【神護寺展】空海を生み、文覚が繋いだ。【東京国立博物館】
東京国立博物館2024夏の企画展こと「神護寺」展に会期末ぎりぎりで滑り込んで来ました。
いつも夏休みは美術館三昧するのですが、今年は暑すぎたためにあまり回れず…! 神護寺展は間に合ってよかったです。
トーハク正門前にてポケモンコラボデザインのマンホールに遭遇。もともと遮光器土偶っぽいとか言われてたドーミラー、トーハクに来ても違和感ゼロ。そのまま収蔵品に紛れてそう
展覧会の概要
最終日前日なので人の入りは上々。展示物は前後期あわせて約100点とそんなに多くはないものの、貴重な巻物や古い仏画など貴重なものが多く、それらの前には観覧列が出来てました。来客は仏教に興味のある美術ファンがメインでしたが、涼みに来たらしき人も多く、会場のソファは常に満席。
まずは神護寺を知ろう。
神護寺のことは『伝源頼朝像』を所蔵する寺院という知識しかなく、流派も歴史も知らずに来てしまいました。せっかくなので、まずは神護寺のあらましを付け焼き刃で勉強するぜ。
神護寺の所在地は京都の北西・高雄山。地図を見ると仁和寺から北西にまっすぐ行った山の中ですね。紅葉で有名だそうです。秋は混みそう。
神護寺の前身は神願寺と高雄山寺という奈良時代末期に出来たお寺で、開基は和気清麻呂というからびっくり。
和気清麻呂といえば、称徳天皇の配下だったけど道鏡事件(奈良時代末期、称徳天皇が僧侶 道鏡を天皇にしようとした政治的混乱)で主君に反対し、宇佐神宮から「道鏡の即位反対!」の神託を持ち帰った人。その後も土木工事関連の官僚として活躍し、平安京遷都計画を推進したバリキャリ。まさかこの人が創始者とは知らなかった。由緒正しいね…
その後もビッグネームが絡んできます。宇佐神宮(八幡神社)とコネクションを持つ和気氏は遣唐使の世話役だったとも言われ、かの空海が渡唐前にお世話になっていたらしい。このあたりの詳細については『八幡神とはなにか』とかに書いてあるので気になる人はどうぞ。
さて、和気氏のバックアップを受けて唐の恵果和尚のもとで修行してきた空海は帰国後、まず高雄山で密教を広めていったらしい。最澄が空海から免許皆伝の儀式を受けたのもここ。まさに歴史の舞台ですね。今も神護寺は高野山系の密教寺院だそう。凄いや。
でも、空海が高野山に拠点を移してから高雄山はしだいに衰退し、鎌倉時代が始まる頃には荒れ寺となっていたようです。そこへ登場するのが、寺の実情に心を痛めた荒法師、その名も文覚。歴史に詳しい方はご存知でしょうが、彼の俗名は遠藤盛遠。源氏武士の出身で、伊豆流刑時に源頼朝と親しくなり、腹心の部下となった人物です。
彼の働きかけにより後白河法皇と源頼朝の協力で神護寺が復興したんだそう。だから『伝源頼朝像』みたいなものが伝わってたんですね。スポンサーの顔写真だったわけだ。(いまは別人の像だって言われてるけど)
展示の感想 1. 空海と最澄
神護寺の歴史を理解したところで展示を見ていきたいと思います。
まずは『第一章 神護寺と高雄曼荼羅』からスタート。
最初の見どころはなんと言っても弘法大師空海の筆跡。 弘法さんといえば字の美しさで現在も崇められている書聖中の書聖。そんな彼の貴重な直筆書類が複数展示されています。もちろんほぼ国宝。
書道はほぼ素人なので字の良し悪しは分からん! でも空海なら何か分かるのでは…と思ったのですが、特に分かりませんでした。ごめんなさい。
一見しただけで非常に美しい字なこと、様々な字体を自在に操ることは理解出来るんですけど、他の上手い人と比べて桁外れに素晴らしいかと言われると「よく分からない」という感想しか出でこない。その「凄み」というのを感じるには、たぶん書道の経験がある程度必要なんだろうなと思いました。ざんねん。
