点で崖崩れが発生し、戸建て民家数件が取り壊しを余儀なくされたことがありました。現場の崖はせいぜい高さ5メートル程度、一応コンクリートでカバーされていたのに、それすら引き裂いて土砂が下の窪地に崩れ落ちました。怪我人が出なかったのは不幸中の幸いでしたが、こんな住宅地のちょっとした段差でも崩れたら大事になるんだなぁと驚いた記憶があります。
今回紹介する『土中環境』は書店の土木建築コーナーで平積みになっていた一冊。意外にも土砂災害に力点を置いた内容で、読みながら過去の事件を思い出しました。確かに、この本で指摘されてる内容ばっちり当てはまってたな、あそこ…
書籍情報
本書は土木建築工学の分野で注目を集め、発売以来12刷1万冊を超えたベストセラー本とのこと。著者の高田広臣氏は、雑木の庭造りで知られる 高田造園設計事務所の社長、つまりバリバリの庭師さん。でありながら、土壌の健全性や保全に深い関心を持ち、自然環境改善に取り組む実践者でもあるとのこと。面白いバックグラウンドですね
土と水と空気の循環
自分は土木・造園・環境学にはてんで素人なのですが、本書はそんな知識ゼロの人間でも読んで「面白い」と感じる一冊でした。感覚に訴えかける表現が多いせいなのかな。イメージ喚起力の高いイラストといい、学術的な厳密性よりも楽しく読んでもらうことを重視している様子。
読んでいて特に印象深かった話題は以下の通り:
植物の根、土、地下水脈の間のネットワーク形成
土壌中の菌糸と植物の根の相互作用が森を作る
土壌劣化を食い止め、自然のサイクルを再生する方法
古来の神社仏閣と地域の水脈との関係
よく自然を論じる文章に「森林は雨水を蓄えて土地を潤す」的な説明が書いてありますが、具体的に水がどう溜まっているかって謎じゃないですか?
林野庁のHPにも、スポンジ状の森林土壌が水分をゆっくりと地下水脈に流すと説明してありますが、水が満遍なく染み込んで地下に浸透していくようなイメージでは単純すぎるわけで。つまりどうなってるの? に対するアンサーを著者は次のように説明しています。
良い土壌は程よく柔らかく、樹木の根が深くまで入り込み、時間をかけて硬質な土や岩を砕いて土壌に変えていく。そうして出来た多孔質な土は水と空気を含みやすく、植物の根に沿って地中深くまで水が誘導され、同時に空気が地中と地表を行き来する、という仕組みだそうです。へぇ
ここで言われてることって何となく心当たりがあるんですよ。庭土いじりで土を固めすぎたら水はけが悪くなったとか、雑木林の森で遊んでたら土がフカフカで、枯れた木の内部に新芽が生え始めていたこととか。土壌―植物根―菌糸―水脈のネットワークがこの循環を動かしている、と言われると妙に納得します。
逆にこの循環が断ち切られると、土壌は悪化し、植物は枯死し、地下水脈は行き場を失って滞留し、やがて土砂災害につながっていく…というのが本書のもうひとつのテーマ。
循環を壊す要因としては大規模な自然破壊もそうですが、治水や土砂崩れ防止のためのダムなどのコンクリート構造物も悪影響になるそうで。言われてみれば、水の染み込まないコンクリを山盛りにしたら木の根は伸びないし、重みと遮蔽壁の出現で地下水脈は乱れることは容易に想像出来ますし、問題が発生してもおかしくはないですね。
古来の知恵の再評価
もちろん、コンクリート製の擁壁(崖崩れ防止用の補強壁)やダムが治水・防災に果たしてきた役割は非常に重要です。それは認めつつ、全てをコンクリートインフラで解決しようとした昭和の国土開発方針はベストじゃなくない?と著者は切り込みます。
実際、近年は崩落予防施工がされた場所でも崖崩れが頻発しており、都心部ではゲリラ豪雨の度にどこかしら水が溢れます。従来型の防災手法にも弱点があるのは間違いなく、場合によっては新しい方法を模索する必要があるのは広く認識されていることです。
それではどうしたらいいか。著者が注目しているのは「鎮守の森」のような古来の知恵で作られた環境と調和する仕組みです。
昔から地域の水脈の要には神社や仏閣が建ち、聖域として保護されてきました。これらは鎮守の森や御山を擁しており、緑豊かな土地が水を蓄え、周辺の地下水脈を維持していたんですね。
宗教集団と治水との関わりは、空海が掘った伝説付きの弘法井戸が全国各地に存在することや、陰陽師・安倍晴明の名を冠した井戸、修験者の井戸掘り伝説にも垣間見えます。宗教系の知識層は古くから水脈維持管理のノウハウを蓄えていたんですね。
別の例として、修験道の盛んな山に敷かれた古道の存在が挙げられています。最も有名なのは熊野古道でしょうか。緑深い森に包まれた石畳の道は、周辺の木々と一体になって道そのものを固定させる仕掛けが随所に施された超サステナブル構造物とのこと。単に石を置いただけかと思っていたのでオドロキです。先人の知恵、奥深いなぁ…
このように、読んでいてワクワクする本なのですが、古来の技術をちょっと理想化しすぎている点は要注意。昔から山崩れと川の氾濫に悩まされてきたから昭和の大開発が行われたわけで、先人の知恵が通じない局面は無数にあるんですよね。
たぶん、熊野古道とかは先人の知恵の最上の部分だから、現代の平均的な工法よりも優れた技術に見えるのでしょう。伝統技術が正しく、コンクリート建造物は間違っているといった単純な二元論に陥るのはよろしくない。
その上で、自然環境と共生する方法を検討するのに土中環境のアイディアはやっぱり面白い。
本書五章では、高田事務所が手掛けた新潟県や千葉県での環境再生事業を通じた理論実証の紹介されているんですが、本文の雰囲気よりしっかり理論立った作業をしている印象です。灌木の植え方、木々の根元に敷き詰める雑草の選定、空気の流れを地中に行き渡らせるために樹木の根を誘導する工夫など、細やかなノウハウの集合です。
首都圏に何箇所か実例があるようなので、探せば見に行けるかも。
それにしてもこの本、専門家の目から見てどうなの?と思って書評を調べてみると、結構面白がられているみたいでした。専門知識が細分化されがちな自然科学において、こうした融合的な知恵を志向する在り方は刺激があるのかな。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mcwmr/32/1/32_91/_pdf
まとめ
『土中環境』、現代の土木工学や防災の観点から見て示唆に富む一冊でした。科学的に厳密かどうかは疑問が残りますが、提示されているアイディアには、環境問題に新たな視点を提供する可能性があるのでは……なんて難しく考えなくても楽しく読める一冊。目を通す価値ありです。
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