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1-1 教育とパノプティコンの相同性

この研究の序説については、以下の記事をご覧ください。


1 学校とパノプティコン

1-1 教育と〈監視〉の相同性


 教育と〈監視〉は表裏一体ですらなく、同一線上にある。このような私の言い分は、学校に希望を持っている人にとって、にわかに受け入れがたいものかと思います。私の意見に説得力を持たせるためにも、論点を明確にするためにも、学校教育と社会学的な意味での監視にはそれぞれどのような機能があるのか、手短に確認しておきたいと思います。

1-1-1 学校の機能について


 ここで参考になるのが、広田照幸著『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』ちくまプリマー新書,2022年.です。こども向けの新書ですが、非常に分かりやすく学校の持つ役割、機能について書かれています。
 広田は、学校の持つ機能を4つ挙げています。
(1)子どもを社会化する機能
(2)選抜・配分機能
(3)社会の格差を正当化する機能
(4)居場所機能
このうち、本章の内容と特に関係するのは(1)子どもを社会化する機能、(2)社会の格差を正当化する機能、(3)社会の格差を正当化する機能です。
 少々長くなりますが、それぞれについて述べられている箇所を引用しましょう。


広田照幸著『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』ちくまプリマー新書,2022年,pp63~65.子どもを社会化する機能について
【前略】「教育の目的」に基づくフォーマルなカリキュラム、さまざまな具体的な教育活動は、知識や価値に関して子どもたちを社会化しようとするものだといえます。この部分では、学校教育の目的と学校の機能とが重なっているといえます。
 ただし【略】二つの補足をしておかないといけません。一つは、学校側が学ばせたいと考えている部分での社会化は、常に不十分な結果になってしまうということです。教科書に書かれていることを全部理解して、いつもテストで百点をとる子どもは、ごくまれですよね。「授業で教わったけど、よくわからなかった。身につかなかった」という経験を、大半の子どもがしているわけです。【中略】
 もう一つは、子どもたちは、学校側が期待するものとは別のものを、学校で学んでしまうということです。クラスや部活動などの仲間集団の間で人づきあいを通していろいろなことを学ぶ。友だちや先輩などから、世間のいろいろな目新しい情報を手に入れる。だから、学校という場は、勉強の中身以外の面でも、大人の目から見てよいことと悪いことの両面を含んだ社会化を、子どもたちにさせる場として機能しているのです。

(同前書,p65)選抜・配分機能について
 学校という社会的装置は、子どもたちを選抜し、評価し、社会の中の異なるポジションに振り分けていく機能を果たしているのである。 言われてみるとそうですよね。みんな同じように小学校に入るけれど、その後は、選抜・配分の過程を経験します。ある人は大学や大学院に行って、サラリーマンや学者になったりします。学校が発行する、卒業証書の有無や、職業資格の有無が、その後の人生の歩みに大きな影響をもちます。学校は、人を選抜・配分しているのです。

(同前書,pp78~79)社会の格差を正当化する機能について
 たとえば、学校は社会の格差を正当化する機能を果たしているという見方があります。「正当化機能」と一般に言われています。学校っは、できる/できないという、業績(成績)による格差づけをやります。勉強ができる子/できない子という差別化をし、その差に沿って異なった処遇(分化そいた社会化)を行います。勉強の苦手な子にはやさしい内容、得意な子には難しめの内容に取り組ませる、というふうに。何年間も経つうちに、子どもたちの間には大きな学力の差が生まれます。それが子どもたちの進路の差になり、最終的には、社会の中で子どもたちが手にする地位や報酬の差になっていきます。
 つまり、学校があることによって、勉強ができて高い教育を受ける子どもは、給料が多いとか、大きい権力を持つなど、社会の中の高いポジションに就いていきます。それに対して、十分な教育を受けられなかった子どもたちは、いいチャンスから締め出されます。低賃金なところ、危険な仕事へ行きます。
 そのとき、自分が高いポジションに就いている人たちは、「自分は高い教育を受けたから、それだけの報酬を手に入れて当然だ」と主張します。もう一方の低いポジションに甘んじた人たちは、「自分は十分な教育を受けられなかったし、努力も足りなかったので、結果的には、こういう安い賃金の不安定な仕事に甘んじるのは仕方がない」と諦めてしまう。社会の中の大きな格差を、学校教育が全体として正当化する役割を果たしているというわけです。少し悲しいですが、それが現実です。


 引用が長くなりました。私の悪癖です。いま引用した3つの機能は、(1)が〈監視〉による規律の内面化機能と、(2)と(3)は〈監視〉の社会的振り分け機能と関わってきます。

1-1-2 監視の機能について

 続いて、監視の機能について確認します。とは言っても、「監視社会」は社会学でもかなりホットなテーマであり、色々な研究者が色々なことを言っているため、簡潔にまとめるのが難しい部分もありますが、なるべく分かりやすく示そうと思います。 
 まずは、「子どもを社会化する機能」について。ここに深く関わってくるのが、フランスの哲学者・社会学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で行った議論です。
 『監獄の誕生』の内容をものすごくざっくりまとめると、近代以前の刑罰は身体刑(車裂きの刑など)だったのが、近代以降は刑務所に監禁し、人格を矯正することに変わっていった。監視という刑罰は社会のあらゆるところに、民衆を効率よく統治するために用いられている、ということでした。このことを論証する過程で登場するのが、「規律・訓練」という考え方です。該当箇所を引用します。


