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【ブランクーシ展】ポスト・ロダンへの飛翔【アーティゾン美術館】

彫刻家オーギュスト・ロダンの名を聞いたことはなくとも、『考える人』や『地獄門』の作者だと言われれば「あの難しい顔して顎に拳当てて座ってる銅像作った人ね」となる方は少なくないでしょう。
おそらく世界で一番有名な近代彫刻家・ロダン。
その名声は生前からきわめて高く、1900年頃のパリでは彫刻といえばロダン、彫刻技法もロダン風だったとか。私生活では優柔不断だったと言われる彼ですが(詳しくはカミーユ・クローデルの生涯を見てね)、本業では皇帝のように君臨していたようです。

もはや説明不要の傑作『考える人』

そんなロダンを尊敬し弟子入りしながら、わずか二か月で見切りをつけて独立し、やがて二十世紀彫刻を切り拓いた彫刻家がいます。その名はコンスタンティン・ブランクーシ。

教科書で名前は見たことがありますが、彼の作品群には今まで触れる機会がありませんでした。そんな彫刻家の展覧会が東京 京橋のアーティゾン美術館で開催中とのことで、こりゃ行くしかないな!と観てきました。

会場入り口にて


展覧会の概要

そういえばアーティゾン美術館に行くのは初めてです。名前の由来は、
   ARTIZON = ART + HORIZON
つまり美術の地平という造語らしいですね。2020年1月開館。かつてはブリヂストン美術館を名乗っていましたが、ビル建て替え工事に合わせて改名したそうです。

住所は京橋一丁目。東京駅八重洲口から行くもよし、地下鉄の京橋や日本橋駅からもすぐです。
真新しいミュージアムタワー京橋の一階が総合エントランス。エスカレーターで上階に向かうとロッカーやミュージアムショップ。美術館の入口は三階に、ブランクーシ展会場はそのさらに上、六階にありました。縦長な美術館ですね。

ブランクーシの大規模な展覧会はおそらくこれが日本初だとか。
出展作品は初期から後期まで幅広く、彫刻約二十点と大量の白黒写真が広々した展示室に配されています。
ここでひとつ注意。
この展覧会、展示物の隣にタイトルが書かれていません。
入口のところに展示作品リスト(一部解説付き)があるので、忘れずにもらっておきましょう。


展示風景

ブランクーシについては名前と『偉大な20世紀の彫刻家』という触れ込みしか知らない人間なので、いきなり観に行って分かるか心配でしたが、結果は問題なし。

普通に意味がわからん! でもつるんとしたシェイプがたまらん!

という雑な感想です。分からないなりに楽しめました。
それでは実際に展示室で撮った写真とともに雰囲気を見ていきましょう。
まずは若かりし日の展示からスタート。

『接吻』1907-10年、石膏

ほー、かわいい。
と言いたいところですが、これが作られた時代はロダンの影響で彫刻=粘土をこねながら成形する塑像だったという文化的背景を考えると、石から彫り出しちゃった本作はロダンへの反抗表明なんだそうです。
なお、写真のように前から見るとびったりくっついてて表情が分かりにくいですが、後ろからだと顔立ちがもう少しはっきり見えました。
まったく同時期にクリムトが『接吻』を描いていますが、ロマンとエロスと耽美主義が同居してるクリムトに対し、ブランクーシの作風は素朴ですね。

クリムト『接吻』 1908年


『眠れるミューズII』1923年、ブロンズ

同名の石膏像も出展されていますが、ブロンズを磨いて作った方はこちら。確かに眠っている美女なんですが、同じ題材でもロダンであれば全身を伸ばしてしどけなく横たわる美女を象ったでしょう。
首がごろん、としている彫刻表現、現代ではさほど珍しいものではありません。しかしそう思えるのも、ブランクーシがこの表現を切り拓き、道を作ったからなんですねぇ。


『新生I』 1920年、ブロンズ

今回一番気に入った作品はこれ。黄金色の抽象彫刻です。磨かれた楕円形に光が当たり、反射と拡散光が同居する異様な存在感がたまりません。眺めていると、中国神話で世界の始まりに存在したという宇宙卵『盤古』のイメージが浮かびました。

写真はありませんが、会場には彫刻作品のほか、大量の写真作品が飾られていました。ブランクーシは写真をよく撮ったそうですが、記録用途ではなく、機械を通して己の彫刻の再解釈をしていたとは本人談。
白黒のバランスが独特な写真は、この芸術家が世界を捉えていた視点が垣間見えて面白いですよ。


パリのアトリエを再現したイメージ展示
ブロンズ像は色んな人の肖像だったりする。
『雄鶏』 1924年、ブロンズ

抽象彫刻でもこれは分かる! 立派なとさかのニワトリ! 嘴の雰囲気も出ている…気がする!


『空間の鳥』 1926年、ブロンズと大理石の台座

鳥と言われれば鳥のような。ウツボと言われればウツボのような。つるりと無駄のない流線形のシェイプに見とれる作品。
ブランクーシはしばしば故国ルーマニアの伝説に登場する妖鳥『マイアストラ』をモチーフに作品を作ったそうです。歌声に魔力を帯びた伝説の鳥を思い浮かべていたとき、偉大すぎる大木となったロダンの木陰から飛び立った自身の姿を重ねていたのかもしれません。


20世紀彫刻は難しい。

自分はわりと抽象彫刻分かんないマンです。(だって何を表現してるのかさっぱりなんだもん)
抽象絵画の方は微妙に分かる(気がする)のですが、彫刻になると良し悪しが分かりません。そもそも、良し悪しはあるのだろうか…

好きな抽象彫刻もたまにはあるんですよ。昔暮らしてた日吉のぎんたまとか。

日吉駅のぎんたま
慶應義塾HP https://www.keio.ac.jp/ja/about/campus/hiyoshi/encyclopedia/06.html

正式名称は『虚球自像』、でも住民はぎんたまだと堅く信じている駅のシンボル。(某マンガと東急線がコラボした際はもちろんスタンプラリースポットとなった)

何だか分からないけど、毎日見てるとだんだん愛着が湧いてくる可愛い奴なんですよね。
今回、ブランクーシの彫刻を見ていたら、私が今まで出会って来た「なんだか良く分からないけどそのうち親しみを感じるようになった抽象彫刻」の先祖に出会った気がしました。

抽象彫刻を眺めていて思うのは、たぶんタイトルや具体的な表現に意味を求めすぎる必要はないのではないか、ということ。
以前、アンリ・マティスの展覧会レビュー記事でも書きましたが、20世紀以降の芸術は背景となる「物語」からの解放を推し進めてきました。
そこにはギリシャ神話や聖書物語を中心に据える視点はありません。物語はフレーバーのひとつであり、主役はあくまでも材質・色彩そのものなのです。

古代ギリシャ・ローマ彫刻は神や偉人の似姿でした。
中世ヨーロッパの彫刻は教会堂を飾り、文字の読めない民衆に聖書の内容を伝えるためのものでした。
近代彫刻はキリスト教の要素を薄れさせはしたものの、あくまでもそれが表す対象あっての芸術でした。
そして20世紀。高度な知識や似姿を象るモデルを必要とした過去の彫刻と決別し、ロダンの具象表現から解き放たれて、新しい時代が誕生したのでしょう。その始まりを見るような気がしました。

彫刻への理解が深まるかもしれないブランクーシ展、もうじき終了なので興味のある方はお早めに。





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