90年代初めのニューヨークの思い出ーボトルマン
最近、ニューヨークのタイムズスクエアで発砲事件が起きたとの記事を見て驚いた。私は90年代初めにマンハッタンの中心部で日本企業の駐在員として働いていたが、治安の悪さが定説になっていた当時でも街中での発砲事件はなかったからだ。
それでも多少の危ない目には幾度かは遭い、危ない目に遭う日本人らを目撃することもあった。当時、なぜかしら日本人が狙われた事件では「ボトルマン」恐喝事件が有名だった。容疑者はだいたい、アフリカ系米国人の男で、日本人に当たったふりをして、紙袋を落とす。地面に落下すると同時に
「グシャ」と何かが割れた音がする。男が拾い上げた紙袋を開いて見せる。割れたボトルだ。
Twenty dollarsだけが聞き取れる
男は普通の日本人にはまず聞き取れない早口の英語で抗議する。「お前が当たったのだ。弁償をしろ」
の類の内容だろう。ただ一つ聞き取れるフレーズがあった。「twenty dollars」。ほとんどの日本人は
ここで20ドル札を支払ったようだ。犯罪の場所は人通りには関係なく、観光客などでごった返す五番街でも発生した。
狙われる日本人
狙われた日本人は観光客か、赴任早々の日本人の(観光客みたいにおどおどした雰囲気があったかもしれない)だった。
私が襲われたのは赴任後半年は経っていて観光客には見えなかったはずだが、二日酔いが残ってスキがあったのは間違いない。
場所はタイムズスクエア近くの路上で時間は午後の2時ごろだった。気が付いたら、大柄の男にぶつかり、男が持っていた紙袋が落ちて、地面に衝突すると同時にビンが割れるような音がした。
ボトルマンに値切り交渉
男は私をにらみながら、早口のアフリカ系米国人特有の英語で抗議を始めた。20ドルを出せ、と言う。当時、恐喝にあった場合に備えてズボンのポケットには20ドルを忍ばせていた。だが、私は20ドルが惜しくなり、値切りの交渉を始めた。
「20ドルは持ってない。5ドルならある」。男は5ドルを手にするとどこかに姿を消した。
また登場、ボトルマン
ボトルマンにはもう一回襲われた。赴任後3年は経った頃かと思う。同僚の日本人と二人でタイムスクエア近く
の事務所から数ブロック離れたラーメン屋「めんちゃんこ亭」でランチを取るために歩いていた最中のことだった。
無視を決め込む
男が私か同僚にいきなり体をぶつけてきて、例のごとく、紙袋を落とした。私も同僚もまったく気にせず、表情一つ変えず、めんちゃんこ亭に向かった。後ろの方から「Excuse me, sir」「Excuse me, sir」と聞こえてきたが、無視した。
五番街あたりの赤信号で立ち止まったら、男が我々二人の前に立ちはだかった。が、身長168センチの私より小柄の男だった。
まったく恐怖心はなかった。ラグビーで鍛えた筋骨隆々の体格の同僚もいるし、乱闘になっても負けるわけはない。
No English
そんなことを考えていたら、男は20ドル渡せ、と言ってきた。ぎゃふんと言わせる気の利いた英語の表現はないか。その瞬間だった。同僚が「No English!」と語気を強めて言った。私も「No English!」と続けた。
男は「No English?」と笑いながら立ち去った。
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