ちょっと面白かったのは東寺所蔵の『御請来目録』(弘法大師請来目録)。空海が唐で恵果和尚から移譲され、持ち帰った品々の目録です。100種以上の品について几帳面に説明した目録ですが、筆者はなんと最澄。空海作を最澄が書写したもので、貴重な直筆なんだそうです。二大巨頭の合作にテンション上がります。
さらに『風信帖』という空海→最澄の手紙も登場。後に絶交する二人ですが、それも熱い思想バトルの末のことなのだなと実感します。1200年前のライバル関係の痕跡が残ってるって凄いことですね。
なお、これらの隣には空海が唐から持ち帰った密教法具も展示されていました。貴重すぎる。もちろん国宝です。
展示の感想 2. 高雄曼荼羅
さて、次の展示スペースには巨大なタペストリーがドドンと何枚も掲げられています。大きいものでは4メートル四方の正方形が3枚出ていました。一番奥に展示されていた、黒ずんでほとんど何が描かれているのか見えないのは国宝『両界曼荼羅』、別名『高雄曼荼羅』。空海が恵果和尚より授かった二枚の曼荼羅図を元に日本で描かせた精巧なコピーだと言われています。褪色により全体はほぼ黒ですが、昨年まで行っていた大規模修理の際、もとは紫の綾織りに金泥・銀泥で曼荼羅を描いたものだったと判明したそうです。
往年の偉容をしのばせてくれるのは、江戸時代に作られた原寸コピーの『両界曼荼羅』二幅。深い紫色もまだ残っており、金泥・銀泥で描き出された仏の世界に引き込まれる大作です。オリジナルもいいけど、こういう往時を偲べるレプリカも並べて見られるのは良いですね。
両界曼荼羅は描き写すことも修行だったようで、全体図の縮図や一部分の精密模写などさまざまなコピーがあるのも特徴。何枚か展示されていましたが、一部でも十分にミチミチしており、原本作成はさぞや大変だったろうな…と遠い目になります。
なお、曼荼羅コーナーについてトーハクのブログに写真があるので、図の確認はこちらがおすすめ。
曼荼羅のあとは鎌倉時代の文覚上人・源頼朝・後白河法皇らの肖像が並びます。もっとも、有名な『伝源頼朝像』は前期展示だったので、今日は見ることが出来ませんでした。去年のやまと絵展で見といて良かった。
展示の感想 3. 神護寺経と薬師如来立像
中盤の見どころはなんといっても『大般若経』。神護寺には平安時代末期に奉納された一切経(主要仏典コンプリートセット。全部あわせると5400巻になる!)が伝えられており、現在でも2317巻が残存しています。
この通称『神護寺経』は紺の紙に金泥で描画・文字入れした大変美しい作品で、同じデザインのお経セットがずらりと並ぶ様子は壮観でしょう。ここまで美麗な装飾だと、昔の人が本当にこれを読んで勉強したのかどうか疑問になります。お経をしまっておく経箱、豪華なカバーもセットで伝来しており、当時の使われ方のイメージが湧く展示で面白かったです。
最後は神護寺の御本尊・薬師如来立像と日光月光菩薩、十二神将立像。本尊が美術館で公開されるのは初めてみたいですね。
平安初期の作と言われる薬師如来立像は他ではあまり見ない峻厳な表情が独特。薬師如来はその名の通り、心身の病を癒やす仏さまなので穏やかな顔の像が多いのですが、神護寺の御本尊はどう見ても癒し系ではないような…。面差しもふくよかで彫りが深く、目つきも鋭く何かを見据えているかのよう。和気清麻呂が平安遷都を率いていた時代は天皇家と貴族社会で冤罪と陰謀、呪詛が横行し、数多の怨霊が生まれた時代でもあります。この薬師如来が見据えているのは憎しみと恨みに囚われた人間の狂気だと言われたら納得してしまいそう。
まとめ
神護寺展、出品数は前期後期トータルでも100点程度と決して多くはないのですが、大サイズの曼荼羅あり、文字びっしりの経典ありと見応えはありました。今度涼しくなったら京都の神護寺にも行ってみようかな。
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