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2-1-1 補記

 岡村達雄編著『日本近代公教育の支配装置 教員処分体制の形成と展開をめぐって』社会評論社,2001年.を参考に、戦前における「処分される教員」像について言及します。
 本書では公教育ーー本書で特に強く意識されているのは小学校教育ーーは国家の支配装置であるという考えのもと、国家は教員を処分することによって、国民を、社会をコントロールしてきたと述べられています。 まずは、「序 本書の課題――対象・方法・構成」から重要と思われる部分をいくつか引用しておきます。

(pp11~12)
 ところで、教員処分は教育支配における国家意志の直接の権力発動であり、規律的な権力の行使としての制裁・処罰という意味をもっている。このような処分がもつ性格ゆえに、それが伴わざるを得ない違法もしくは不当な処分に関わる法的救済の機会を保障するかは否かは、近代国家としての統治の正統性を左右するものであった。【略】明治維新以降、新政府は建白、請願、訴願、行政訴訟、司法裁判などをつうじて行政処分に対する「救済」の機会を設け、権利保護という名目により争訟の制度化を図ろうとしたのである。こうした事情は小学校教員の場合についても見られたのであり、その結果、提訴や裁判が起こされていくことになる。【略】
 「学制」以後、一八七〇年代早い時期から、小学校教員の養成、その資質、身分、服務などをめぐる教員管理は国家の重要な関心の対象となっていた。小学校教員は国家の期待するところとは異なり、政府を批判し、管理支配に対抗する面をもつ存在となったからである。こうして教員管理にともない教員と行政権力との間で対立・抗争が繰り広げられ、秩序や規範から逸脱する教員への処分が行われ争訟の制度化へ向かうことになるが、その軌跡は一八九〇年代の〈処分〉体制の法制的整備確立を経て展開していく公教育の構造を特徴づけていくものとなる。大日本帝国憲法(以下、帝国憲法と略記)下の近代天皇制国家は、行政権優位の権力分立体制のもとで行政処分に関わる争訟を制度化し、それは教員処分体制にも影響を与えることになった。

(p12~13)
 この時期以降、制度化された争訟の枠組みの中で、教員に関する争訟事由が多様化し、それにともなう処分規範の運用、解釈を巡る一律でない対応が行政支配の方式に見られるようになる。そこに〈処分〉体制が教育における国家支配に包摂されていく事態の反映を見ることができる。一方、産業革命を経て第一次世界戦争期に至る日本資本主義の発展は、資本制的生産様式を社会に浸透させ、工場労働者や都市中産階層を形成しつつ、さらには帝国主義的政策の段階へと展開していく。このような社会的政治的状況は、小学校教員の社会階層としての生活現実、行動様式、職業意識を変容させるとともに、近代的な契約や権利の観念を醸成し、そのことが不利益処分などを不服とする訴えに及ぶような教員類型をつくり出していくことになる。一九〇〇年代から一九四〇年代に至る時代には、政党政治、普選運動、労働運動、植民地支配、相次ぐ侵略戦争、戦時下天皇制ファシズムから敗戦を経て、戦後に連接していく国家体制の歴史的展開があり、教員〈処分〉体制もそれらに強く規定され変転していくことになる。

(p14)
 近代天皇制国家は天皇制イデオロギーによって民衆意識を形成し、国民統合をすすめていく教化の役割を小学校教員に求め、教員の管理・統制の面においては、教員はそのような存在として位置づけられていた。この場合、そうした役割および代行機能の遂行にあたって教員がとった対応は、およそ次のようであった。すなわち、一方では天皇制イデオロギーを体現し、国家意志を主体的、積極的に担うあり様において、他方、少数ではあったが管理・統制に批判、抵抗するあり様においてである。大多数の教員はこのエージェントとしての両極の振り幅の間で逡巡し、葛藤しつつ支配の客体として受動的に代行機能を果たす存在であった。そして、そのような国家によって特別に意味づけられた小学校教員の存在は、法政上も官吏とは区別された「待遇官吏」という法的性格として表されていた。


 すなわち、戦前における教員とは、国民を統合し、教化を果たすことを期待された、国家のイデオロギーの媒介者に過ぎませんでした。そして、国家の思惑通りに機能しない教員はシステマチックに〈処分〉されたのです。では、天皇制イデオロギーが支配的ではない今日において、こうした教員像は無縁の、過去のものなのでしょうか。
 私の考えでは、それは違います。教員が国家の支配装置であるという仕組みそれ自体は時代を貫くものだからです。臨時教育審議会の教育改革以後に強まった新自由主義的教育政策のもとで働く教員は、適切な給与も休暇も与えられないまま、労働市場に有用な人材を排出することに追われています。
 本書では公教育を以下のように定義しています。

 「社会内部の支配的な社会権力である資本が普遍的政治勢力を実現していくために、個別利害を担う社会的権力そのものとしてではなく、国民全体を代表することを標榜する第三権力たる国家権力として、法規範を媒介とする公的支配を実現し、国民形成に関わる国家意志を社会に浸透させて行くイデオロギー的、文化的ヘゲモニーを目指すために組織された国民教育体制」(pp463~464)

 この定義は、教育基本法に掲げられた「人格の完成」を目指して行われていく現在の教育体制にも妥当します。
 教室における教員の権威が今よりも格段に高かったはずの戦前においても、教員は「聖職者」ではなく、国家の支配をよりよく実現するための、取り替えのきく装置に過ぎなかったのです。この歴史的な事実は、「教員が”聖職者”だった時代など存在しない」という説を補強するものであると言えるでしょう。


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