ミシェル・フーコー著、田村俶訳『〈新装版〉監獄の誕生 監視と処罰』新潮社,2020年,p211.
 要するに規律・訓練的な権力体制のなかでは、処罰の技法は、罪の償いをも、さらには、正確には抑圧をも目ざすわけではない。その技法では、以下のはっきり異なる五つの操作が用いられる。人々の個別的な行動・成績・行状を或る総体へ、つまり比較の領域でもあり区分の空間でもあり拠るべき規則原理でもある或る総体へ指示関連させること。個々人を相互の比較において、そうした全般的な規則との関連において差異化すること――その規則を、最小限の出発点として、もしくは尊重すべき平均として、または接近が必要な最適条件として機能させなければならない。個々人の能力・水準・《性質》を量として測定し価値として階層秩序化すること。その《価値中心の》尺度をとおして、実現しなければならぬ適合性にふくまれる束縛が働くようにすること。最後に、すべての差異との関連での差異を、規格外のもの(〈軍官学校〉の《汚辱のクラス》の例)についての外的な境界を定める限度を描き出すこと。規律・訓練的な施設のすべての地点をつらぬき、それの一刻一刻を取締る常設的な刑罰制度は、比較し差異化すし階層秩序化し同質化すし排除する。要するに規格化するのだ。

 「子どもを社会化する」ということは、言い換えれば「子どもを規格化する」ことです。むろん、管理主義的な教育を施し、あたかも工業製品のように型にはまった子どもを「製造」するか、個性を尊重した教育を施すか、といったグラデーションはあります。ですが、まったく何の「規律・訓練」的な操作を伴わない教育というのは考えられません。
 学校という社会的装置には、たしかに教育基本法第一条に示されているように、「人格の完成」という崇高な目的があります。他方で、学齢期の子どもを学校に収容し、規格化するという目的があることは、どれほど強調しても足りないほど重要です。
 フーコーが「規格化」を行う技術と、「監視」を行う技術をリンクさせる手段として重視しているのは、試験です。

ミシェル・フーコー著、田村俶訳『〈新装版〉監獄の誕生 監視と処罰』新潮社,2020年,p213.
 監視をおこなう階層秩序の諸技術と規格化をおこなう制裁の諸技術とを結び合わせるのが、試験である。それは規格化の視線であり、資格付与と分類と処罰とを可能にする監視である。ある可視性をとおして個々人が差異をつけられ、また制裁を加えられるのだが、試験はそうした可視性を個々人にたいして設定するのである。それゆえ、規律・訓練のすべての装置のなかでは試験が高度に儀式化されるわけである。権力の儀式と実験の形式とが、また力の誇示と真実の確立とが、試験のなかに集まって結びつく。規律・訓練の諸方式の中心で、試験は客体として知覚される人々の服従強制を、また服従を強制される人々の客体化を表す。


 要約すると、「高度に儀式化された」試験(教育を司る官庁である文部科学省でさえ満足に制御できてない大学入試を想起してください)によって、個々人は差異をつけられ、その結果に「服従」することが求められるということです。

 続いて、「選抜・配分機能」と「社会の格差を正当化する機能」について。これに関連して、監視社会研究の大家、デイヴィッド・ライアンはこのようなことを言っています。

デイヴィッド・ライアン著、松本剛史訳『パンデミック監視社会』ちくま新書,2022年,p133.
 何十年も前から監視は、一部の学者や政策立案者や活動家から「社会的振り分け」の手段として考えられてきた。どういうことかといえば、監視は人口全体に関する事実を見つけ出すために行うものであり、その特徴を記すには全体をカテゴリー分けすることになる。要するに、人口全体を異なるいくつかのグループに分類し、それぞれのグループで異なった扱い方をできるようにするのだ。この手法はほかにも、警察による容疑者絞り込みのための監視、職場で最も効率よく働いている従業員を見きわめるための監視、最も見込みの高い顧客を最新のサービスや製品の広告ターゲットにするための監視などに当てはまる。


 いま引用したライアンの著作で焦点となっているのは、コロナパンデミックとデジタル監視がリンクし、社会的弱者が不当な不利益を被る可能性がある、ということであり、教育は議論の俎上にあがっていません。
 とはいえ、監視の「社会的振り分け」という側面が、もつ広田(2022)で述べられていた学校の「選抜・配分機能」と「社会の格差を正当化する機能」と共通していることは、明らかでしょう。学校という社会的装置は、教育(=〈監視〉)を通して国民を切り分け、異なった処遇をすることを正当化している側面が確かにあります。

1-1-3 まとめ


 まとめます。学校教育には、
(1)子どもを社会化する機能
(2)選抜・配分機能
(3)社会の格差を正当化する機能
(4)居場所機能
の4つがある。このうち、社会化機能は「規律の内面化」という〈監視〉の持つ機能によって果たされるのであり、「選抜・配分機能」と「社会の格差を正当化する機能」は、〈監視〉の「国民を選別し、異なった扱いをする」機能によって可能になる。

 なお、教育と〈監視〉の相同性、ないしは学校とパノプティコンの相似性については、いずれ、本田由紀『教育は何を評価してきたのか』岩波新書,2020年.などを参照しながら、理論的に補強したいと考えています。

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